拾八夜 猫
大変……大変お待たせいたしましたぁぁぁ!!(土下座)テストとレポートと夏の暑さのせいで一向に進みませんでしたぁぁぁ!!(スライディング土下座)
と、いう訳で波乱の夏休み編第一話、拾八夜 猫、お楽しみ下さい!
涼しくならない夏の夜。半月の月の下で、尻尾の長い黒猫が屋根の上で月を見ていた。
「私の……、子どもは何処……?」
小さな声で呟くと、猫は尻尾を揺らして屋根から降りた。
夏休みに入ってすぐの部活というのは、大体やる気が出ないものである。それは、運動部であれば試合や大会が、文化部であればコンクールや発表会が、もうすぐある場合もあまり変わらない。
冷房の効きすぎた書道室から出た結美は、室内と室外の気温差に思わずため息をついた。激しい温度差に体調が崩れそうである。
「寒いと思ったら暑い。暑いと思ったら寒い。どっちかにしてよ、もぅ……」
呟いた言葉は眩いばかりの日差しの中に、誰の賛同も同意も得られず消えていく。だがそれは結美自身の、部活が終わったからいいや、という言葉に消去された。肩からずり落ちそうなカバンを持ち直し、下足場で靴に履き替えて、彼女は日が燦々と照る中帰路についた。
正午に近い陽から降り注ぐ熱は絶え間なくアスファルトを焼き、靴を通じて足を熱している。足底から体力を奪われる感覚にうんざりしながらも、結美は自宅への道を急ぐ。
「……暑い……。暑すぎる……。今年の夏は暑すぎる……」
暑いを連呼しながら、暑すぎて歩く人がいない道をひたすら早歩きで歩く。その道の先、陽炎が揺れるその端に、何かが倒れているのを彼女は見つけた。近寄って見て見ると、倒れているのは黒い子猫だった。外傷は無く、小さな腹は小刻みに上下している。まだ生きている、そう気付いた結美は、自宅まであと少しの道のりを全速力で駆け抜けた。そして家の鍵を開けて中に飛び込み、扇風機を強で点けて子猫を寝かせる。その後、氷枕を作ってタオルを巻き、一旦寝かせた子猫の下に置いて再度寝かせる。
「多分、暑くて倒れたんだ……。冷やせば起きるかな……?」
心配そうに子猫を看る結美は、扇風機の角度を変えたり、氷枕に巻いたタオルの数を減らしたり、小さな口を湿らせてみたりと甲斐甲斐しく看病する。そのかいあって、子猫はすぐに目を覚まし元気に鳴き始めた。その元気になった姿にホッとし、結美は子猫に手を伸ばし小さな頭を撫でる。嬉しそうな猫に彼女の頬が緩んだその瞬間、空気を読まない短い無機質な電子音が部屋の中に響き渡った。音源は、遠くに放り投げた部活用のカバン。怒りを堪えながらカバンを引き寄せ、中にある携帯電話を探り出す。携帯電話にはメールが受信されており、差出人は修司だ。しかも、題名が依頼について、である。厄介ごとであることが一目で分かり、結美は舌打ちしてじゃれ付く子猫を抱き上げる。
「……行きたくないよぉ……。でも、行かなきゃだめだよね……」
抱いた猫に結美は問うと、猫は当然だ、と言わんばかりに鳴く。仕方ない、と呟いた彼女は制服から動きやすい私服に着替え、“仕事”用の小さなカバンに携帯電話と何枚かの札、そして抱えた猫を入れて自宅玄関に鍵をかけて事務所に向かった。
一番暑くなる時間帯に事務所に着き、素早くドアを開けて中に入る。事務所の中はかなり涼しい。ホッとしたところで鬼女が出てきて、奥に入るよう促された。素直に従う結美のカバンの中から猫が顔を出し、鬼女を見て警戒心をむき出しにしてうなり声を上げる。そんな黒猫をなだめる様に撫でながら、珍しく整理された部屋に内心驚きながらも、彼女は空いた椅子に腰を下ろした。
「やぁ、結美ちゃん。早かったね」
「……こんにちわ、所長。……で、依頼って何ですか?」
「そう急がせなくてもいいじゃないか。簡単に言えば……そう、ちょっとした、猫がらみの依頼……だよ」
