第75話 頑張ってね
夕方、俺と舞は河川敷で夕日を見ていた。
夏休みということもあって、子供がいつもよりも多かった、少年野球チームの声もすれば、子供連れの親子の姿もある。
「功とこの場所に来るの久しぶりだね」
俺の隣に座る舞がそう言って夕日を眺めている。
この場所は俺が舞から『甲子園』という夢を与えてもらった場所。
そして、俺が舞に想いをぶつけた場所。
「ねぇ、なんで大事な試合を前に会いに来てくれたの?」
「迷惑だった?」
少し悪戯っぽく聞いた。
「そんなわけないけど……だって、明日は神鳥君のいる聖王と試合なんでしょ?
功が一番楽しみにしてた試合なのに、なんで……」
「出発点を確認したかったからだよ」
神鳥との再戦、もちろん個人の勝負もあるがまずは『開成 対 聖王』である。
チームを勝たせることがエースだと加持先生に教えられてきた。
聖王はハッキリ言って、今まで対戦してきたチームの中では比べ物にならないくらい強い。
俺の持っているもの全てをぶつけなければいけないと確信している。
だから、聖王と試合をする前に俺のルーツをハッキリと確認しておきたかった。
俺が何のために野球を始めたのか、何のために野球をするのか。
「舞が居てくれて本当に感謝してる」
舞は俺の突然の言葉に目を丸くしている。
今出た言葉は紛れも無く俺の本心だった。
甲子園で連日投げていると何かしら騒がれる。
そのことで徐々にずれていく本来の自分と甲子園での自分。
そのズレは次第に大きくなり、俺の中に溝として広がっていく、放置すれば本来の自分を見失うほど。
しかし、舞と居るとその溝は埋まり本来の自分を見つけなおすことが出来るような気が前々からしていた。
大事な試合前だからこそ、自分の土台を見つめなおし本来の自分を再確認するために、舞に会いに戻ってきた。
聖王に勝つために、そして神鳥に勝つために。
「遅い、もう少し早く言ってくれてもよかったんじゃない?」
舞は仏頂面でなぜか不機嫌そうに言った。
本当はもっと前から感謝してたんよ……
そう思ったが今まで口に出してないのだから、舞の主張はもっともである。
「悪かったな。
ほら、帰ろうぜ」
俺は立ち上がると舞に手を差し出した。
彼女はその手を握ると「よいしょ!」と元気な声を出しながら立ち上がった。
舞と俺の顔が至近距離で向き合う、彼女の茶色がかった瞳には俺の姿が映っている。
「頑張ってね」
彼女はそう呟くと、不意に俺の唇を奪った。
刹那などの短いキスを終えた彼女は踵を返し、小走りで俺と距離を開けた。
そして、顔だけこちらを振り向くと、困惑する俺に舌を出しおどけて見せた。
「早く来ないと置いてくぞ!」
笑顔でそういった彼女の姿を俺は駆け足で追った。
宿舎に戻り夕食を食べ終えた後、しばらくは部屋にこもっていたが外の空気を吸いたくなって外に出ると、額から汗をにじませながら素振りをする淳の姿があった。
「よう、今日は楽しかったんか?」
ブン! と素振りの音をだし淳は聞いていた。
すさまじいスイング音に淳の問いは聞こえにくかったがギリギリ聞こえたので「ぼちぼち」だと答えた。
「明日の試合、どうなると思う?」
俺は素振りを繰り返す淳に聞いた。
こいつはキャッチャーというポジションを長年していることもあって、分析力に関しては正しい目を持っている。
なので、今こいつの頭の中には開成と聖王の試合がどういった試合をするのか聞いてみた。
淳は素振りをやめ、バットを腰のところでつきながら答えてくれた。
「自力はあくまで向こうが上や。
けど、その差は僅かな差でしかない。
つまるところ、功が神鳥をどれだけ抑えることが出来るかどうかが勝敗を左右する」
「なるほどね。
俺たちと神鳥の勝負ってわけだ」
「まぁ、そんなところやな」
淳は再びバットを構え素振りを始めた。
「明日の援護はそんなに期待したらあかんで」
おいおい、4番がそんな弱気で大丈夫か。
「向こうのエース、石井の完成度は高校野球の域を越え始めとる。
うちの打線では大量点は期待できんやろ」
「つまり、失点するなら最小限で食い止めると?」
「そうゆうことや。
切り札も加え、明日は試合開始から持てる全ての戦力を投入するで」
神鳥を抑えるために習得した変化球はこの夏の大会、予選から通じてまだ1球も投げていない。
夏の連戦を考えたここまで省エネピッチングで力を蓄えてきた、今日の中止も好材料となり明日の試合はほぼベストな状態でマウンドに上げれそうだ。
「荒れたらごめんな」
「今のお前のコントロールなら心配してない」
冗談のつもりで言ったのに真面目に返された。
「功は卒業後、どうするんや?」
素振りの手を止め、いつになく真剣な顔で淳が聞いてきた。
淳は前々から、プロ志向が強く卒業後はプロ志望届けを出しプロ入りしたいと言っていた。
こいつの母親が入院していて金に余裕が無く、私立の強豪をあきらめ公立に進学したことを思えば早くプロ入りし金を稼ぎたいと思うのも不自然ではない。
「何も考えてない。
ただ、プロに行くつもりは無い」
「もったいないとは思わんの?」
「思わない。
淳とかと違ってプロに行くための明確な理由が俺には無い」
本心だった、プロに行くイメージもプロ相手に投げているイメージもピンと来ない。
俺の言葉に淳は「そうか」と少し残念そうに答えると素振りをやめた。
「明日は勝つで」
「当たり前だ」
淳の言葉に俺は力強く頷くと二人で談笑しながら宿舎へと戻った。