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夏空  作者:
番外編
93/94

右腕と共に散った夢

神谷功・神鳥哲也、2人の怪物が聖地・甲子園を席巻する10年前。

甲子園に現れた一つの高校が高校野球の勢力図を塗り替えた。

秋の神宮を予選から無敗で制覇、初出場の春の選抜では他を寄せ付けない圧倒的な力で優勝。夏も激戦区の愛知県を制し甲子園へ帰ってきた、『舘鳳高校』

後に伝説として語り継がれる名門で青春の全てをかけた男たちの若き日の物語。


 灼熱の光が雨となって降り注ぐ甲子園。舘鳳高校のエースナンバーを背負う加地幸一はベンチから身を乗り出した。夏の選手権決勝戦、一点ビハインドで迎えた9回表の舘鳳高校の攻撃。バックスクリーンではすでにアウトを示す赤いランプに二つの明かりが照らされている。


 打席には捕手であり加地の相棒でチームをまとめるキャプテンの久木忠俊。3番の久木が繋げば4番の藤井高志まで打席が回る。エラーで初回に失点した一点が舘鳳高校に重くのしかかり中々状況を打開できずにいた。焦りは悪循環を呼び、相手のペースで試合は進み、気がつけば最終回で追い詰められている。


 ――キーン!



 久木の打球が一二塁間を抜けて行った。彼は一塁に到達するとベンチに向かって右拳を握った。その佇まいからは自信と確信が伺える、『あいつなら何とかしてくれる』と。加地はネクストから立ち上がった藤井を見た。軽くバットを振り打席へと向かう彼に向かって声を投げた。


「頼むぜ!! 俺たちは信じているからな!!」


声に反応した藤井は、加地と視線を合わせると彼は小さく頷いた、『俺に任せろ』と言わんばかりに。藤井が打席の土を均し打席へと入る準備を始める。それを見ていた加地の脳裏に3年間の記憶が蘇る。


 入学した時は野球部など無いのも同然だった。荒れた部室、煙草を吸う部員にやる気の無い顧問。身体を緩く動かしていればいいと思い野球部に入った加地にとっては好都合だった。放課後の時間に自由気ままに身体を動かし汗を流して帰る、そんな生活が3年間続くのだと思っていた。久木と言う男が改革に乗り出すまでは。


 部活を真面目にやろうと訴える久木に反発する先輩部員との対立。何とか先輩たちを説得して出場した予選では優勝候補に大敗、その優勝候補も甲子園では呆気なく負けた。久木についていた同い年の部員も数名、部を離れていった。試合をベンチで見ていた加地には理解できなかったが『現実を見て、甲子園なんて行ける訳ないだろう?』そう言って。ある日、僅かに残った10数人の同い年の部員たちで練習をしている時だった。あの男がグラウンドに降りてきてこう言った。


「俺にも打たせてよ」


 後にチームの4番となる藤井だ。中学ではそこそこ有名な彼が舘鳳高校のような無名校に居た理由が家系の事情と知ったのは夏の甲子園出場を決めた後だった。荒れた野球部に魅力を感じていなかった藤井は再建しつつある部に興味を示しそう言ったのだ。加地に3球三振に仕留められた藤井は加地を打つと言って野球部へと入部。しかも、退任していた知り合いの監督も連れて。


 3年の先輩たちが卒業し本気で甲子園を目指す環境が整ってからは地獄だった。早朝からから練習をし、放課後も夜遅くまで練習の毎日。練習試合も監督のコネを使い強豪校との連戦でハードな試合ばかりだった。しかし、過酷な日々は彼らを強くした。その過酷な日々の中で才能を開花させた加地・久木・藤井の活躍でチームは初の甲子園出場を決めると圧倒的な力でそのまま頂点に駆け上がった。


――キーン!!!


 もの思いにふけていた加地は耳にこだまする金属音で現実へと戻った。見上げると、高く舞い上がった白球が甲子園に押し寄せた群衆に消えてゆく。地響きのように歓声が鳴り、甲子園が揺れる。気がつくと加地は拳を高く突き上げ喉を絞って叫んでいた。4番の起死回生の一撃は聖地の空気を変えた。











「センター!!」


 舞い上がった白球をセンターがしっかりとキャッチした。ツーアウトを示すランプがバックスクリーンに点ると地鳴りのような歓声がまた一段と大きくなった。加地は帽子を取り額の汗をぬぐった。春夏連覇まであとアウト一つ、プレッシャーを感じないと言えば嘘になる、それでもこのメンバーなら行けると確信を持っている。


 間を取るために主審にタイムを取った久木がマウンドまで駆け足でやってくる。マスクを外し左手につけたミットで口元を隠した。


「幸一、次は4番だ。ホームラン以外はOKだから思いきって投げろよ」


「了解」


「……あと一つだ。頼むぜ」


「おう」


 久木がホームまで戻りマスクをつけた。初球のサインは得意球のフォーク。久木と藤井に教わったこのボールは加地の決め球として猛威をふるっていた。落とす場所、落とすタイミング、落とす方向。全てを自在に操る加地のボールはすでに高校生の域を完全に脱していた。


「ストライク!!」


 低めのフォークをバッターは空振りした。この4番には前の打席で二塁打(ツーベース)を打たれている。油断は禁物だと自分に言い聞かせ加地はストレートのサインに頷いた。


 アウトコース低めのストレートが決まり追い込んだ。こうなってしまえば後はどう料理するかだけ、久木の出したサインは決め球のフォーク、同じことを考えていた加地は以心伝心したみたいで少しだけ嬉しくなった。クスッと笑みを浮かべた加地は大きく振りかぶった。この3年間何度、あのミットにめがけて投げただろう。


(全てはこの時の為だ)


 足を上げ、左足を大きく前へ踏み込む。左腕で壁を作り下半身で生み出されたパワーを上半身に伝える、鞭のように右腕をしならせボールを放つ……ハズだった。


――ボキ


 右腕が鞭のようにしなった瞬間、加地の右ひじから鈍い音がした。激痛の信号が身体の神経を駆け巡り脳へと到着する。ようやく痛みを自覚した加地の右腕は指先まで力が入らない。握っていた白球を地面に落とし、糸が切れた人形のように右手をダランと垂らし叫んだ。


「うわああああぁああ!!!」


 その声にただ事で無いと判断した部員たちがマウンドに集まる。騒然する甲子園、ざわつく観客は何が起こったのかを理解できない。視線の全てを集める背番号1の背中は監督に連れられベンチに消えて行った。そして、戻ってくることはなかった。


 その後、逆転サヨナラ負けを喫した舘鳳高校は春夏連覇を逃すこととなった。高校野球に旋風を巻き起こした新鋭校の快進撃はここに終わりを告げた。この悲劇のあと舘鳳高校は愛知の強豪校として名を轟かすこととなるが、その基盤を築いた3人の選手が表舞台にあがることは10年間なかった。


 10年後バッテリーを組んでいた少年たちは聖地で再開を果たす。自分たちの叶えられなかった『甲子園連覇』の夢を監督の立場として。


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