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弐拾弐夜 絆

 何処か知らない山の中。白い花が咲き誇る背の低い木。風で揺れる木の葉。その音に混ざって、微かに聞こえる泣き声。……ここは何処なのか、誰が泣いているのか、彼女は知らない、分からない。きっとこれは夢の中。懐かしい、夢……。

 鳴り響く目覚ましの音で、彼女は眼を覚ます。寂寥感せきりょうかんと僅かな懐かしさで目を濡らし、彼女――蘇芳飛鳥は差し込む朝日に目を細めた。あれは一体、どこだったのだろう……。


 夏休みは普段できないことを行うチャンスが多い時期である。部活でのスキルアップを狙ったり、ボランティア活動に参加したり、遠方に旅行に行ったりと長い休みならではだ。

 いろんなことができる、とふわふわ考えながら結美は携帯を耳にあてていた。呼び出し音は、すでに十回を超えている。

「む。まだ部活が終わってなかったかな……?」

『終わっているが、なんだ?』

 延々と続くコール音に飽きて切ろうとしたところで電話が通じ、待ち人にしっかりと自身の独り言を聞かれてしまった。独り言に返された言葉に驚き、上がった奇声に電話の相手は機嫌を悪くしたようだ。先ほどよりも声のトーンを落として声で結美に言う。

『用がないなら切るぞ』

「わぁー!! 待った! 未希待った! 用があるから電話したんだって!!」

『……なら、早く言え……』

「今週の日曜日、キャンプ行かない?」

『……は……?』

「キャンプだよ。未希? 大丈夫?」

『……あぁ……。だが、何故急に?』

「ん~~……。京香から誘われたんだ。下見ついでに、って」

 子ども会でするキャンプに、ボランティアで参加する京香から、下見とリハーサルを兼ねたキャンプに誘われた話を、結美は未希に手短に話す。話を聞いた未希が、何か悩むような声を出す。

『……結美、今の時点で山口さん以外に誰が来るか把握しているか?』

「ん? 一応分かるよ。中条君と浦木君と……、あ、あと如月君と蘇芳さん」

 結美のクラスメイトである浦木陽平は、しょっちゅうボランティアに参加している。今回もその流れで参加したのだろう。結美が知らないと言えるのは、如月翔也と蘇芳飛鳥だ。が、未希はその二人の名を聞いた途端、何とも言えない唸り声を上げた。

『……如月と、蘇芳も来るのか……』

「……? どうかした?」

『いや……、ただ……、いや、何でもない』

「ふぅん……。まぁいいや。来るんでしょ?」

『……あぁ……』

 悩んでいた割にはあっさり行く、と返事をした未希に対し、電話越しに多少声を落として歓声を上げる。その声がひどくうるさかったのだろう。電話越しに未希がうるさい、と呟くのが聞こえた。

「ごめんごめん。じゃ、持ってくる物とか、集合場所はまたメールするね!」

『……分かった……』

 高揚する気分とは裏腹に、あの未希がすんなり承諾したことが気にかかる。だが、結美はそれを深く受け止めずに電話を切った。


 キャンプ当日。結美は山登りにふさわしい格好で、集合場所の広場に来ていた。集まる大人の中に見知った顔を探しながら、そのなかを行ったり来たりしていると、不意に何かの呻き声が背後から聞こえた。ビクっとして振り返る結美だが、呻き声をあげた何かを見つけられずに首を傾げる。

「気のせい……かな……?」

「あ、いたいた! 結美、こっちこっち!!」

 独り言をかき消すように反対方向から彼女を呼ぶ声がする。そちらを向くと、京香が大きく手を振っているのが見えた。その周囲には同級生が固まっている。京香に対して手を振って答え、そちらへ駆け寄る。キャンプの参加メンバーに変更はなさそうだ。

「ヤッホー京香! もしかして、私が一番遅かった?」

「ん? まぁそうだけど、集合時間内だからカウントしない」

「うはぁ。みんな早かったんだ」

 京香と話す結美の目がふと誰かと話しをする未希を捉えた。

「あれ、珍しい。未希が鎌原さん以外の人と話してるなんて」

「……目聡い……。さすが結美……」

「さすがって……」

「あの二人は佐伯さんのクラスメイトで、如月君と蘇芳さんだよ」

「仲いいのかなぁ?」

「本人に聞けば?」

「確かに」

 京香と話している間集合の声がかかって、点呼が行われた。その後広場を出発、キャンプ地となる山に向かった。


 緩やかな上りが延々と続く登山道で、結美と未希は二人並んで最後尾を歩いていた。別に二人の足が遅いとか、疲れているとかそういうわけではなく、ただ自然と、二人は前との距離を大きく開けて最後尾を歩いた。前との距離は、大声を出せば届く程度だ。

