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夏空  作者:
第3章
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第60話 風邪ひくぞ


 梅雨が来た、連日の雨も室内練習場で練習をする俺には関係の無いことだった。

 土日は淳を相手にピッチングをして、平日は藤井さんに技術指導を受けている。

 夏に向けての新しい武器(・・・・・)も完成に近づき準備は滞りなく進んでいる。


 チームの方も俺抜きでも、練習試合が連戦連勝らしい。

 淳は「お前が帰ってくればウチに死角はない」と豪語するくらいだ。

 ホントに大丈夫なのか心配は心配だが……


 ブ―ブ―


 授業中の為マナーモードにしていた携帯が揺れている。

 ――新着メール一件

 また、あいつか……


『今日も大学行くんでしょ?』


 差出人は前川千紘、どこから俺のメールアドレスが漏れたかは考えない様にしている。

 突然メールが来た時は、怪しいサイトからのメールからだと思い放置していた、後日本人に「無視するな」と怒られた。

 そんなこんなで俺は『国民的アイドル』とメールをしている。


『まーな』


『今日、行くから』


 相変わらず返事は早い……


「はぁ!?」


「どうした、神谷?」


 先生が睨んできた。


「すいません、なんでもないです」


 思わず声が出ちまった、携帯をポケットにしまい、窓際の席の俺は外を見る。

 朝からずっと雨だった。












「いい感じだな」


 ブルペンキャッチャーをしてくれている藤井さんがそう言ってボールを返してくる。


「加地の全盛期よりいいキレしてるよ」


 夏に向けての新しい武器は加地先生の現役時代の決め球。

 最近はちゃんと低めに投げきるこが出来る。

 このボールを俺は、神鳥専用のボールにするつもりだ、と言うよりもセンバツが終わってからの練習は全て神鳥哲也を倒すためだけの練習のつもりだった。


「今日はこの辺で終わるか」


「え? もうですか?」


「来月にはもう大会が始まるんだぞ、ペースを落としていかないと」


 ミットを外し藤井さんは煙草を片手にスキップ(そう見えるだけ)で練習場を出て行った。

 ニコチン依存症も考えようだな。

 しかし、藤井さんが言ったことも一理ある、この時期に怪我をしたら夏を万全の形で迎えることは出来ない。


 ――今日は大人しく終わるか。


 そう思って、ダウンを始めた時だった。

 背後に妙な気配を感じた、バッと振り向くと蒼い目を持った少女が立っていた。

 黒髪に蒼い瞳は何度見ても違和感しかない。


「脅かすなよ」


「ビックリした?」


 ふと彼女の服装を見て疑問がわいた。

 灰色のフード付きのコートを膝の近くまで纏い、下半身はジーパンを着ている。

 そして、コートには雨が当たったであろう斑点があった。


「傘は? 今日は日本全国雨だったろ?」


 それとも天気予報を聞く暇も無いほど多忙なのだろうか? 俺のような一般ピーポーとは違うな。


「急いでたから傘忘れたの。

それよりさ……頼みたい事があるんだけど」


 視線を泳がす彼女に俺は嫌な予感しかしない。

 しかし……断るってのもなぁ。


「なんだ?」


「家に泊めてくれない?」









Side 神鳥 哲也


 この時期の雨はなんとも気分が憂鬱になるものだ。

 室内でマシンを打ち込んでもイマイチ気分が乗らない。


「今日は素振りで終わらすか」


 マシンを止めて、愛用の素振り用の木製バットを手に取る。

 連日の振り込みで手はマメだらけ、潰れて血が滲み始めているモノもある。


「ボロボロだな……」


 自分の手を見てそう思った。

 でも、神谷を打つためにはまだ足りない、センバツの映像を見る限り彼は間違い無く高校野球界№1の投手だろう。

 最近では『世代最強エース』とまで呼ばれている、だれも異論は無いし事実だろう。


 僕の3年間の野球に対するモチベーションは、神谷を打つために保ってきたと言っても言いすぎではないと思う。

 久木監督は「同世代にあんな化け物がいるなんてとんだ不運だ」と言っていたが僕はそうは思わなかった。

 むしろ幸運だとそう思った、僕が勝負を楽しめる唯一の投手だからだ、他の投手には申し訳ないが打席に立っても何も込み上げてこない、でも、神谷なら……

 

 手のゆるんだテーピングを巻きなおしバットを手に取った。

 今日はぶっ倒れるまで振ると、心に決めて。


Side out

 






