第62話 素振りだよ
夏の甲子園への道のりは険しいものだ
参加校数が多いほど道は狭くなる。
全国でも屈指の参加校数を誇る、兵庫は近畿圏内では大阪に次ぐ激戦区だ。
春のセンバツの優勝の影響で相手は開成を徹底的に研究してきた。
しかし、センバツ優勝から大幅に強くなった開成の敵じゃ無かった。
雨による順延もなく大会は予定通り消化されていった。
予選も残すは決勝だけとなっている。
「じゃあ、明日の決勝についてだが……」
予選決勝前夜、宿舎の一室で加地先生はそう切り出し決勝の相手、『報明学園』に対するミーティングを始めた。
と言っても加地先生が話すのは最初だけで、ほとんどは北川が事前に調べたノートが中心となる。
北川が愛用のノートを手に取り前に立った。
「今までの相手と違い、攻守ともに全国クラスです。
特に4番の新井君は、今大会、打率が4割を超え要注意です」
ちなみに打率・打点・本塁打、全部門でウチの4番が今大会断トツのトップ。
つまり新井は今大会№2の打者ってことだ。
俺はここまで初戦を除く試合を投げて、無失点。
守備が鉄壁だから無理に力で抑える必要も無く、疲労もかなり少なく決勝まで来れた。
「報告は以上です」
北川がそう言ってノートを閉じた。
しまった……全然話を聞いていなかった。
「明日のスタメンはいつも通りで行く、各自準備しておくように」
加地先生が最後にそう付け加えた。
さて、ミ―ティングも終わったし寝るかな……
「神谷と山中はここに残れ、残りの者は解散だ」
……マジですか。
Side 神鳥 哲也
寮の消灯の20分前、僕はバットを片手に外に出た。
甲子園の予選も大詰めを迎えている。
甲子園出場校が決定していないのはどこも参加校数の多い県ばかり、しかし、それらの県も明日全て決勝を迎える。
神谷のいる開成も……そして、僕の居る聖王も……
「こんな時間に何やってんだ?」
後ろから声がした、振り向くとそこにはエースの『石井 雄二』の姿があった。
「素振りだよ」
「明日は決勝だぞ?」
「分かってるけど、身体を動かさないと落ち着かないんだ」
石井はため息を一つすると近くの段差に座り込んだ。
「お前が敵じゃなくてよかったと最近強く思うよ」
彼は思い出したようにそう言った。
「僕も石井のような頼もしいチームメートに恵まれて、よかったと思ってる」
「よく言うぜ、今でも1年の時にお前を見た時の衝撃は忘れられねーよ」
最近チームメートからよく言われる、『お前が敵じゃなくてよかった』そして、『初めて見た時は衝撃的だった』と。
僕は今のこのチームが最強だと思っている、久木監督や開成の加地監督がいた『高校野球史上最強チーム』と言われた『舘鳳高校』でさえ勝てると思っている。
「みんなが努力した結果だろ? 石井も含めてね」
「俺たちはお前が居れば夢を見られる……そう思った。
3年目の夏は間違いなく無敵だと」
石井が言うことには僕も同感だった、このチームになってから僕は勝負を避けられることが多くなった、しかし、今の聖王高校の打線は僕を敬遠したぐらいじゃ止まらない。
今大会も全試合で二桁得点をたたき出している。
守備だって、石井を中心とした守りで無失点……内容も結果も文字通り、全てにおいて圧倒的だ。
夏の甲子園で優勝した昨年を遥かに上回る力を僕たちは有している。
それでも、彼には……神谷には勝てないかもしれない。
「なんで、同年代に神鳥に匹敵する化け物がいるんだよ」
恨めしそうに石井が天を仰ぎながら言った。
「始めから、分かりきった勝負ほどつまらないものはないだろ?
そう思えば、神谷が同世代であることは幸運と言えるさ」
「お前はポジティブすぎ」
石井の言葉に頷きバットを握った、暗闇を正面に捕らえ構える。
イメージする相手は現高校野球界最高の投手。
ゆったりと振りかぶり、足を上げる、そして加速した腕を振り切る……
この3年間、自分の頭で作り上げた彼と何度対戦しただろう。
神谷……君との再戦地まであと一つだ。
「明日も勝とうぜ」
石井は立ち上がり、拳を握り突き出した。
「もちろんだよ」
それに、拳を合わせ明日の決勝の勝利を誓った。
Side out
加地先生に言われて部屋に残った、俺と淳。
先生の前で2人並んで立たされている姿は何とも滑稽だろう。
北川は俺たち二人を入口の近くで待ってくれている。
今日の試合の反省? 明日に向けての意気込み?
先生の口から言葉が出るのを待った。
「神谷、疲労の方は大丈夫か?」
「問題無いです」
――よし。
そう言って、先生は笑みを浮かべた。
「あと一つ勝てば甲子園だ……夢を見さしてくれよ」
――行っていいぞ。
そう付け加えて先生の話は終わった。
背を向け、入り口のドアノブに手をかけた。
「神谷、甲子園で現高校野球最高の打者と戦う姿……楽しみにしてるぞ」
そんな声が聞こえた気がした。
「功、今さらやけど、どっか痛めてるとかないやろな?」
「ったく、お前は心配性だな。
全然大丈夫だ、なんのために動く球を覚えたと思ってるんだ?」
今や、主力の持ち球となったツーシ―ム、そしてオフシーズンにもう一つ覚えたカットボール。
この二つを左右のコーナーに投げ分けることで、打者を打ち取り玉数を減らしてきた。
全ては甲子園で戦う、神鳥のために……
自室に帰るとベットの上の携帯が僅かに光っていた。
同室の丸川の姿は無く、部屋には沈黙が流れていた。
メールと不在着信か……
携帯に映し出されたのは『前川千紘』が差出人のメールと幼馴染からの着信だった。
前川のメールは明日に決勝に関する激励メールだった、返事は後でいいか。
不在着信のかけ直しボタンを押した。
『もしもし?』
一度目のコールで出るとは……
「わりぃ、ミィーティングだったんだ」
『明日は決勝だもんね』
「まーな」
『去年負けた相手なんだから、しっかりね』
甲子園の予選中に舞から電話が来るのは今回が初めてだった。
彼女が俺が大会に集中出来るように、気を遣っていることに少しだけ優しさを感じていた。
それと比例して少しだけ、会いたいと言う思いも心の中にあった。
俺は舞に心底べた惚れだな……
『功?』
「いや、なんでもない」
――変なの
そう言って、電話越しの相手は笑った。