結美のカバンから顔を覗かせる子猫を見て、彼はふっと微笑する。彼女はその顔を見て、来るんじゃなかった、と密かに呟いた。
空き家の猫退治という、どう考えても“自分達”の仕事ではない依頼に、結美は何度目か分からないため息をついた。子猫はそんな彼女を慰めるように、自身を撫でる指を舐めている。
「あー、もう! どう考えても動物愛護団体の仕事だよ!!」
独り言を大声で言い、猫を撫でながら、結美は大量の野良猫が居座る空き家に向かって歩いていく。その空き家は、自分達が通う高校の近くにあるという。家の前やその家に至る道を通る通行人を、野良猫が片っ端から襲って危険だ、という理由から、修司の元に依頼が来たらしい。が、いくら考えてもやはり、自分達の仕事ではない気がする。
「はぁー……。もう! 帰ろっかな……」
「……結美……? 何をしているんだ……?」
入道雲がわく夏の空に向かって呟いた結美の耳に、聞き知った女の声が届く。彼女がキョトンとしたまま声のほうを向くと、見た目に暑そうなジャージを着た未希が、いつもの無表情で立っていた。
「あれ、未希? 部活はどうしたの?」
「暑すぎて急遽中止。……結美……、それを持ったまま近づくな……」
「それ?」
結美が首を傾げるのと、カバンから顔を出している猫が鳴くのはほぼ同時。鳴いた子猫に対し未希は、何処からともなく取り出した、普段使うより長い太刀を何の躊躇いもなく向けた。その切っ先が狂いなく猫に向かった為、結美は慌ててカバンを持って後ろに飛び去る。刃を向けた友人は、何食わぬ顔をして太刀から手を離しててそれを消した。状況が分かっていないのはカバンの中の子猫で、可愛らしい声で楽しそうに鳴いている。しかし、楽しそうな猫とは逆に、二人の間の沈黙は重い。数分続いた沈黙を破ったのは未希の方。
「……その、黒い毛玉はどうした?」
「毛玉って……。猫だよ。もしかして……、未希猫嫌い?」
ギラギラと輝く太陽が、一瞬大きく育った入道雲に隠れた。友人は問いかけに対して無言を貫いている。結美は友人のその態度が何を示しているのか分かり、にんまりと笑った。そして、自然体で立つ未希の腕を掴み駆け出した。振り払えないように細い腕を強く握り締め、左肩のカバンが落ちないようにしながら全力で引っ張る。引っ張られている未希は、珍しく驚きを隠せていない声で結美に怒鳴る。
「おい! 何処に連れて行く気だ?!」
「猫がいっぱいいる良い所」
「断る! 猫退治の依頼なんぞ、知ったことか!」
「依頼なんて、一言も言ってないけど?」
「うるさい! 周りを見れば分かる! 猫が路上に増えてきている!!」
未希が言うとおり、二人が走る道の両端には野良猫が溢れかえっていた。しかし、結美が聞いた情報のように襲ってこない。どの猫も、彼女のカバンから顔を出す子猫を見て道を開けている。互いに言い合う二人はそれに気付きながらも、特に気に留めることなく空き家の前で足を止めた。
「ここまで来たんだから、付き合うよね?」
「……くっ、策士が……」
苦虫を噛み潰したような顔で、未希は渋々頷いた。してやったりと微笑む結美のカバンから顔を出す猫は、のんびりと長い尻尾を振っている。その猫を愛おしそうに撫でる結美と、忌々しそうに見やる未希との間の温度差はかなり激しい。
「さて……と、元凶は何かなぁ~……?」
「……結美。その毛玉……、何かおかしい」
「未希? なにがおかしいの? 後、毛玉言わない」
「……その……猫、尾が二つに『私の……子供……』
未希の言葉を遮って、疲れた女の声があたりに響く。その声に、家の周りにいた野良猫達が、二人を囲んで一斉に攻撃態勢を取る。何がなんだか分からぬ二人は、とりあえず何処から攻撃されても対応出来るように背中合わせに立つ。今にも襲い掛かってきそうな野良猫達は、未希が放つ殺気に二の足を踏んでいる。