「1人暮らしなの?」


「半分な」


 予定外の来訪人は首をかしげている。


「まぁ、上がれよ」


「お邪魔します」


 舞たちが居なくて助かったと勝手に思った、リビングの明かりをつけ2階へ向かった。


「この部屋空いてるから、好きに使っていいよ」


 その部屋は両親の部屋だ、舞と……色々あるようになってからはめっきり使うことが無くなっていた。


「両親は?」


「海外で働いているから居ない」


「じゃあ、1人暮らしじゃん」


「半分な」


 ――意味分かんない。


 そう言う彼女を部屋に置き荷物を置くため自分の部屋へと向かった。

 アイドルの行方不明と言うものはニュースにならないのか、心配なったがマネージャーの女の人には一言残し出て来たらしい、場所はもちろん隠して。

 何故、前川千紘と言う人物が逃亡にも近いことをした上に、何故俺の所へ来たのかは聞くつもりはないし考えるつもりも無かった。


 それが何故なのか俺にも分からないけど。


「ねぇ、関西人って家でたこ焼き作れるってホント?」


 質素な夕食が並ぶテーブルに座る、前川が言った。


「ホント」


 彼女はまるで都市伝説が立証されたかのように「おぉ~」と声を上げた。


「神谷って、料理出来るんだ」


「一応な」


 実は隣の幼馴染にほぼ全部作ってもらってるとは、言えない……


「ただの失礼な奴とは違ったのか」

 

「バカ言ってないで食え」


 食べ終わった食器を洗い、これからのことを考えていた。

 関東の方から兵庫に来るくらいだ、何か込み入った事情があるんだろう、深入りするつもりはないがこっちにも都合と言うものがある。

 明日から土日と開校記念日? か何かで3連休だ、部の方は練習試合が3日ともあるためその間淳は大学へは来ない、さらに好都合なのは藤井さんと前川が親戚であることだ。


 藤井さんがこちら側に居る限り記者の問題はどうにかしてくれるだろう、つまり今日を含め4日の間に帰らせれば俺の勝ちと言うことだ。

 高校球児対アイドルか……異色の対決にも程があるだろ。


「さて……自主トレでもするかな」


 台所の水を止め、部屋からシャドー専用の愛用のタオルを手に取り家を出た。



Side 前川 千紘


 お風呂からあがると不気味な雰囲気が広がっていた。

 彼の家なのに誰もいない、リビングの明かりは()いているけどそこに神谷功の姿はない。

 部屋にも居ないなんて、一体どこに……


 不安が突然胸に広がる、見知らぬ土地で今の自分に頼れるのは甲子園で出会った1人の少年のみ。

 どうして、彼を頼ったのかは分からない、実家に帰るという選択肢も残されていたにもかかわらず。

 でも、彼は他の人とは違う、私を『前川千紘』扱いしない……色々とムカつく所もあるけどそこだけは好きだ。


 ――ビュ!


 外から鋭い音が聞こえた、玄関を開けるとタオルを持ってシャドーピッチングしている彼がいた。

 雨上がりの外は少し寒かった。


「風呂あがったのか?」


「女の子を1人にするってどうゆうつもり?」


 玄関の扉を閉めてしゃがんだ。

 コンクリートから冷気が伝わってくるようだった。


「お前は客人じゃねぇだろ」


「私と同じ屋根の下に居れるのよ? 少しは感動したらどう?」


「うるせぇな、邪魔するなら家に戻れ」


「私に指図するとはいい度胸ね」


 こんなやりとりも向こうに戻れば出来ない。

 私に本音を言ってくれる人間はめっきり少なくなってしまった、今の地位を築いたのはもちろん周りの人のお陰だけど、自分でもそれに見合うだけの努力はしてきたつもりだ。

 それでも絶えない非難や中傷……一部の人が言っているだけと割り切ってもやっぱりつらい。


「風邪ひくぞ」


「え?」


 彼はそう言って、上着をかけてくれた。


「あ、ありがと……」


 突然来て、いきなり家に泊めて迷惑だと思う、感謝の言葉の一つも正直に言えない自分に少しだけイラついた。

 建前だけの世界で生きている、私はいつの間にか自分の本当の気持ちを口にする機能を失くしてしまったらしい。

 だからだろうか、自分を見失いかけている私の心に彼の優しさが沁みるのは……


Side out







 自主トレで流した汗を風呂でスッキリさせて自室に戻ると、ベットの上の携帯が光っていた。

 舞からのメールだ。


『1人で寂しくしてないか?』


 文の最後にネコのような絵文字が添えられていた。

 斎藤家は今は父親の墓参りに行っている、帰ってくるのは明後日で祖父母の実家に泊るそうだ。

 舞がもし俺の家に他の女が泊っていると知ったら……やめよう、考えただけでも恐ろしい。


「返事は明日でいっか」


 明日は朝から大学の施設借りて練習なので、寝坊しない様に携帯のアラームをセットし枕元に置いた。

 そして、部屋の明かりを消し、瞳を閉じた。

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