「ありゃ? 前と凄く離れたね」

「ああ、そうだな」

 息一つ乱すことなく、話しながら山道を歩く。斜面は緩やかで、木の根にさえ気をつければ比較的歩きやすい。木漏れ日の眩しさに目を細め先を歩く。その先に、何か動物を見かけた気がした。その動物は、白っぽい耳をピンと立てるとどこかへ走って行ってしまう。その背を追おうとした結美は、誰かに肩を捕まれはっとした。

「……み、……ゆ……み! おい、結美!! しっかりしろ!」

「……え? 未希?」

 突然揺さぶられ、結美のぼやけた視界が戻ってくる。目の前には、心配そうに顔を覗き込む未希の顔がある。

「大丈夫か?」

「あ……、うん、大丈夫。ぼおっとしただけ」

「……そうか…… 」

 怪訝な顔はされたが特に追及される事はなく、二人はまた山道を歩き出す。前とは大きく距離が空いている。焦って山道を駆け上がると、先頭はすでにキャンプ場に着いていて、少しばかり遅れて二人はキャンプ地に入った。


 休憩の後、男子はテント張りに、女子は料理に取りかかる。テントの方は順調だが、料理の方は問題が起こった。料理用に持ってきたはずの水が足りないと言われのだ。

「水が足りないのか? ならこの下の川から汲んで来ようか?」

「え? この山、川が流れてるの? なら、佐伯さん、お願いするね!!」

「ペットボトル一本でいいのか?」

「うん、よろしく!」

「分かった」

 未希の背中を見送って、料理の続きに取りかかる。とはいえ、作る物がカレーライスとなるとやることは限られていた。大方の野菜の皮は剥かれているから、煮えやすいように切って鍋に入れる。後は炒めて、煮込むだけだ。

「……佐伯さん、行かなくても大丈夫だった……」

「京香……? どうかしたの?」

「水、充分足りたよ……」

「まぁ……、ドンマイ……」

「ねぇ結美、探してきてくれない? 階段がそこにあるから、そこ下りたんだと思うし……」

「……マジで……?」

 真剣な顔をして言われれば、流石に嫌とは言えない。更に、戻りが遅いと思っていたこともあり、彼女は未希を追って階段を降りて行った。

 急な階段に気をつけながら下へ降りると、すぐに川のせせらぎが聞こえてきた。だが、この場所からでは水辺に近付くことが出来ない。上流か下流か、どちらかに行けば水辺に近付けるだろう。

「う~ん……。どっちに行ったんだろう、未希……」

 悩んだ結美は、上流側から見てみる事にした。そこは草が刈られていて通れるようになっていた。沈み行く夕日を前に目を細め、彼女はようやく水が汲めそうな場所を見つけた。対岸から大きな岩がせりだしたそこに未希の姿は無い。

「下流の方だったかな? 失敗したなぁ……」

 呟いて戻ろうとした結美は、誰かに呼び止められた気がして川の方を振り返った。が、誰も居ない。しばらく視線をさ迷わせると、大きな岩の上に誰が座っているのを見つけた。白い着物を着て、長い黒髪を風に遊ばせる裸足の女性がいる。結美はそれが誰なのか知らない。知らないはずなのに、その姿に懐かしさを覚えた。

『どうしたの……? こっちに来たら、――――』

“そうだな……。待っていろ。すぐに、そこへ……”

「結美、待て!!」

 女に言われるままに、彼女は川に足をいれようとした。が、その直前に誰かに引っ張られ、その人の腕の中に抱かれる。腕の方を見ると、険しい顔をした未希が、岩の上の女を睨み付けた。

「去れ。この者はやれぬ。去れ!!」

(……そっか……、今はその子か……。大切にね……)

 頭の中に聞こえた声に、結美は我知らず頷いた。岩の上にに座る女は、寂しそうな笑顔を浮かべ、紅色くれないいろの空に消えた。女が消えたのを確認し、未希は結美の手を握りしめて来た道を戻って行く。

「探しに来てくれてありがとう。すれ違ったことが悔しいな」

 礼は言えど、友人はこちらを振り向かない。早足で結美を引っ張って行く。結美は、そのスピードについて行けず転びそうになっている。文句を言おうと口を開きかけたが、未希に先手を捕られて謝られた。

