第８０話 切り札
Side 藤井 高志
開成と聖王の試合は投手戦が続いている、４回表の開成の攻撃は二死ランナー無しで３番の神谷君。
開成はここまでヒットどころかランナーすら出せていない。
石井君の変幻自在のピッチングに苦労しているようにも見えた。
しかし、ここからクリーンナップの2順目。
神谷君が本来のピッチングを取り戻し、聖王打線を抑えている今はスコアが動いていないだけに流れがどちらにあるとは言えない。
中盤から流れを掴むには先制点をとり、強引に流れをつかむしかない。
しかも、裏の聖王の攻撃では神鳥君に2打席目が回る。
聖王の上位打線は他の高校とは比べ物にならないほど強力で加えて神鳥君に打席が回ることを考えると得点率は飛躍的に上がる。
開成としてはなんとか塁にランナーを出し、流れをつかみ始めたい場面だ。
Side out
正直、想定外だ。
石井がいい投手であることは明白だったから点がとれない事は予想していたが、まさか塁に出ること許してくれないのは頭に無かった。
打席に入り、本日二度目となる石井との対峙。
外角のストレート二つで、あっという間に追い込まれた。
さて……どうするかな？
淳と違って、俺は狙い球を絞るタイプじゃない、来た球をそのまま打ち返すのが基本なんだけど。
石井相手にそれは少し難しいそうだ。
ここまで石井は去年の決め球ある縦のスライダーは投げていない。
カットボールとツーシ―ムを軸にコーナーにボールを散らしている。
俺が奴ならどうする？
次の打者は相手高校の4番打者、塁にランナーを背負った状態では絶対に勝負したくない。
確実に打ち取れるボールを投げたいのがバッテリーの本音だろう。
ならば、狙い球は石井の決め球となるボール一点張りだ。
Side 山中 淳
ホンマ、功の野球センスはどないなっとんねん。
初見のボールをツーベースなんて、普通はできひんで。
功は3球目の縦のスライダーを左中間に弾き返してしまった。
打たれた石井とそのボールを要求した捕手は驚いた表情だった。
そうやろなぁ、ワイやって初めて要求したボール打たれたら、動揺するわ。
兎にも角にもこれはチャンスや、初めて出たランナー、しかも得点圏。
絶対にここで点を取る！
意気込むワイの意思に反して、キャッチャーは遠い外角にミットを構えた。
これはまさか……
Side out
Side 加地 幸一
山中は明らかに勝負を避けられた、外角に大きく外れるストレート4つで歩かされた。
山中の敬遠、ある程度予想はしていたが、まだ4回だぞ。
同点とはいえ、得点圏にランナーを背負ったら勝負してもらえなそうだな。
次の打者はクラッチヒッターの丸川、彼ならもしかすると石井から打てる可能性はある。
だがもし、丸川も敬遠されたら？
福岡学院が使ってきた4、5番封じ、前の試合で山中と丸川が勝負を避けられると開成の打線は得点力が著しく落ちることが晒されてしまった。
それを踏まえると、聖王が丸川を敬遠することは十分に考えられた。
結局、予想通り、丸川は敬遠され開成の攻撃は0点に終わった。
Side out
4回裏の聖王の攻撃は2番からの攻撃だったが、初球でセカンドゴロに打ち取り、3番の中井もストレートの力押しで三振を奪った。
そして、メインディュシュを打席に迎える。
神鳥との本日2度目の対決。
打席に入ると、大きな歓声がより一層大きくなった。
バットを構え、こちらを睨む神鳥の鋭い眼光に静かな闘志を感じる。
両チームが突破口を探し出している今、聖王としては神鳥に流れを変えて欲しいと言うのが本音のはず。
開成も淳に流れを変えて欲しかったが、敬遠されてしまったものは仕方がない。
もちろん、神鳥との勝負を避け、流れを渡さないと言うのも、一つの戦術としてありかもしれない。
だけど、今日の俺と淳は真っ向勝負を誓っていた。
初球のサインはストレート、ミットは外角低めに構えられた。
振りかぶりサイン通りに投げる、ボールは淳の構えるミットにキレイに収まった。
「ストライク！」
ボールを見逃した神鳥はピクリとも動かない、嫌な見逃し方だった。
