第79話 第1ラウンド
淳のミットめがけて投げたボールはインコースへのツーシ―ム。
右打者の膝もとに沈むボールに中井はバットを出した。
そのコースは中井が最も得意としている内角低めに近い所だったからだ。
力の無い打球がファールゾーンに上がった、それを淳が掴み二死。
よかった、上手く投げ込めて。
得意コース周辺に動く球を投げ込み、バットの芯を僅かに外す。
打者の力量にもよるが、正直中井を打ち取れたのはラッキーだった。
まだ、初対戦と言う事で変化球の軌道も分からないから上手くいったと言うのが正直な感想だった。
ネクストにいた神鳥がゆっくりと立ち上がりバッターボックスへと向かう。
次第に多きくなる歓声、観客の期待が高まるのが分かる。
――4番、サード神鳥君
そのアナウンスが流れると同時に大歓声が甲子園全体を包んだ。
『神童』誰がつけたか分からないが、神鳥はそう呼ばれても遜色がないほどの怪物となって高3の夏の甲子園に帰ってきた。
ここまで甲子園での打率は六割を超え、本塁打も4本を記録しまさに『現高校球界最強打者』に間違いは無い。
神鳥が打席の土を均し、右打席へと入った。
肩にバットを乗せ、鋭い眼光でこちらを睨んで来る。
グラウンドの外で見る神鳥とはまったくの別人。
対峙すればその威圧感は今まで対戦した打者とは比べ物にならないほど感じる。
バッターボックスとマウンドまでの距離を埋める、神鳥の圧倒的存在感に自分の身体の血が熱くなるのを感じた。
――この時をどれほど待ち望んだか……
淳と神鳥の一打席目の初球は球種もコースもあらかじめ決めてある。
正しくは、俺が一方的に投げたいと淳に言った。
淳はサインを出さずに俺が投げたいと言ったコースにミットを構えた。
それを確認し俺はセットポジションに入った。
もう、ランナーなど気にならない。
ただ、目の前にいる神鳥だけに全神経を集中させる。
――いける!
そう確信した時、足を上げ、腕を力強く振り抜いた。
Side 神鳥 哲也
初球のボールはインハイへのストレート。
身体スレスレのボールを神谷は投げ込んできた。
身体をそらせ、ギリギリでかわした。
周りから見ればデットボール狙いともとれるボールだった。
しかし、僕にはある確信があった。
「神谷が投げたいって言ったんだろ?」
「そうやで、気分を悪くしたなら謝るわ」
僕の問いに山中は答えた。
そう、これは神谷の意思表示なんだ。
『3年前のデットボールの後遺症はない』
少しだけ心配だった。
神谷が僕に対して当てることを避け、インコースに投げ込んで来ないのではないかと。
それでは勝負はフェアじゃない。
僕はそんな勝負を望まないし、神谷とはお互いの全力を出してぶつかりたかった。
どうやら、遠慮なく打てそうだな。
再びバットを構え神谷と対峙する。
打席でこれほど興奮するのはいつぶりだろうか。
アドレナリンが出まくりだ。
神谷がセットポジションから投球動作に入った、投げたボールはインコースの低めに来た。
ギリギリ、ストライゾーンをかすめていたのでバットを出したが、球威に押し切られボールは足元にすぐ落ちファールとなった。
その瞬間、球場がかすかにどよめいた。
電光掲示板に目をやるとそこには『150km/h』の表示。
さっきまでとはうって変わって神谷はエンジン全開で投げて来た。
どうやら、完全に自分のピッチングを取り戻したらしい。
勝負の3球目、僕はバットを肩に軽く乗せゆっくりと息を吐いた。
神谷のボールは来てから反応で打てるボールでは無い。
投げる前からある程度、狙い球を絞る必要がある。
インコースに2球続けて投げて来たと言う事は勝負は外で来る気だろう。
問題はどの球種で来るかだが……外に逃げていくボールはカットボールとスライダーしかない。
カットボールはストレートと速度が変わらないのでタイミングは問題ない。
しかし、中井の打席でカットボールをファールとはいえスタンドまで運ばれているとなると、捕手である山中としては要求しづらいはず。
つまり、3球目に投げる可能性が高いのはスライダーだ!
神谷はサインを確認すると投球動作に入った。
投げられたボールはアウトコースよりに来た。
このまま真っすぐ来れば甘く入るので、外に逃げるのは確実だと確信した。
ボールを引きつけバットを始動する。
ボールはそのまま外へと曲り始めた、ヤマを張っていたスライダーだ。
その軌道に合わせてバットを出し、打ちにいく。
――もらった!!
心でそう思ったが、僕の腕に衝撃が走り、ガキィィンと鈍い音を立ててボールは力なくファーストのファールゾーンへ力なく上がった。
そのボールをファーストが掴み、アウトが宣告された。
どうやらボールはバットの先に当たったらしい。
ベンチに戻ると石井が話しかけて来た。
「お前が狙い球を打ち損じるなんてめずらしいな」
「イメージよりも曲った。
どうやら、中学時代の神谷のイメージが抜けていかったようだ」
そう、僕は思わずあの場面、中学時代の神谷のスライダーが頭をよぎった。
今の神谷は当時とは違う。
高校球界最強の投手として僕の前に立ちふさがっている。
当時のイメージは棄てるんだ。
自分にそう言い聞かせると、バッティング手袋を外し、左手にグローブをはめる。
試合は始まったばかりだ……楽しもうじゃないか。
僕は勢いよくベンチから飛び出し自分の守備位置であるサードへと向かった。
Side out