「謝るくらいなら、スピード緩めてよ!!」

「もう少し辛抱してくれ。もう少しで、逢魔が刻を抜ける。……日が沈む前にキャンプ場に戻りたいがな……」

「逢魔が刻って……」

「黄昏時のことだ。……山や川は時に境界になる。魔のモノどもに逢いやすいこの時間に、一人で動くのは危険だから……」

 それを聞いても幾分か納得できないが、未希のスピードに合わせて小走りになる。そして二人は、日が沈む前にキャンプ場に戻れた。

 その後、皆で作ったカレーを食べ、ささやかなレクリエーションを行い、消灯となった。


 ――――古ぼけた茅葺き屋根が並ぶ集落。その中で一際大きく、周りと比べて立派な家の裏に彼女はぼんやりと立っていた。目の前には、白い動物――狐が伏せている。その狐は、細心の注意を払いながら家の中の様子を伺っていた。狐の背中越しに、彼女も中を覗く。中では初老の男を筆頭に、数名の男たちが何か話をしていた。

「山下の集落は――」

「次は我々の――」

「村長、かくなるうえは――を……!」

「だが――も出しは――」

「――がいる。――を出せ!!」

「ちょうどいい。――は――もいない」

「そうだ!! そうすれば――」

「村長、どうしましょう?」

「――を――としよう。――と後に楽だ」

 話は途切れ途切れにしか聞こえなかったが、狐にはすべて聞こえたようだ。隠れていたにも関わらず、弾かれたように走り出す。ぼんやりする彼女の耳に、草を踏み分けて走る狐の声が聞こえて来た。

『急がなきゃ……、急がなきゃ……! あいつが、――が……! 絶対に助け出す!!』

(誰のこと……? 名前が聞こえない……)

 もっと良く聞こうとして、彼女は狐を追おうとしたが、足が縫い止められたように動かない。もがく少女は、後ろから引っ張られ背中側へ倒れそうになる。

“ダメだよ。ここはあなたの刻じゃない……。さぁ起きて……。あの子を助けてあげて……”

 どこかで聞いた声と共に、彼女は暗闇の中へと堕ちていった――――。


 落ちるような感覚に、結美は毛布を蹴りあげて飛び起きた。心臓が痛いほど騒ぎ、呼吸が乱れる。叫び声を上げなかったことに内心拍手を送り、枕元に置いた懐中電灯に手を伸ばす。何故か無性に、今自分がどこにいるのか気になったのだ。

「テントの中……だよね……?」

 懐中電灯で中を照らしながら、結美は呟いた。確かに、ここはキャンプ場に張られたテントの中。ただ、静かなだけだ。

「未希ごめん、起こしたね……ってあれ?」

 突然明かりを付けたことに、同じテントで眠る友人に謝るが返事がない。気配すら感じないことに戸惑いつつ、自身の隣を照らす。そこに人の姿はなく、丁寧に畳まれた毛布と、乱雑に開かれたリュックサックがあるだけだ。

「未希……? どこ行ったんだろう……」

 調べるためにそのリュックを照らすと、懐中電灯が無いことが分かった。後は何かを取り出した形跡が残っている。妙な胸騒ぎを覚えて彼女も、懐中電灯と未希に言われて持ってきた、仕事道具が入ったポシェットを取ってテントの外に出る。だが、未希がどこに行ったか検討はつかない。

「テントの付近にいるわけ……、ないよね……。ってあれ?」

 外に出てすぐ、結美は暗闇の中にぼんやりと発光する白い狐を見つけた。狐は結美を見ると立ち上がり、まるでついてこいと言わんばかりに尻尾を振る。未希の式神だろうと思った結美は、その狐の後を追うことにした。

 狐は、結美が見失わない程度離れて道案内をしてくれる。その後を追って階段を下り、川の上流へ向かって走る。岩がせりだした川岸のさらに上流。そこに、彼女の探し人が立っていた。だが、様子がおかしい。

「凄い殺気……。こんなに殺気立つのも珍しいよ……」

 道の傍の草むらに身を隠し、様子を伺う。彼女をここまで案内した狐は、いつの間にか姿を消していた。が、結美はそれに気づかない。唐突に膨れ上がった殺気に、身を震わせただけだ。

