第76話 やることはいつもと変わらない
昨日雨が降ったとは思えないほどの快晴が甲子園の空に広がっている。
灼熱の太陽に照らされたグラウンドでは水まきが行われていて、黒い土が水を吸いその色を濃くさせていく。
『準決勝第2試合、開成高校 対 聖王高校の試合はもうしばらくお待ちください』
ベンチで聞く、いつものアナウスの声も満員の甲子園の観客の熱気の前には遠く聞こえるような気もする。
第1試合は最終回に劇的な逆転サヨナラで試合が決まり、決勝進出校が決まった。
最終回開始時にすでに満員になり始めていた甲子園の歓声は地響きそのものだった。
「しゃあ! みんな集まれ!」
淳の一声でベンチにいる部員は全員加地先生の周りを半円状に囲んだ。
試合前に必ず行われるミーティングだ。
加地先生の顔はいつもと変わらない、現役時代に決勝まで勝ち進んだだけあって、この準決勝の独特の雰囲気も知り尽くしているように見える。
加えて、相手はあの聖王だ、生半可な相手ではない事は全員分かっていたし簡単に勝てる相手ではないが加地先生の堂々とした姿を見ていると不思議と安心感が湧いてくる。
「さて、今日の相手は今までの相手とは格が違う。
しかし、やることはいつもと変わらない」
先生の言葉が次第に強くなる。
「お前たちなら出来ると信じている」
「「「はい!!」」」
部員全員が力強い返事を返した。
先生は俺と淳の方を向いた。
「神谷、今日は力をセーブする必要はない。
持てる全ての力を見せてくれ」
「分かりました」
「山中、タフな試合になるだろう。
グラウンドでは細かい状況判断はお前に任せる。
頼むぞ」
「ませといてください」
確かな返事ともに互いの意思を確認した。
ミィーティングが終わると俺と淳はベンチの前で軽くキャッチボールをしていた。
先攻の開成なので焦って肩を作る必要は無い、ましてや俺は3番なので初回に確実に打席が回ってくるが早く投げたいという気持ちのほうが強かった。
淳からのボールをグラブに収め、聖王のベンチを見た。
先に守備につく聖王はレギュラークラスがキャッチボールで体を動かしている。
4番の神鳥も軽くキャッチボールをしていた。
高校野球チームとは思えないほどガタイのいい聖王部員、ウェイトトレーニングが盛んに行われていると以前聞いたが、実際に見るとその身体の大きさが甲子園に出てくる強豪校の選手よりも一回り以上大きいことがハッキリとわかる。
ここ10年の甲子園で最も破壊力があると言われる神鳥を中心としたクリーンナップも強力だが、下位まで全員甲子園での打率が3割を超えている。
文字どおり『強力打線』というわけだ。
そんな、奴らを相手に一試合投げると思うと今まで一番きつくなることは容易に想像できた。
「功、そろそろ整列や」
淳がキャッチボールをやめてベンチ前に並ぶように促す。
ぞろぞろとベンチの前に並び審判の人たちの合図を待つ。
身体が早く試合をさせろと言わんばかりに身体の底から叫んでいる。
「集合!!」
待ち望んだ、審判団の声を聞くと同時に地面を力強く蹴った。
Side 藤井 高志
甲子園では今大会、最注目の試合が行われようとしているのに自分は事務所のテレビで見るしか出来ないことに少しだけ愚痴を言いたくなった。
――まぁ、テレビの方が見やすいからいいか。
「藤井さん、何勝手に休憩してるんですか?」
飯村は勝手に休憩室のテレビの前のソファーに座る俺に聞いてきた。
俺も彼女も編集長の頼みで仕事を押し付けられたわけだが、俺の経歴を知る編集長ならこの試合の終わるまでの間くらいサボっていても怒られはしないだろう。
「まぁ、飯村も座って見ろよ。
この試合は見ないと後悔するぞ」
「……仕方ないですね」
珍しく彼女は素直に俺の言うことに従った。
高校野球ファンなら今日の試合を見たいと思うのは当然の心情であろう。
それほどまでに神谷君と神鳥君の対決は魅力的である。
二人の才能は高校野球だけでは納まらない、以前神谷君にプロに進むかどうか問うたことがある。
――今は、そんなことまで考えていません
それが彼の答えであった。
少し残念だと思ったが、彼の進路は彼自身が決めることだ、それに甲子園が終わった後では気持ちの変化もあるかもしれない。
俺との練習では才能の蓋は半開きで終わってしまった。
完全に開花することは甲子園の開幕には間に合うことはなかったが、それでも彼の力は規格外だ。
完全にその才能が開花すれば、彼は日本人には届かない夢を叶えてくれるかもしれない。
まだ見ぬ彼の将来を勝手ながら想像し、楽しみにしている自分がかつて自身を振り回した大人だとふと思った。
Side out




