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弐拾六夜 神隠し

 ……神社に行くなら気を付けなさい。貴方のような可愛らしい子どもがね、神様は大好きなんだよ。神社に行ったら、どこにも寄り道せずに帰って来るんだよ。じゃないと、神様が連れて行っちゃうから。神に連れて行かれると、二度と帰って来れないよ……。


『もし、もし? 起きていらっしゃいますか?』

「……ぅん? 誰? 起きているよ」

『……誰ですか?』

「? 誰って……“私”だよ?」

『……頼みを聞いて頂けるなら、“貴方”が“誰でも”良いのですが……』

 彼女は目を擦って、布団から起き上がった。

「頼み事? 何なに?」

 やけに明るい少女の声に、それは一旦押し黙り、やがて重々しく口を開くと、言葉を放った。

『神域の守護をお願いしたいのです』

 その言葉に、今度は彼女が押し黙る。少しの沈黙の後、真面目な口調でそれに尋ねる。

「構わないけど、生身の人間がそこに行っても大丈夫なの? 行ったとしても、無事戻れるのかな? なんとしても、“この子”は無事帰したいし」

『時間に限りがありますが、私がいるので問題はありません。……引き受けてくれませんか、“佐伯の姫”?』

 そう言われ、彼女はついっと暗がりから目を離し、そして小さく、その名前は違うな、と呟いた。

『……“佐伯の姫”ではない、と?』

「うん。その“名前”はあげたからね」

『では何と呼べば?』

「……そうね……。ナツって、呼んで欲しいな」

『……分かりました。ではナツ様、……来ていただけますか?』

「え? 今すぐ? しょうがないなぁ……」

 呟いて布団から立ち上がると、彼女の身体に闇が纏わり付き、着ていた寝巻を変えた。少女がいつも着ている巫女服、それを黒くしたようなもの。その首には黒いチョーカーが付けられている。そして、短い少女の髪が、一瞬で腰まで長くなる。

『……では、参りましょう……』

「はいはい。全くせっかちだね、天狐」

 一瞬姿を現した金色の狐が先に闇の中に紛れ、その後に続くように彼女もまた、闇の中に姿を消した。


 夏場はいかなる時間帯であろうとも容赦無く暑くなる。少しでも和らぐ時間を狙って、結美は紙袋を持って石段を昇っていた。青々とした葉をいっぱいに広げた枝が、その石段に影を落としているお陰で日差しに体力を奪われずに済んでいる。

「未希、喜んでくれると良いなぁ」

 二泊三日で旅行に行ってきた結美は、旅先で買った土産物が入った紙袋を見て微笑んだ。有名な銘菓だそうで、土産にちょうど良い、と勧められた。それは、冷やして食べるのが夏の食べ方だと言う。

「それにしても……、今日は一段と暑いなぁ……。溶けちゃいそう……」

 なんとか石段を昇りきり、神社の住居区に向かう。社の傍にひっそり建つ家は、木々の影になって見た目は涼しそうだ。玄関の前に立った結美は、部活に出てなければいいな、と思いながら備え付けのチャイムを鳴らそうと手を伸ばす。が、チャイムを鳴らす前に引き戸が開き、浴衣姿の青年が物凄い勢いで飛び出してきた。

『我が主!! 三日間も一体どこに行かれていたのですか!?』

 飛び出してきた青年の声が、結美のトラウマを甦らせる。フラッシュバックした映像と声が重なり、思わず耳を塞いでうずくまってしまった。その震える少女を見下ろしようやく、彼は無関係な人物(少なくとも彼が探している人ではない)であることに気付いた。

『え? あ、申し訳ありませ……』

『貴様!! 我が主に何をしてくれたのだ!!』

『え?! いや、これは誤解で……!』

『問答無用!!』

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 主人の窮地に空狐が飛びだして青年に襲いかかり、結美はうずくまったまま震え、青年は飛び掛かってきた空狐に驚いて跳ね上がり、一瞬後に奇妙な戦闘が巻き起こる。この奇妙な戦闘が落ち着いたのは、それから十分後のことだ。

『本当に、申し訳ありません……。我を忘れていまして……』

「……い、いえ、仕方……ないですよ。仕方ない……です。私は、だ、大丈夫ですから……」

『ひとつも大丈夫には見えぬぞ、我が主』

  青い顔をして大丈夫、と繰り返す主人に、空狐は皿に入れられた氷を食みながら言う。そんな結美の前に、冷たい麦茶を置いた浴衣の青年、未希の式神である勾陣は、彼女に重ねて謝ると深くため息をついた。

『申し訳ありませんが、ただいま主は留守にしておりまして……』

『先程貴殿が言っておられたな。して、どちらに?』

『……それが、行方が掴めず……』

『十二天将ともあろう方が、主の行方が掴めぬ、と?』

 氷を噛み砕き空狐が凄むと、勾陣は少し悔しげに唇を噛み、返答する。

『察しの通りです。家に残る式達も使い探したのですが、どうにも掴めず、この様です』

 三日も行方が知れないし、未希の式達も見つけられない。ようやく気分が落ち着いた結美は、頭の中で話を整理しながら疑問に思う。そういえば、未希の兄は今不在なのだろうか。顔に出たらしいその疑問に、勾陣が彼女のトラウマを刺激しないよう気を付けながら答えてくれた。

