第53話 大丈夫だろ?
Side 藤井 高志
「神谷君に何か言ったのか?」
電話の相手『加地 幸一』は、ため息1つすると口を開いた。
『大したことは言ってない』
「それにしては、今日のピッチングはどうゆうことだ?」
準決勝第1試合で登場した、神谷君は16奪三振、2安打完封の圧巻のピッチング。
そして、何より今までは打たせて取るピッチングだったはずが、力を前面押し出した投球で相手を捻じ伏せた。
『今のままでは、聖王に勝つのは無理だと言っただけだ』
「だけって、お前な……」
聖王の神鳥、開成の神谷。
2人の中学時代の因縁は、関係者の間ではすでに有名な話である。
神鳥君が昨夏の甲子園で明言していた、『対戦したい相手』と言うのが神谷君だと判明しライバルとして、周りは認知し始めた。
神谷君は、まだ何も言っていないが彼にとって神鳥哲也が特別な存在であることは、どう考えても明らかだった。
『聖王の監督は、久木だぞ?
神鳥君に全てを教えていると考えるべきだ』
久木 忠俊……その名を加地の口から聞くのは、久しぶりだった。
加地とバッテリーを組み、日本一の捕手と呼ばれた天才。
我が舘鳳高校のキャプテンも務め、監督としても全国制覇を達成し名将の仲間入りを果たした。
「なら、お前も神谷君に全てを教えればいいだろう?」
『神谷がソレを必要とするならな』
そう言って、電話が切れた。
携帯から聞こえる機械音がやけに虚しく感じられた。
加地が自分の肘が決勝の試合中に壊れ、敗北を喫したあの夏を未だに引きづっていることがこの虚しさを与えてるかもしれない。
Side out
Side 加地 幸一
携帯を机の上に置き、煙草とライターを持って宿舎の自室のベランダへと出た。
春の陽気な日差しが眩しい、昼を過ぎた時間の割には、人の数は少ない。
煙草を口にくわえ、ライターの火をつける。
火を見ながら頭に浮かぶのは、昨日の神谷とのやりとり。
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「勝負にならん」
「……」
少しムスッとした表情で俺の目を彼は、見てくる。
秋の神宮大会を制し、春のセンバツでもベスト4まで残り多少なりとも自信があるからだろう。
もちろん、例年の甲子園級の高校なら何も問題はない。
問題があるのは……
「神鳥ですか?」
神谷が口を開いた。
「そうだ。
例年の高校野球のレベルなら、お前と山中のバッテリーを打ち崩せるチームは居ない。
だから、神鳥を全打席敬遠するなら勝てる可能性はある」
もちろん、そんな指示を俺はするつもりはないし、神谷もそんなつもりは毛頭も無いはず。
今の状態で戦えば、間違い無く神鳥を抑えることは出来ない。
「どこまで行けば、神鳥に勝てますか?」
「まずは、この大会で優勝する事。
それも、圧倒的な形でな。
それが出来ないようなら、夏に聖王を勝つことは諦めた方がいい」
「分かりました」
何か、覚悟を決めた様子で神谷は自室へと戻って行った。
強く言い過ぎたか?
しかし、事実だし問題無いか。
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フーッと、煙草の煙を吐いた。
煙は春の空に消えてゆく、独特の匂いが鼻をくすぐる。
藤井が言うように神谷には、俺の持っている技術の8割は叩き込んだ。
しかし、残りの2割を教えればあいつはそれをやろうとするだろう。
神谷の才能は、素晴らしいものだ、あいつにはまだ先がある。
もし、残りを全て教え故障し俺のように2度と野球を出来なくなったら、俺は指導者失格だ。
先がある神谷だからこそ、無茶はさせたくない。
大事に育てたいんだが……神鳥と言う存在がそれを邪魔するようだ。
「どのみち……英断しなきゃならないか……」
見なれない車が宿舎の前に停まっていたが、何も気にせず試合後の一服に浸った。
Side out
宿舎の広間のテレビで準決勝第2試合を見ている。
試合は、すでに7回の終盤だが大差で帝羽学園が勝っている。
決勝の相手は、当初の予想通り帝羽学園になりそうだ。
この試合、4番の横尾は3安打5打点、まさに絶好調ってやつだ、パワプロで言うならばピンク色で暴れまくってる。
試合後だが、次の試合の相手の試合となると広間にはほぼ全員いたが点差が開くに連れて人が減っていった。
身体を休めている者、バットを振りに行っている者、それぞれが思うように行動している。
加地先生が普段あまりとやかく言わないから、開成は皆がそれぞれ考えて宿舎での時を過ごす。
「神谷、トイレ行こうぜ」
隣に居る丸川が攻守交替の間にそう言った。
「いいよ」
広間から出て丸川とトイレへと向かう。
途中徹る玄関に見なれない車が停まっている。
甲子園に向かうバスでも無いし、宿舎関係の車でも無い。
無断駐車か? 迷惑な奴もいたもんだ。
そう思いながら通り過ぎようとした時、車のドアが開いた。
降りて来たのは、2人の女性。
片方は、30代くらいで大人の雰囲気が漂っているがもう片方は、サングラスに帽子をしていて表情が分からない。
でも、何か普通とは違う、オーラと言うか存在感が半端じゃない。
玄関のガラス張りの入り口を開け、2人が宿舎内へ入ってきた。
「神谷君は、今いますか?」
大人な雰囲気の人がそう聞いてきた。
「俺ですけど?」
嘘をつく理由がないの右手を小さく上げて答えた。
「少しお時間よろしいですか?」
「取材は全て断っているはずですが?」
「私的な話です」
サングラスをかけたもう片方の人は、依然として黙ったままだ。
取材でもないのにわざわざ訪ねてくるなんて、この人たち何者だ?
「神谷、ちょっと来い」
丸川がそう言って、俺の腕を引っ張り玄関との距離を開けた。
そして、2人に聞こえないほどの音量で。
「怪しすぎないか?」
何を今さら……
「大丈夫だろ」
「お前は、もう少し自分の立場を理解すべきだ。
一部のファンには、絶対やばい奴だっているはずだ」
丸川や他のチームメートが俺自身が世間の注目に対し、ストレスを感じていることは知っているしそのことで俺に気を遣っていることも知ってる。
だから、丸川が俺を心配してくれる気持ちは、よく分かる。
それでも、あの2人からは危機感は感じられない。
「ちょっと、早くしてよ」
サングラスの女が声を出した。
聞き覚えのある声……まさか……
「私が来てあげてるんだから、大人しく従いなさい!」
サングラスを外したその瞳は、蒼かった。
前川千紘……また会ってしまった……
「本物!?」
うるせぇよ、丸川。




