第88話 責務を背負うモノ
食後の一服は至高の一時である。
マグカップに入った、カフェオレはインスタントだが不思議と落ち着く。
「あんた、何1人で一服してんのよ?」
「……お前は、客人じゃないだろ」
「私が来てやってんだから、お茶の一杯くらい出しなさいよ!」
「うるせぇ! 段ボールにつめて関東に送り返すぞ!」
「私に向かってそんなこと言ってもいいのかしら!?
芸能界の力は偉大なのよ、消されても知らないわよ!!」
「完全に手口がヤクザと同じゃねぇか!」
ええい、こいつとこんなやり取りをしていてもらちが明かん!
とりあえず、あらぶる前川を落ちつかせるために台所からマグカップを取り出し湯を注ぐ。
「始めから、そうすればいいのよ」
「一言、多い奴だ」
渡したカフェオレを前川が口に運ぶ。
ふうっと息を吐き、一息置いて彼女は本題へと入る。
「単刀直入に聞くけど、なんでプロへ行かないの?」
夏の甲子園が終わってから何度もされたこの質問。
そして、その答えも何度も解答したものだ。
「俺が野球をやっていた目的はプロへ行くためじゃない。
神鳥との因縁にはケリがついた、もう俺にボールを握る理由は無い」
彼女は強く机を両手で叩いた。
カフェオレが零れ無かったのは奇跡だな。
俺を射抜く蒼い瞳には確かな怒りが感じられる。
春の甲子園の大会中に彼女に関西の街を案内した時、彼女は俺がプロへ行かないと言った後に機嫌が悪くなった。
宿舎に帰った後、淳にその話をすると「そりゃ、お前がプロへ行かんと分かったからやろ」と言われた。
その時はまさかと思ったが、今のこの表情を見ると淳の読みは正解と言えるだろう。
なんで、どいつもこいつも俺がプロへ行かない事に反対なんだよ。
「あんたが神鳥君との再戦をモチベーションにしてたことは知ってる。
でも、その才能を無駄にする気?」
「才能?」
「そうよ、あんたには人には無いモノがある。
それを持った人間は他の人に夢を与えるために、使う必要があるのよ」
「仮に周りがそう思っていても、俺自身はそう思っていない」
「あんた自分が本気でそう思ってるの?」
「どうゆう意味だ?」
彼女は再びソファーに座り、腕を組んだ。
「あんた、最近張りの無い日々に退屈してるんじゃない?」
心臓の音がドクンと大きく鳴った。
彼女の言葉は俺の核心をついたからだ。
しかし、俺には『何故』張りが感じられないのか、『何故』あれほど切望していた平凡な日々に自分が退屈しているのか明確な答えが俺には分からなかった。
「何も返さないってことは図星なようね」
「それと、プロへ行くのは関係ないだろ」
「大ありよ。
あんたは自分を表現できる場所を求めてる。
理屈じゃなく本能がね」
「表現できる場所だと?」
「そうよ。
人は誰しも自分を表現したいと思ってる。
でも、それが許されるのは確かな力を持った人間だけ。
そのために人は努力をして、日々を過ごしていると私は思ってる。
そして、その場所があんたにはマウンドと言うだけの話よ」
「俺が自分で手放したことに不満を抱いてるってのか」
彼女は俺の言葉に頷いた。
確かに前川の言うことは正しいかもしれない。
しかし、俺には確かに言えることがある。
「なら、お前だって分かってるだろ。
周りが期待する俺は俺自身じゃない。
そのズレに俺は耐えられない」
「……別に野球は日本だけじゃないでしょ。
神谷功を知らない場所で投げればいいだけの話じゃない」
「俺を知らない場所だと?」
「ええ、それをどこにするか、何処の場所をあんたが選ぶのは知らないけど
今度は自分の力がどこまで通用するか試してみたら?
過去からの脱却ではなく、これからは挑戦ってことよ」
挑戦か……確かに今までも目標はあったが挑戦と言う感じでは無かった。
前川の言葉はとても俺にとって新鮮に聞こえた。
しかし、俺にはどうしても彼女に聞きたいことがあった。
「お前、もしかしてそれを直接言うために来たのか?」
「う、うるさい!
あんたが野球をやめるとか、訳の分からないことを言い始めるから悪いんでしょ!」
「俺のせいかいな……で、帰らなくても大丈夫なのか?」
「何が?」
「何がって、もう夜の10時回ってるぞ」
「泊るに決まってるじゃない」
はい?