 動かなかった未希が突然、長い太刀を構えて真空の刃を対岸に放つ。その攻撃を避けたのは足先だけが青い、白い狐だ。それは三つの尻尾を立てて、青白い火の玉を立て続けに飛ばして未希を攻撃する。その反撃に突きを放てば、狐は刃の上にひらりと飛び乗り、至近距離から爪で攻撃する。見ていて目が回りそうになるほど、お互いの動きが速い。

「凄い……。でも止めないと……。別の何かが来る……」

 背筋を駆け抜けた悪寒に、結美は目の前の戦闘を止める決意をする。嫌な予感がする。攻撃が重なる瞬間を狙い、取り出した札を投げる。双方の攻撃が、札に吸収された。

「双方そこまで!! 武器を引け!!」

「結美!? 何故ここに…!」『小娘!! 何故邪魔を!!』

「説明したいけど、私の勘だし。止めた理由は察して!」

『それで済むと思って……』

「うわぁぁ!! 蘇芳さん、ダメだって!!」

「「え?」」

 二人と一匹の会話に、突然別の声が入る。未希はその声に覚えがあるようだ。全員が声の方を見ると、焦点の合わない虚ろな目の少女が覚束無い足取りでこちらに歩いて来るのが見えた。その後ろからは小柄な男子が追ってくる。

「蘇芳? 如月? なにがあ……ぐっ……!」

「あ……、頭が割れる…………!!」

「うわわわっ、地面が回る!」

『おいっ、くっ!』

 二人がこちらに来ようとし、未希が駆け寄ろうとした瞬間、嫌な音が周囲に響き渡り、地面が揺れた。それらが治まると、全員が顔を上げて自分たちの目を疑った。その場所は、さっきまでいた川岸ではない。無かったはずの滝と、流れる川は紅く染まり、木々も立ち枯れているものや、朽ちているものだらけだ。その異常さに、未希は太刀を、結美は札を掴み、狐は三本の尻尾を逆立てて身構える。

「何処だろう、ここ」

「……閉ざされた結界か、時間を跳んだか、誰かの記憶で構成された場所か……。いずれにせよ、まずいことには変わりない……」

『我ガ贄ニエは何処ゾ……』

 身の毛がよだつ、おぞましい声が朽ちた木々の向こう側から響いた。その声は地面を揺るがし、流れる水を跳ね上げる。身構えた結美は、木々の隙間から見えたその姿にぞっとした。鬼のようで鬼ではない何か。半分溶けた身体で枯れ木を薙ぎ倒し姿を現したそれは、虚ろな目の少女を見て歪な目を更に歪めて嗤った。

『贄……。我が贄ヨ……!』

「……! だめ! させない!!」

 竦みかけた足を叱咤し、結美が二人の前に立ち即席の結界を張る。しかしそれは、鬼のなり損ないの太い腕で容易に砕かれ、結美自身もその腕で殴られ大木に打ちつけられる。意識が飛ぶ刹那に聞こえたのは、未希が己を呼ぶ声だった。


 滝壺に近い大木に、目隠しをされた白装束の子どもが繋がれていた。その幼子の髪は紅い月の光を反射して赤く煌いている。項垂れる子供に動く気配はない。眠っているのだろうか、と彼女は思ったが、こんな異様な状態で眠ることは出来ないだろう、と考え直す。動かない足を恨めしく思いながら考えていると、不意に何かが草を掻き分けて来る音が聞こえた。それは丁度、子どもの後ろからだ。

『怖い……。コワい……。助けて……、誰か……。タチバナ……』

 幼子の震える声が、彼女の耳に届く。彼女はその名に疑問を浮かべた。……花に助けを求めてどうするのだろう、と。やがて草を踏む音が近づき、青々と茂る木々の間から大きな黒い鬼が現れた。

『ほぅ、これは上質。この肉を食み、血を啜り、魂を喰らわば、我にかなう者は居なくなる。あの大妖――――も敵ではない!』

 ダミ声で叫ぶその音に混じり、かなりの速度で草を掻き分ける音が対岸から聞こえる。程なく姿を現したのは茶色い髪の少年。彼は着くが否や、指先に灯した青っぽい火の玉を黒鬼に投げつけた。が、鬼はその火の玉を刀の一振りで簡単に払い除ける。その際に、幼子に付けられた目隠しが切れて、星の見えない夜空に舞い上がった。目隠しの下の目は、燃えるように紅い。その目が真っ直ぐに狐を見て、恐怖から開放されたように笑った。

『タチバナ……、ぁ……』

 だが、その笑みもつかの間だった。舌なめずりした黒鬼の刀が、安心したように笑った幼子の胸に突き立てられたのだ。目の前で散るあかに少年の悲鳴が重なる。その声は、どこかで聴いた白い狐の声と同じ。

『許さない……、許さない……! よくも、よくもスオウを……!!』

(え? “蘇芳”?)

