第63話 家に帰ります♪
マウンドで大きく深呼吸をした、夢の舞台まであとアウト3つ。
帽子をとり、つばの部分に黒のマジックで書かれた文字を見る。
――夏の甲子園制覇!!
寝ている間に舞に書かれた文字は、汗で少しだけ滲んでいた。
ったく、夏の甲子園が優勝する事がどれだけ難しいことか……
予選から甲子園まで無敗で終わるなんて奇跡に近い、でもそれで舞が喜ぶ顔が見れるなら頑張ろうとさえ思える。
神鳥との再戦も待ち遠しいが、今は予選が先だ。
頭から余計な雑念を振り払い帽子を被った、打席には報明の4番新井。
最終回を迎えた時点でスコアは6-0、開成の6点リードだった。
新井を打ち取れば相手の勢いは完全に絶つことが出来る、ほぼ勝ちを手中に収めたも同然だった。
初球、淳のサインはストレート。
少し甘く入ったが一塁線にファール、球威は完全に勝ってる。
油断は禁物、そう自分に言い聞かせるがこの試合どうも、気合が足らないと言うか、集中しきれていない自分が居る。
ここまで新井は3打席連続三振、結果も内容も俺は新井を圧倒していた。
こんなに自分と新井の差があるとは思っていないし、事実新井は全国区の打者だ。
それでも今の俺は完全に新井を見下して、投げることのできる状態にある。
藤井さんとの特訓は俺自身が思っている以上に俺の力を飛躍的に伸ばしたようだ。
2球目もストレートで空振り。
これで完全に追い込んだ、淳の最後のサインもストレート、力で押し切れると判断してだろう。
それに頷くと俺は大きく振りかぶった。
Side 神鳥 哲也
「やっと、甲子園か」
隣に居た、エースの石井がそう言った。
聖王高校の宿舎の食堂では、甲子園出場の祝いを兼ねた会がされていた。
決勝も僕たちは12対0の圧勝で甲子園出場を決めた。
「まぁ、スタートラインには立てたね」
目の前に置いてあった、唐揚げを口に放り込んだ。
サクッとした外にジューシーな肉汁が口に広がる。
この宿舎の料理は何度食べても上手い、栄養のバランスを考えて作られるメニューは僕たちの身体づくりの手助けともなる。
「神鳥、一押しの開成は勝ったのかね?」
唐揚げを飲み込んで答える。
「さぁ? 試合経過は久木監督が見てる」
神谷のことだ予選程度じゃ負けないだろう。
それに甲子園での彼のピッチングを見ない事にはなんとも言えない。
「まぁ、神谷君に頑張ってもらわないと、俺が倒す前に負けてもらっても困るしな」
石井はそう言って、取り皿にローストビーフを乗せた。
一切れ口に運び、味を下で楽しみそれを麦茶で押し流す。
相変わらずの早食いだ。
「おーい、神鳥ー」
後ろから久木監督の声がした。
振り向くと食堂の入口に片手を壁につき、支えにして立っているユニフォーム姿の監督が居た。
着替えてなかったんですね……
「なんですか?」
「開成が春夏連続での甲子園出場を決めたぞ」
――やっとか。
心でそう思った。
その瞬間、全身に鳥肌が立った、どうやら神谷との対戦を一番待ちきれないのは僕らしい。
Side out
大会後、荷物をまとめて家へと帰った。
玄関を開けて家へと入る、そこには見慣れた幼馴染の顔があった。
「おかえり」
「おう、久しぶりだな」
――そうだね。
そう言って、微笑む舞の顔に自分が家に帰ってきたことを実感する。
温かくて、安心できる場所に。
「愛は?」
「彼氏と居るんじゃない?」
愛は俺の試合を見に行ったあと、最近出来た彼氏とどこかへ遊びに行ってしまったらしい。
舞が言うにはその彼氏とは、随分前から愛にアタックし続けてようやく付き合えたそうだ。
末永い幸せを願う、ばかりだ。
「ご飯少し待ってね。
まだ、できてないんだ」
舞は申し訳なさそうな顔をしたが俺にとってそんなことはどうでもよかった。
「手伝うよ」
「ダメ! 試合で疲れてるんだから休んでて!」
舞が指をバツの形にして答えた。
いつも食事は2人でつくる、その方が効率がいいし舞の負担も減る。
だから、いつも通りでいいという意味も込めて言ったつもりだったんだが……
「舞1人にさせちゃ悪いし」
荷物を部屋の隅に置き台所へと向かおうとした俺に舞が立ちふさがる。
「しなくていいって言ってるでしょ?」
「なんで殺気を振りまいてんだ……」
少しだけ上目遣いでキッと俺を睨む彼女が愛おしいとさえ思える俺は、とんだバカ野郎だな。
舞の威圧を意にも介さないで彼女の距離を詰める。
「ちょ! 言うこと聞かないと実力で……」
言葉が出てくる舞の口を自分の口で塞いだ。
「んっ!」
突然のことで身を固めた舞から顔を離す。
「いきなり、なんなの?」
「今日の夜の予約♪」
そう言いながら、脇を通り抜けようとした俺の腕を舞が掴んだ。
「ふーん……あたしを驚かすとはいい度胸ね?」
「結構まんざらでも無いだろ?」
多分、俺の顔は今最高にニヤニヤしている。
大会でしばらく会えなかった分、舞をいじめたいという気持ちがいつもより強い。
しかし、顔を徐々に紅潮させる舞から発せられる覇気……俺は自分の命の危険を感じている。
や、やばい……
「土にかえりなさい!!」
「ま、待つんだ! 舞俺は別に、やめろぉぉぉお!!」
舞の渾身の右ストレートが俺の頬にクリティカルヒット、心なしかいつもより痛い気が……
ノックアウトされ頬を抑えてうずくまる俺に舞が耳元で呟いた。
「ホントはちょっとだけ、寂しかったんだぞ……バカっ」
顔を上げると駆け足で台所へと向かう舞の後姿だけが見えた。
とりあえず、落ちつけ俺、テンションあがりすぎだ。
自分を戒め、荷物を自室へと置きに2階へと向かった。
着ていた制服のポケットから携帯を取り出した。
メールか……1人は前川ともう1人は……
「は!?」
メール差出人とその内容を見た俺は思わず声を上げてしまった。
『家に帰ります♪ 母より』