何かを待たれているよな、そんな気がした。
Side 藤井 高志
2球目のインコースへのツーシ―ムは三塁線へのファール。
球速は150キロの表示、テレビ越しでも甲子園の歓声が聞こえる。
ストレートと球速が変わらないのは打者にとっては厄介である。
さすがの神鳥君も苦戦しているように見える。
追い込んだ開成バッテリーは圧倒的有利に立っている、逆に言えばどの球種でも勝負できる。
振りかぶった神谷君が3球目に投げたのは外角へのスライダー。
一打席目は空振りした神鳥君だったが、今度は見逃した。
前の打席での失敗を次に生かす、その対応力はさすがの一言に尽きる。
一方で決め球を見逃されたのに、画面越しの山中君の顔は落ちついている。
おそらく、今のボールは見せ球に使ったつもりだろう。
見逃されたのはアウトコースの変化球への意識付けをされていたからだ。
アウトコースのボール球は見逃される、つまり今の神鳥君はインコースへの意識が薄れている。
ここで、インコースに投げ込んだら？
手が出ないか、つまって外野フライと言うところだろう。
サインを出した、山名君はミットをインコースの低めへと構えた。
Side out
勝負はインコース低めへのストレート。
甘く入ったら、スタンドは間違いない。
威力よりも精度を重視するんだ。
自らにそう言い聞かせ腕を振るう。
ボールは真っすぐに淳のミットへと収まった。
完璧だ、さすがの神鳥も手が出ない！
「ボール！！」
際どいコースへの判定に思わず不満が顔に出そうなった、負の感情を奥へとしまう。
今のが、ボールなのは痛かった、かなり決めに行ったしコースも完璧だった。
どうする？
カウントは2－2の平行カウント、これ以上カウントは悪くしたくない。
ストライクゾーンの中で勝負する必要がある。
正面の淳が地面を見つめて思考をまとめている。
おそらく、あいつにも迷いがあってサインを出すのが遅れている。
顔あげ、覚悟を持った瞳で淳が出したサインはチェンジアップだった。
このボールで打ち取るには、タイミングを外すためには腕を思いっきり振るのが絶対条件。
ビビるなよ俺！
ビビって腕が縮こまればチェンジアップはただの棒球になる。
覚悟を決めて、振りかぶり息をゆっくりと吐く。
足を上げ、全ての力を腕へ、そして思いっきり腕を鋭く振るった。
遅いボールが低めへと行った。
神鳥がそれに反応し動きはじめる。
よし！ かかった！
この瞬間、俺は神鳥がタイミングを外されバットは空を切るハズだった。
――キーン！！
予想を裏切る、痛烈な金属音、鋭い打球はレフトのファールゾーンへ。
マジかよ……対応しやがった。
横の揺さぶりも、緩急にも対応した神鳥を見て、俺は今まさに高校野球界№1の打者と対峙していると再確認した。
マジで、化け物だわこいつ……
Side 山中 淳
投げるボールが無くなった。
そんな考えがファールを打たれた瞬間に沸き上がった。
どないする？
神鳥の構える姿を見て、次の配球を考えるが何も浮かんでこない。
ここまで功のボールについてこれたのは神鳥が初めてや。
際どいコースでのストレート勝負もありかもしれん。
しかし、この膠着状態でもしも神鳥に打たれたら？
相手ベンチは盛り上がるやろう、流れが一気に向こうに傾くかもしれない。
……仕方ない、3打席目まで温存する予定やったけど、出し惜しみ言ってられる状況じゃなくなってもうた。
この夏、初めて出すサイン。
それは対神鳥のために用意した、まさに切り札。
功、しっかり投げこめや。
Side out
サインを出した淳の顔に緊張が走った。
この球種は予定では3打席以降に投げる予定が、2打席目に披露することになるとは……仕方ないか。
神鳥、お前の為に用意した切り札だ、受け取れ！
Side 神鳥 哲也
神谷のボールは真ん中の低めへ。
ストレートが甘く入ったか、今度は打ち損じないぞ。
打てるという、確信があった、今度こそ捉えたと。
しかし、バットを振り切った僕の手には何の感触もなかった。
ボールは僕のバットの下を通った。
神谷が投げたボール、それはフォークボールだった。