 少年が叫んだ名を、彼女は知っている。では、鬼に殺されたこの幼子は……?

 彼女が混乱している間に、茶髪の少年は小さな川を飛び越え黒鬼に爪を立てて襲い掛かった。鬼は刀を翳して少年の一撃をかわす。一進一退の攻防戦が、彼女の目の前で繰り広げられている。その戦闘を見て、彼女はようやく思い出した。自分が何者なのか、どうして“蘇芳”という名に覚えがあるのかを。

(戻らないと……! ここは“私”の時間じゃない!!)

 頭で分かった途端、足元に穴が空いたような感覚と共に彼女の意識は闇に沈んだ。


 ずいぶん長く気絶していたようだ。痛む身体を何とか起こした結美は、結界を維持する未希に掛ける言葉をなくした。張られたそれは絶えず鬼に殴られ、ひびが入っている。

「……おはよう、結美。まだ深夜だがな……」

『ほぅ、かつて神と崇められただけあるのぉ』

『我らが力を貸した結界かべに、ひびを入れるとは』

 冗談を言える状況ではないのに、未希は起きた結美のほうを向いてほんの僅か笑う。彼女を挟むように立つのは、鎖帷子くさりかたびらを身につけて巨大な槌を持つ初老の男と、天女のような美貌で、羽衣を纏う女性。二人とも、人ではないことは一目瞭然だ。

「すまない、玄武げんぶ天后てんごう。もう少し、結界を強化できないか……?」

『ふん……、これ以上の手助けをわらわに望むか? それは傲慢ぞ。そなたを主として認めてはおらぬ』

「……そうだったな……」

「十二……天将……?」

『そうです。彼らは十二天将の玄武と天后です。守護の力に秀でた将ですよ』

「勾陣さん……。……! 結界が!!」

 会話をしている間にも、結界のひびは大きくなり今にも突破されてしまいそうになっている。なんとかしてこの状況をを変えなければ。

「未希。蘇芳さん……、前世では生贄にされたみたいなの。このこと、なにか役に立たないかな?」

「生贄……? そうか……。だからあの狐は、こいつを命がけで……! おい、空狐! お前は、あの野狐ことを知っていると言っていたな?」

『何を今更!』

「教えろ! その狐の名前を!」

『気安く野狐と呼ぶでない! 我が友タチバナは、ただ一人の人間の女の魂を永劫守る、と誓いを立てた気高き空狐ぞ!』

「タチバナ……!」

「ようやく分かった……。何故飛鳥が、こんなにも妖に付き纏われるのか……。飛鳥からまだ、生贄の本質が抜けてない! たとえ低級の、妖上がりの奴でも、崇められれば神になる。この国特有の信仰が、こいつを生贄の魂に縛ったんだ。妖だろうと堕ちた神だろうと、この魂は極上の食事……!」

 彼女が狙われる理由、普通ではない力を持つ鬼、何故こうなってしまったのか、状況は把握できた。しかし、だからと言って状況が好転したとは言えない。結界のひびは更に大きくなり、未希の額には玉汗が浮いている。結界はもう持たない。

『……そうか、タチバナよ。お前は、守るべき者を守って命を……』

「空狐?」

『気に入らぬが、力を貸そう……。我が狐火で、奴の気を逸らす。……打開策は、あろう?』

「……」

『その顔、あれども言わぬ、という顔よ?』

『いっそ賭けであろう、やってみよ。……その前に、一つ。神は、より上位の神でなくば殺せぬぞ?』

 結美にとって、今の言葉は初耳だった。もっとも、神を相手にすることがないのだから、当然といえば当然なのだが。

「だが、神の加護を受けた物、あるいは使用した物でも、神は殺せる……。勾陣!」

『はい』

「矛を……。頼む……」

『重い……ですよ?』

「構わん」

 無言で未希は、渡された勾陣の矛を両手で持った。かなりの重量があるらしいそれを、彼女はくるりと一回転させた。持ち心地を確かめて空狐を見る。小さく首を動かした空狐は、三本の尻尾それぞれに青白い狐火を灯し結界の外へと飛び出した。そして、灯した火の玉を結界を壊すことに夢中の鬼に投げつける。それらは全部鬼に当たり僅かに背を焼いた。怯んだ隙を逃さず、今度は未希が結界を飛び出して矛を振るう。しかし、重量のせいか上手く使いこさせていない。矛に振り回されている。隙を狙うように、鬼が錆びた刀を振りかざす。お互いに当たりはしないが、未希が劣勢になるのは火を見るより明らかだ。

