第84話 再び開ける扉
Side 藤井 高志
8回の裏、聖王の攻撃はすでに二死まで来ていた。
7回に逆転を許した開成バッテリーだったが、円陣を組んだ後の7番打者を三球三振に打ち取り、ピンチを脱すると。
表の攻撃は0点に抑えられたものの、聖王の打者をバットにかすらせることなく、三球三振、しかも球種は全て150キロ越えのストレートのみというピッチングでだ。
神谷君の力に呼応するかのように、神鳥君はゾーンへと突入しその開花させた。
もしかすると、それが神谷君にも起こっているのか?
ミックスアップと呼ばれる、互いが互いを高めあい、限界を限界で無くす現象。
間違いなく、彼らは試合中に成長している。
そして、その進化はとどまる所を知らない。
9番打者を三振に打ち取った最後のストレートの球速は甲子園最速となる『156km/m』が表示された。
湧き上がる甲子園の熱がテレビ越しでも伝わる、神谷君のピッチングは甲子園の空気を確実に変えた。
最終回、開成最後の攻撃に何かかが起こるような、そんな空気が甲子園に流れ始めている。
Side out
Side 斎藤 舞
功のピッチングで甲子園の空気が変わったことはスタンドに居る、あたしたちが一番理解できた。
逆転できるかもしれない、そんな思いが応援する皆の心に湧くが、それはすぐさま消されることになる。
相手エースは、1球の投げミスも無く、1番の関本君と2番の桜井君をアウトにとってしまった。
スコアは1対2、9回二死ランナー無し。
絶望的な状況だった。
そして次の打者である功がゆっくりと打席に入った。
もしかすると、最後の打者に功がなるかもしれないと思うと手が震えた。
あたしが試合に出てるわけでもないのに……
さっき神鳥君にホームランを打たれた時ですら息が止まりそうになったのに、もしこれでアウトにでもなったりしたら、あたしは倒れるかもしれない。
神様……お願いです、功に少しだけ力を分けてあげて下さい。
すがるような祈りを込めて、手を合わせ目を閉じた。
Side out
Side 前川 千紘
仕事の都合で、現地で試合を見られなかった私は仕事場の小さなテレビで観戦している。
試合が終わるまでは休憩していいと、マネージャーに話をつけてもらい、食い入るようにテレビを見ていた。
どうしよ……このままじゃ開成が負けちゃう。
春から神谷の試合を見ている私にとって、初めて見る開成の敗北。
そして、もしかすると神谷がその最後の打者になるかもしれないと思うと、心臓の鼓動が早くなる。
嫌だ、あいつが負ける所なんて見たくない!
私が惚れた男がたとえ相手が、昨年の王者でも負けるはずがない!
なんとかしなさいよ!
根拠のない、自信と自らの願望をテレビ越しの彼に届くように、きっと届くと信じて、私は画面を見つめる。
負けないで……
Side out
もしかすると自分が最後の打者になるかもしれない。
俺たちの夏が終わるかどうか、それがかかっている重要な打席にも関わらず、俺は驚くほど落ちついていた。
神鳥にホームランを打たれて、マウンドに内野陣全員で集まり、解散したのち集中力を高めてからだ。
周りの景色の不要な情報は全てカットされ、甲子園の大声援は耳に届かない。
マウンドではこの炎天下なら感じるはずの疲労を感じなくなり、投げるボールは今までで一番手ごたえを感じている。
打席に入り、石井と対峙してもその不思議な感覚は消えない。
初球のカットボールを見逃すが、石井が投げた瞬間、それがカットボールと分かるほど俺の集中力は研ぎ澄まされていた。
次の打者は4番の淳、俺が繋ぐことが出来ればきっとあいつならなんとかしてくれる。
そう思うと、身体は自然と力は抜けリラックスした状態になる。
そして、その状態で振り抜いたバットは石井のボールを捉え、打球は右中間へと抜けていく。
甲子園の一番深い場所に打球は転がっていき、俺は三塁まで進んだ。
スライディングしたせいで右足のすねについた黒土を払いのけていると、三塁を守っている神鳥が近づいてきた。
「ナイスバッティング」
「どーも」
「打者になろうとか思ったこと無いの?」
「ないかな。
野球をやめようと思ったことはあっても、投手をやめようと思ったことが無い」
「なるほどね、もしこの回、点が入ったりしたら僕と勝負する体力残っているのかい?」
「そっちの攻撃、一番からだろ?
お前までまわんねーよ」
「でも、ここで山中と対戦したら、僕を敬遠は出来なくなるだろ?」
「そっちは一回、淳を敬遠してるんだから、俺たちがお前を敬遠すればおあいこだ」
「なるほどね……」
神鳥はグラブを右手で軽く叩きながら、守備位置へと戻っていった。
もし、最後のもう一度神鳥と対戦することになったら、俺は抑えることが出来るだろうか?
さきほどあれだけ完ぺきな当たりを打たれた手前、抑える自信はちょっとない。
俺の勝手な都合でチームに迷惑をかける訳にはいかない。
勝つためには……敬遠も仕方ないか……
Side 山中 淳
ネクストから打席に向かうまでの短い距離を歩くだけで足が震えた。
次第に大きくなる歓声、自分にかけられる期待、もしかすると自分が最後の打者になるかもしれないという緊張。
打席に入っても、その緊張はとれず、力の入ったフォームでバットを構える。
あー、どうしよ。
これあかんやつや、このまま打ってもろくな打球あがらへん。
とりあえず、初球は見逃そう。
そんな、考えが石井に伝わっていたのかあっさりとファーストストライクをとられてしまった。
あかん! 早く緊張とらな!
Side out
Side 北川 沙希
我らのキャプテンは緊張しているのか打席で挙動不審になっている。
ホントもう、なんでこう見てる方がよけいに緊張するようなことするかなぁ。
もっと、堂々としといて欲しい。
私たちの夏が終わるかもしれない、入学した時は甲子園に行けるだなんて夢のようだと思っていた。
でも、淳君が神谷君を連れてきて聖地は夢でなく現実のものへとなった。
よく、学校の休み時間にスコアブックを見て、『功にも相手打者の特徴を知っといて欲しい』とかよく嘆いてたっけ。
私と付き合い始めた今は2人で打者の特徴をまとめるのが日課となっている。
野球の話になるといつも熱くなりすぎて気がつくと、時間が経っていてデートがそれで終わっていたり。
根っからの野球少年はいつも野球のことで頭がいっぱい。
でも、今はいっぱいすぎかな。
「リラックスしろ! 少年!!」
声が届いたのか、淳君はこっちを見て少しだけ笑みを浮かべた。
絶対、打ってよ。
Side out
Side 山中 淳
沙希の声はホントよく通るなぁ。
怒られる時はちょっと声、抑えて欲しいねんけど……
でも、これで緊張がとれた、あとは打つだけや。
バットを肩に乗せ、マウンドの石井と対峙する。
自然と集中力が高まっていくのが自分でもわかる。
準々決勝で感じた、全ての雑音が消える不思議な感覚。
その状態に入る直前に今、ワイはいる。
息を深く吸って、ゆっくりと吐く。
頭から雑念が消え、そしてその感覚が始まる。
これが自分の最後の打席なるとか、チームが負けるかもしれないとかそんなことはもう頭にない。
『打てる』あるのはその確信のみ。
石井の投げたボールに身体が反応した、素直に出されたバットはボールを的確に捉えた。
真芯で捉えたその打球の感触は手に何も伝わってこない。
会心の当たりだった、打球が舞い上がった瞬間、ワイは右腕をあげ一塁へゆっくりと歩き出した。
Side out




