第82話 神童と呼ばれた男
二死一塁で迎えるは三度目の対決となる神鳥。
打席で甲子園独特の黒土を足で均し、軸足となる右足の場所を決め、バットを肩にのせてこちらを睨む姿は迫力満点だ。
北川の集めた、聖王に関するデータに『神鳥の打席の時はランナーが動かない』というものがあった。
神鳥の打席での集中を散らしたくないと言う考えがあってのことだろう、つまりこの状況でもランナーが動いてこないと考えられる。
先制点をとった直後に神鳥を抑えればとあれば、流れを掌握するどころか試合自体を8割がた決めたと言っていい。
キャッチャーとして対峙している、淳の眼にも神鳥を抑えると言う強い意思が感じられる。
サインを淳と交換し、セットポジションの体勢になる。
深呼吸で息を整える、肩の力を抜き淳の構えるミットをじっと見つめる。
さて、行ってみようか!
Side 藤井 高志
神谷君の初球はストレート、球速は153キロの表示。
コースもアウトコース低めと申し分ない、ファールをバックネット裏に打つ神鳥君も尋常ではないが。
しかし、この打席神鳥君の雰囲気が今までと違うようなきがする。
テレビ越しなので、ハッキリと分からないがバットを肩に担ぎ神谷君を見据えるその姿は恐ろしいほど落ちついている。
テレビ画面の野球中継は投手の後ろからカメラのアングルが入る、つまり神鳥君を正面から見ることができる。
神谷君が投球モーションに入るよりも少し早く、バットを構えるその姿に弱点らしいコースは見当たらない。
今までも確かに欠点らしい欠点は見当たらなかったが、それ以上に『打てる』という雰囲気が打席に立つ姿からあふれ出ている。
もしかすると、彼は扉を開いたのかもしれない。
『神童』と言われるほどの才能が開花したのなら、現段階では開成バッテリーに抑えることは不可能かもしれない。
2球目のアウトコースのスライダーを見逃し、カウント0-2で神鳥君が追い込まれたはずなのに慌てる様子は微塵も感じられない、どう考えても彼が打ち取られるイメージがわかない。
今からでもいい、開成バッテリーは敬遠すべきだ。
Side out
Side 久木 忠俊
もう2年前になる、聖王高校野球部に1人の天才が入部してきた。
中学時代に『神童』と称され、その才能は今後の日本野球界を支えるとさえも言われていた、あの事故が起こるまでの話だが。
頭部への死球により、下半身が不自由となり各高校は彼に対する推薦を取り下げた。
もちろん、当時まだ全国的には無名の我が校でも推薦は取り下げる予定だった。
そんな、3月の初春に身体の健康診断で病院を訪れた時、偶然その『神童』と呼ばれる少年に出会った。
厳密には一方的に見つけただ。
通りかかったリハビリ施設で彼は平行棒に両手をかけ、死に物狂いで歩こうとしていた。
何度倒れても起き上がり、額から大粒の汗を流しながら、何度も何度も繰り返し歩こうとしていた。
「何故、そんなにボロボロになるまで頑張れるんだ?」
リハビリ施設の部屋から出て来た彼にそう聞いた。
彼は俺の顔を見ると一目で、俺が高校野球の監督をしていると思いだしたらしい。
そういえば、中学時代に練習を見学しに来たことがあったのを今思いだした。
「もう一度、グラウンドで再会したい奴が居るからです」
直感的にその人物が彼に死球を当てた無名の投手のことだと分かった。
「復讐か?」
俺の言葉に彼は笑みをかえした。
「まさか、僕は彼との勝負で楽しみしか感じませんでした。
今まで打席の中であれほどの高揚感を感じたのは初めてでした」
「しかし、今の君はここで歩くことすらままならない、怪我人だぞ」
「医師からは完全に治ると言われました、ただし以前のような状態に戻るのは2年以上かかると」
「高校野球が終わるまでに戻らないのか」
「それがそうでもないんですよ」
彼は近くにあったベンチに座り、話を続ける。
「医師の方が話していたのは通常の過程ならの話しです。
リハビリを死ぬ気で頑張れば、半年ほどで元に戻る可能性もあるそうです」
それであれほど鬼気迫る、表情でリハビリをしていたのか。
どうやら彼は本気で高校野球を始める気らしい。
「だが、君のような怪我人を迎え入れてくれる強豪校は無いだろう。
ただでさえ、全国屈指の激戦区、神奈川県で甲子園にでるのは強豪校と言えど困難だ」
「それでも僕は諦めきれません。
もう一度、彼と対戦するために僕の3年間の全てを賭ける覚悟はできています」
高校在学中に完治する保障など、どこにもない。
それにもかかわらず、彼の眼は真っすぐ前だけを見つめていた。
これも何かの縁なのかもしれないと、思った俺は後日彼に再び推薦を出すことを決めた。
入学後も最初の3カ月はリハビリを続けていたが、甲子園の出場が決まってからは彼の動きはほぼ100%の状態まで戻っていた。
それを見た俺は彼の甲子園デビューを即決した。
OBからの批判はあったが、部内から不満の声は聞こえなかった、むしろ今まで8割がた回復している神鳥を起用しないことに3年生は不満を持っていたぐらい、神鳥の才能は圧倒的だった。
そして、見事甲子園緒戦で神鳥は決勝タイムリーを放ち、その才能を証明した。
それから約2年、名実ともに彼は日本高校野球史に残る打者として申し分のない力をつけた。
そんな彼が慢心せずに成長を続けたのは、もう1人の怪物である神谷君の存在を無しにしては語れない。
そして、バッテリーを組む山中君もすでに神鳥たちの領域に足を踏み入れている。
同世代にこれほどの才能が現れるのは奇跡と言っても言い過ぎではないと思う。
それほどまでに彼らの才能は底知れない。
そして、大き過ぎる才能の衝突は時に、成長を加速させる。
それは打席に立つ神鳥の姿を見て、確信できる。
――扉は開いた。
神谷君には感謝しなければいけないな。
正直、神鳥がここまで完璧に抑えられるのは想定外だった。
しかし、それが神鳥の闘争本能に火をつけ、結果的に才能を開花させることになった。
神鳥は今まさに『ゾーン』に突入している。
それは1球目のファールが証明していた。
何故なら、あの1球目はスイングするタイミングが遅すぎるからだ。
神鳥の本当の怖さとは?
――高校通算70本塁打を超える長打力?
違う。
――甘い球を逃さないミート力?
違う。
それらも素晴らしい技術だが、それらを支え、神鳥を怪物バッターにさせている技術、それは
――超高速のスイングスピード
キ―ン!!
3球目、神鳥が打った打球が痛烈な金属音と共にバックスクリーンへと伸びて行った。
Side out




