第59話 発見!
「うん、まぁまぁだな」
投球練習を横で見ていた藤井さんが俺の投げたボールを見て言った。
土日も大学の施設を借りての練習は、意外と楽しい。
周りの視線を意識しないで、練習できるのが何より一番気が楽だ。
「でも、このボールって加地先生の決め球だったんですよね?
あの人、一度も教えてくれませんでしたよ?」
「そりゃ、現役の時に教えたのは俺と久木だからな」
「久木?」
「聖王高校の監督だよ。
そんでもって、俺たちの代のキャプテン」
まさか、藤井さんがそんな所で聖王高校と繋がっているとは意外だ。
当時のチームは高校野球史上最強チームのひとつって言われるくらいだ、凄かったんだろうな。
「俺、ちょっと煙草吸ってくるわ。
適当に休憩しとき」
この適当な感じからは想像もつかないが……
室内練習場から出て行った、藤井さんの背を見つめそう思った。
――俺も休憩するか。
そう思い、左手のグラブを外した時だった。
「発見!」
聞き覚えのある声が練習場に響いた。
声のする方をバッと振り向いた。
「お、お前は!」
何故こいつがここにいるんだ!?
声の主を見た俺の頭は激しく混乱した。
Side 加地 幸一
「大学って、どこの大学ですか?」
車の助手席に座っている、山中が不思議そうな顔で言った。
プロ志望の山中には、大学なんて連れて行かれたって興味無いと言うのが本音だろう。
「神谷が練習している所だよ」
「あいつ、そんな場所で練習しとったんですか?」
「今、学校で練習させたら周りの視線がストレスになるだろう?」
「エースが練習に出ないでどうやって、示しをつけるんですか」
「だから、お前を連れて来たんだよ」
山中は意味不明と言いたげな顔でこっちを見た。
赤だった信号が青に変わった、視線を前に移しアクセルを踏む。
「北川から聞いているだろうが、ある人物に神谷のコーチを頼んでいる。
その仕上がり具合をお前に判断してもらう」
――はぁ。
ため息をついた山中は視線を窓の外に移したようだ。
「夏までに時間が足りない……ってことですか?」
彼はポツリと呟いた。
「まぁ、そうゆうことだ」
大学の駐車場に車を止め、神谷が練習している室内練習場に向かった。
外には一服中の藤井が居た。
「神谷は?」
「中に居るよ、何やら楽しそうにしてるけど」
「は? まぁいい。
山中、先に入っとけ」
クイっと親指で入口を山中に差した。
藤井に軽く頭を下げると山中は室内練習場の入口を開けた。
次の瞬間、
「お前、何しとんねん……」
呆れたような怒ったような複雑な声が聞こえた。
Side out
入口には、表情を曇らせた淳が立っていた。
「山中だ!」
俺の練習を邪魔していた、蒼い瞳を持ったアイドルは主人を見つけたペットのように淳に近づいた。
「こんな所で春の優勝チームのキャプテンに出会えるとは……今日はついてるわね」
「なんで、こんな所に?」
「私のこと知ってる?」
「前川 千紘さんやろ?」
「どっかの無知で失礼な奴とは違うわね」
少し心に傷がついたのは俺と君だけの秘密だ。
「功!」
「は、はい!?」
淳の名を呼ばれ声が思わず裏返った。
前川は肩を小刻みに震わせながら顔を下に向け笑うのを堪えてる。
あの野郎……覚えとけよ……
「練習はしとったんやろな?」
「もちろん、お前が来たのは俺が邪魔されて困っていた場面だ」
親指を立てて応える。
淳は下げていた黒のエナメルバックからいつものミットをとりだし、練習場のマウンドを指差した。
投げて証明しろってことか……
「言っとくがもし気ぃの抜けたボール投げたら、先生に言ってエースを降ろしてもらう。
異論は許さん」
こりゃ相当怒ってるな……これも全部あのアイドルのせい……
「防具つけろよ」
「いらん、どうせ今のお前のボールなんてたかが知れとる」
Side 山中 淳
功は少しムッっとした表情でマウンドの土を均す。
ボールをグラブに数回たたきつけた。
「練習は何球いる?」
「肩はもう出来てるから問題ない」
功が振りかぶった。
さて……春の疲労がとれたか確認さしてもらおか。
足をゆったりと上げタメを作る、そこから一気に加速しモーションに入る。
右腕が身体の影に隠れて見えない、相変わらずボールの出る場所が見にくいフォームや。
加速した身体の勢いのまま右腕が振り切られた。
このボールの軌道は……!
Side out
投げたボールは淳が構えたミットに吸い込まれていった、ミット独特の乾いた音が練習所に響く。
ボールを捕球した淳はそのまましばらく動かない。
「とりあえず、疑ったことは謝るわ」
「分かってくれたなら、OKだ」
「にしても……このコントロールはどうゆうことや?」
そう言って、淳がボールを返してきた。
「練習の成果」
ボールを受け取って縫い目を確認する。
藤井さんに言われ微妙なフォームの変更が俺の制球力を格段に上昇させた。
球威と制球力の両立は夏までの課題の一つだった、それも今となってはクリアされている。
「変化球投げてよ」
横で傍観してた前川が注文をつけて来た。
「別にいいけどよ」
「スライダー見たい」
要望されたのでスライダーの握りで再び振りかぶった。
Side 藤井 高志
「どーだ、神谷君の出来具合は?」
「予想以上かな」
加地は小さく笑った。
手に持っていた煙草の火を消し、視線を神谷君に戻す。
「神谷の隣の女の子は?」
加地が前川千紘を指差しながら言った。
「俺の親戚の子だ、無類の高校野球好きでな。
神谷君がいると言ったら来たんだ」
実は誘導尋問に引っかかたなんて口が裂けても言えない。
何故、彼女が神谷君にこだわるのかは知らない。
最近は、仕事の方で色々あって体調を崩していたと聞いていたが……
「おぉ! 全国レベルの変化球は凄いわね!」
ヘルメットをつけて、打席から神谷君の変化球に驚きの声を上げている姿を見ていると大丈夫そうに見える。
特殊な仕事に高校生ほど多感な時期だ、精神的に不安定になっても不思議でもない……か。
「加地、神谷君にはお前の決め球を教えるぞ?」
少し間が空いた。
そして、迷いを振り切ったかのように口を開いた。
「………好きにしろ」
胸のポケットから煙草を一つ取り出し火をつけた。
かつて、『尾張のスプリッター』と言われた男の顔は、自分の教え子をどこか遠い目で見ていた。
Side out