「……いやだ……。見てるだけなんて……!」

『攻撃手段を持ってなかろう。ここは見守るほかあるまい?』

 玄武が大槌を前に出し牽制するも、結美は唇をかみ締めるばかりだ。そう、いつも後ろで見ている、そんな気がする。力が欲しい、彼女と並ぶだけの力が……。胸に湧き上がる思いが、未希が体制を崩した瞬間爆発した。その意志を形にしろ、と未希がかつて教えてくれた、それを実行して……。制止を振り切って結界を飛び出した結美の手には、蒼いリボンのような飾りがついた槍が握られていた。

「未希、加勢する!! 見てるだけなんて出来ない!!」

 怒号と共に鬼の刀を弾き飛ばす。だが、けん制程度の力では、刀を手から弾くことまでは出来なかった。頭にきたらしい鬼は、乱入してきた結美に狙いを定め刀を薙ぐ。その攻撃をかわし、槍の柄で刀を持つ腕を力一杯叩く。右に左に、何故か手に馴染むその武器を操り、鬼を追い詰めていく。

「結美、すまない。助かった!」

「それは、無事戻ってからね!」

「ああ」

 叩くと見せかけてなぎ払い、突くと見せかけて斬る。トリッキーな槍の動きに、未希の矛が突き出される。もはや、攻撃の予測は出来ない。追い詰められた鬼は、もう満身創痍だった。

「これで……!」

「とどめだ……!」

 突き出された矛と槍が、鬼の身体を貫いた。耳障りな悲鳴をあげて、鬼は身体を溶かしながら膝を突く

『……貴……様……ラ……。何……者、だ……?」

「「陰陽師」」

 二本の得物を身体に突き刺したまま、異口同音に二人は答えた。崩れ落ちた鬼が、それを聞いていたのか分からなかった。そして、鬼を滅したからだろうか、彼らはもとの場所に戻っていた。

「さて、これであの鬼退治は終わったわけだが……。まだ、蘇芳飛鳥のことが残ってる……」

 勾陣の槍を返し、未希はそっと呟いた。飛鳥の魂がこのままでは、またいつそういったモノが襲ってくるか分からない。そう考えているのだろう。

「まかせて、未希……」

 無意識に、結美は呟いた。驚く未希を他所に、結美は気絶する飛鳥の横に跪く。そして、彼女の携帯に結び付けられたお守り手に取り、唇を寄せて一言小さく呟く。すると、そのお守りから小さな白い狐が飛び出し、飛鳥の胸の中に吸い込まれるようにして消えた。

「これで大丈夫……。あのこが、スオウさんを守るよ……」

 静かに言う結美に、未希は少し不安そうな目を向けたが何も言わず、ただありがとう、とだけ呟いた。

「如月も、ありがとう。飛鳥の傍に居てくれたおかげで助かった」

「ううん、僕は何もしてないよ。じゃあ、先に蘇芳さんを連れて帰っとくね」

「いや、一緒に戻ろう。迷われても困る」

「そうそう。もう戻らないと、不味いしね」

 穏やかに会話しながら、彼らはキャンプ場へ向かい早足で道を歩いた。



「ねぇ未希、橘の花言葉、知ってる?」

「……何を急に……。寝れないか?」

「……まぁね、で、知ってる?」

「いや、知らない」

「橘の花言葉はね、“永遠”なんだよ」

「……そうか。なんだろうな、この一致は。必然だったのか……?」

「偶然だよ……。きっと……」

 テントの中で、二人は小さく笑う。あの狐の誓いは、永遠に守られるのだから。


 ……不思議な夢を見た。何処か見知らぬ山の中。低い木に咲く小さな白い花を摘み、茶髪の少年の短い髪にその花を飾っている夢を。その夢は、とてもしあわせだった。少年が笑う、幸せそうに。そして言った。花を飾った少女わたしに。

「ずっと一緒だ。何があっても、俺が守るから。ずっと一緒にいよう。……あの時は約束守れなかったけど、もう何があっても破らない。一人には、させない」

「うん……。ありがとう……。大好きだよ、タチバナ……!」

 夢の中で、彼女わたしは泣きながら笑った。本当の幸せを得て、心の底から微笑んだ。


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