「結美、その毛だ……猫を下に降ろせ。戦闘になったら、……守れないぞ……」
「……了解……」
未希が殺気で猫を足止めている間に、結美はカバンから猫を出して地面に降ろす。降ろされた猫は彼女の足に自らの身体をこすり付けた。その子猫の尻尾は二つに割れている。野良猫はそれを見て戸惑ったのか、空き家と二人を交互に見ている。
「……やっぱりな……」
「何が、やっぱりなの?」
「このけ……猫は、猫又だ」
「猫又?」
「猫の妖しだ。長寿の猫は化けるという伝承がある。山に住んでいるという話が多いが、人が飼う猫が化けて、山に住んだらしい。……分かる……?」
「さっぱり」
「だろうな……。猫又については詳しくない」
「猫嫌いだもんね」
「煩い」
「ところでこの状況、どうするの?」
「簡単だ……」
二人はお互いに肩越しで視線を合わせ、結美は野良猫に、未希は空き家の物陰に視線を動かした。結美の足元にいた子猫がいつの間にか未希の足元におり、草が生い茂る玄関前に目を向けている。未希は一瞬だけ憎しみのこもった目で猫を見たが、すぐに表情を消して子猫が見ているほうを見た。
「猫又よ。お前の子どもは見たとおり無事だ」
『……』
「この黒い……猫は、お前の子だろう?」
未希は酷く冷たい声で、草陰に隠れているであろう親に向かって子どもの無事を告げる。それに呼応するように、猫又の子どもは一声高く鳴く。その声に野良猫は囲いを崩し、草陰からは大きな黒い猫がのっそりと現れた。その猫の尾も、二つに分かれている。
『あぁ……! 私の子ども……!!』
猫又は喜びに声を震わせて子どもに駆け寄り、分かれた尻尾で子どもの身体を撫でている。子どもも母親との再会を喜んでいるようで、しきりに身体を母親にこすり付けている。喜ぶ二匹を見守る結美も、どこか嬉しそうだ。
「良かったね、あの子、お母さんに会えて」
「……」
「未希?」
「いや、何でもない」
依頼を解決するのに時間が掛かったせいか、辺りはもう日が沈みかけている。その紅い陽に照らされた未希の顔が、結美から見えない。
「未希、やっぱり何かあった?」
「だから、何だ? まぁ、これでお「あの、頼みが……」
またも未希の言葉を遮って、いつの間にか近くにいた猫又が二人に向かって声を掛けたのだ。キョトンとする結美と嫌そうな顔をする未希を交互に見て、猫又は二股の尾を振った。
『わが子と離れ離れにならなくてすむ場所がほしいのです。何処か……知りませんか……?』
予想外の質問に、二人はお互いの顔を見合わせた。結美の頭に浮かんだ答えは、自宅、というものだったが、妖怪とはいえ猫を二匹飼うスペースは結美の家にない。かといって、猫嫌いの友人に母子を任せるわけにはいかない。
「未希、どうしよう……?」
「結美の家は多分じゃなくて、絶対に無理だろう?」
「うん……。でも未希は……」
『あの、何処か思い当たる場所はありませんか……?』
悩む二人に痺れを切らし、母猫が不安げに聞く。子猫も何処か不安そうだ。答えが出ないままではいけないと、結美は家においでと言おうとした。が、それを制して、未希が口を開いた。
「うちの神社の森なら、他の妖しや人間を気にしなくて済む」
『本当ですか?!』
「ああ。ただし、社殿と自宅に近づくな。それが条件だ」
猫又は未希の出した条件を飲んで快諾した。交渉が成立した時点で、野良猫達はいなくなっていた。オレンジ色の夕日が、二人と二匹を優しく照らしている。
「これでようやく、依頼完了?」
「そう……だろうな……」
日が暮れた黄昏の道を、猫の親子と一組の人間が連れたって歩いて行った。
その後、結美は神社の森が野良猫の集会所になった、と未希から泣き言を聞くことになる。