『貴仁様は現在、出張でおりません。もしおられたら、もう少し私も落ち着けたと思いますよ……』

「……そう、ですか……」

『ところで、貴殿の主が消えた理由、心当たりはおありか?』

『いえ、全く。行方知れずになる前にも、特に変化は見られませんでした』

 心当たりも行く宛も分からない、となれば探しようがない。麦茶を飲みながらどうしようかと考えていると、居間に白い狐が飛び込んできた。そして、前足や尻尾をばたばたと動かし何事か伝えようとしている。

『管狐? 何か見つけたのか?』

『ふむ、貴殿では話が分かるまい? 任せよ』

「あ、そっか。同じ狐だもんね」

 テーブルからひらりと降りた空狐は、管狐と鳴き声を交わしてまたテーブルの上に戻ってくる 。管狐は役目を終えたか、また何か頼んだか、居間から姿を消していた。

「で、なんだって?」

『……主の霊力の残り香を見つけたそうなのだが……』

 一旦言葉を切った空狐は僅かに悩み、言葉を選ぶように続きを口にした。

『……どうも、主人の部屋から出た形跡が無いという。部屋に居ながら消えたのではないか、と言っておった……』

 空狐を通じて伝えられたそれに、二人は絶句した。


 ――壊れかけた金の階を、黒い長髪の巫女が駆け降りて行く。右手で大幣おおぬさを振り、黒い影を祓いながら、下へ下へと全力疾走する。巫女の左側では、金毛の狐がピタリと追随する。

「四日は持つんじゃなかったの?!」

『そのはずでした! しかしながら、奴等の力が予想を遥かに上回ってしまい……!』

 天狐の言い訳に耳を貸す間もなく、巫女は襲い来る影に大麻をぶつける。それに当たった影は祓われていくが、如何せん数が多すぎる。いくら祓ってもきりがない。天狐も狐火を飛ばして援護するも数が減らない。更に、巫女は足場の悪い階にも注意する必要がある。ヒビが入った部分をうっかり踏み抜けば、螺旋の下に待つ影の巣窟に捕らわれて戻れなくなる。

「せめて足場が良ければ……!」

『それは……! ナツ様! そこは!!』

 狐に愚痴り、大麻を振り回した巫女が、足元への注意を怠った。力強く踏み出した足は、運悪くヒビが入った階段を踏み抜く。狐の警告が一拍間に合わなかった。巫女は体勢を崩し、真っ逆さまに螺旋の真ん中を落ちていく。落ちていく先には、黒い雲が渦を巻き黒い手をいくつも伸ばしている。

「っ……。ごめんなさい……。貴女の身体、ちゃんと返したかった……」

 もがくことも許されず黒い手に巻き付かれ、巫女は渦巻く雲の中に飲まれて消えた。


 未希が部屋から直接消えた。その言葉の意味が、結美は一瞬理解出来なかった。

『それは、何者かが連れ去った、ということではなさそうですね……?』

『そうであろう。とにかく、行ってみることを勧める。……我が主?』

 空狐が問い掛けるより先に、結美は椅子を蹴り飛ばしてリビングを飛び出した。沈みかけた日差しに照らされた廊下は、フローリングとは思えないほど暑い。斜陽が目に入り、一瞬世界が眩むが気にしない。

「……未希、どうして……」

 誰もいない寝室で、彼女はぼんやりと呟く。狐達が右往左往するそこに、慣れた未希の気配を感じない。ただ別の、少し懐かしい気配を感じる。その気配の主が誰なのか、結美にはよく分からなかったが。

『……うむ……。確かに、気配が残っておる。しかし、一体何者が……』

『連れ出した者を引き裂きたいですね……。余計なことを……』

「……どうか、したんですか……?」

『神域への道を開いたばかが……。主も拒絶すれば良かったものを……』

「……神域……?」

『いわば神隠し。だが、あれは……』

 神隠し、その言葉の意味が、このときはなぜかすぐに頭に入った。神隠しにあったものは、帰ってこられないはず。しかし、今回は少し状況が違う。彼女は自ら招きに応じたのだ。帰ってくる気がない可能性もある。最悪の可能性が頭をよぎり、結美は我知らず腕を掴んだ。そしてそのままふらふらと外へ出てしまう。二体の式神は、彼女の様子に声をかけられなかった。

「……バカ……、バカ……。未希のバカ……。帰って来なさいよ……」

 神社の階段に凭れ、結美は沈み行く夕日を見るでもなく見る。朱色の光を遮るように、黒い雲が沸き立っていく。そしてまもなく、どしゃ降りの雨が降り始める。夕立だ、と思いながら、結美は小さな声で返して、と呟いた。


 ――一寸先も見えない暗闇の中に、その人は立っていた。男なのか、女なのか、若いのか年老いているのか、外見では判別できない。

『……悪かったね……。私が留守にしたせいで、こんな目に合わせてしまった……』

 その人が話しかける先には、ただのもやが漂っている。

『そんな形のない存在にしてしまったことを、謝っても許してはくれないことは分かっている。だから、私と話をしよう。君は、ただ聞くだけでいい。思い出せるはずだ』

 その人は申し訳なさそうに、しかしどこか嬉しそうに、漂う靄に話しかける。だが、相変わらず靄から返事はない。分かっていながら、その人は左手を靄に向かって掲げる。

『君はここに堕ちる前、ただ招かれた“人”だった。生者だ。しかし、君本来の意思は別の“誰か”に乗っ取られていた。……思い出してきたかい?』

 その人の言葉に合わせ、靄が形を変えた。黒い、のっぺらぼうの人形ひとがたに。それを見て僅かに微笑した人は 、更に言葉を紡ぐ。

『形は思い出したね。そこからなら、後もう一歩なんだけど、自力じゃできないかな?』

 その言葉に、人形は首をかしげる。言っている意味が分かっていないようだ。苦笑したその人はふと、暗闇の中で微かに聞こえた声に耳を傾けた。そして、少しずつ髪の短い少女の姿をとる靄を見つめる。

『聞こえたかい、君を呼ぶ声を。さぁ半分以上取り戻したはずだ。君はもう動けるだろう? ……おや、聞こえなかったかい? なら、もう少し話そう。君の、そうだ、内なる姿を』

 右手を掲げたその人は、まるで歌うように人形に話す。そして、話に合わせて影は姿を変えていく。

『思い出したようだね。青い翼の聡明な鷹、赤い毛並みの勇猛な虎、美しい少女。君の行く場所も、もう分かるだろう?』

 掲げた右手に光を宿し、それは笑う。宿した光を優しく包み、上に向かって投げた。それを追って、青い翼の鷹が飛んでいく。その様子を下から見上げ、その人は呟く。

『そうさ。君の翼は、その足は、影ごときに止められない……』

 光を追い抜いた鷹は、まだ朽ちていない銀の階の上に出た。役目を終えた翼が崩れ、その中から赤い毛並みの虎が躍り出る。後ろから迫る黒い手の追っ手を振り切る様に、力強く階を蹴って駆け降りる。その足は、いつの間にか銀の階を降りて銅色の階を降りていた。

(……もうすぐ……帰る……。もうすぐ……)

 虎の耳には、か細い声だけが聞こえていた。返して、と繰り返す声が。自分を呼ぶ、優しい声が。追っ手は、いつしか来なくなっていた。そのことにそれは気付かない。銅色の階の最後、光指す場所へ、虎は大きく跳んで落ちていった。


 夕立が止まない。結美の口からは、さっきからずっと返して、しか言っていない。少しずつ、彼女の中に疑問が浮かぶ。何故、自分はここまで彼女に執着するのかと。

「……返してよ……。大切な友達なんだ……」

 止まない雨の中に立ちながら、結美はなおも呟く。やがて雨は止み、沈みかけの夕日が心残りと言わんばかりの紅の光を投げ掛ける。遮る物がないそこでは、斜陽の光は眩しすぎる。光を避けるように上を見上げた結美は、落ちてくる人を見つけて目を見開く。少しずつ大きくなってくるその影は、彼女がよく知る姿。

「……え? えっ? み、未希!?」

 慌てて呼び出した土蜘蛛に、糸を吐かせて巣を張らせ、落ちてくる人影を受け止めさせる。落ちてきたのは、ずっと探していた友人。気絶している様子で目を閉じている。

「未希! おーい、起きろ!」

 蜘蛛の巣から下ろして揺さぶれば、小さな唸り声と共に薄目を開けた。焦点が合わない瞳を覗き、誰か分かるかと声をかける。

「……結美……? 大丈夫、分かる……」

「……心配……した……」

「……すまない……」

 謝罪の言葉を告げ、未希はふらつく身体を起こして立ち上がる。手を貸そうとする結美に、平気だ、とだけ言って家に向かって歩いて行ってしまった。残された結美は不満そうな顔を隠しもせず、空狐を呼び戻して自宅に戻るため斜陽の中を歩き出す。ずぶ濡れの髪から滴る雫が涙に見えて、乱暴に髪をかきあげる。夜の帳は、すぐそこまで迫っていた。


 ずぶ濡れで帰って怒られて、着替えて開いた携帯電話。受信を示すランプの元、目に入った一通のメール。

“未希の秘密が知りたければ明日家においで”

 未希のメールアドレスで送られてきたそれは、未希の文章の書き方ではない。

「未希の……、秘密……」

 反駁して携帯を握り締める。明日の予定は、決まった。

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