第2章 参り下向
「さて、準備は整ったか?」
「もう、ばっちし」
ジアスが、右親指を立てて、前に右手を突き出した。それを見て、トムは、うなづいた。
「じゃあ、出発だ!」
トム達はそのまま、家から出た。そして、戒律に則り左右のサイドミラーに、黒いカーネーションを付けて、車に乗って出発した。
「やれやれ、やっぱりな」
「どうしたの?」
後ろでは、朝早いせいでジアスが眠っていた。周りには、荷物がうず高く積まれていた。
「渋滞だ。このまま、数十kmにわたって延々続いているらしい。これを通るのに、何時間かかかるぞ」
「やっぱり、朝早くに出る人たちが多いのね…」
「ちょうど、この時期は参り下向に出かけやすいんだ。誕生日を含む前後2週間以内に、10歳毎に、つまりは、10歳、20歳、30歳…のような歳に、参り下向をすべし。戒律によると、そうなっていたな」
「ええ、そうよ。でもね、それには補足があって、女子の場合のみ、不浄時には、翌年又は、翌々年に参り下向する事は許される、と書かれているの。だから、女子の方は、もしも、生理に重なった時には、そう言って逃れる事が出来るの。でも、結局行かないといけないんだけどね」
「保護者も大変なのにな。参り下向時の交通費は、3万まで支給されるけど、それ以上になると、自腹だもんな」
「どうしようもないわ。でも、1日しか見る事が出来ないのに、そのために、こんなに大移動をするって言うのも珍しいんじゃない?」
「さあな。この世界は、天那教以外の宗教が育たなかったし、基本的に単一民族だ。だからこそ、このように簡単に、ファーザートムの教えが全ての人々に行き渡ったと思うよ」
「なるほどね。でも、それでも、この渋滞はきついよ。さっきから、ずっと動いてないじゃない」
「う〜ん…新しく出来た道があるから、その方向と分散して、うまく流れるって、政府ではそう言っていたがな…」
「政府答弁なんか、当てにしないの!なにせ、現実にはそんな事は起こってないんだからね。政府の言うことは、最終的には、国民の益にはならない方が多いんだから」
「確かにそうだが…」
助手席に座っている妻を横目に、トムは話し合っていた。高速道路に乗っており、抜け道はどこにもない状況だった。
「ねえ、本当にどうするの?」
妻は、何かを懇願する目でこちらを見た。
「あと、150mほどで、サービスエリアがある。そこで、一端休息をしよう。大丈夫さ。分速50mぐらいで進んでいるから。カタツムリよりかは早いと思うよ」
「本当に、後3分でつく事を切に願ってるわ」
実際は、2分半でサービスエリアの中にはいる事が出来た。だが、どちらを向いても車だらけで、止める場所がなかった。
「困ったな…車を止める場所が無いや」
「だから、あなたは無計画って言うの」
その時、偶然にもすぐ前の車が、出て行った。
「ラッキー」
そのまま、トムは車を止める事ができた。
15分ぐらい、ゆっくりと休息を取って、ここから、500km以上はなれたところにある、ファーザートムの神殿まで、これから、大体50km間隔でサービスエリアはあるが、それでも、どこでもこのような状況だと思われたからである。
「やはり、4時間は無理だったか…」
「当たり前でしょ!」
「まあ、そんな事も考えて、1週間と言う長い休暇を認められているわけだからな。予想はしていたって言う事だよ」
「予想していたら、なんで、もっと早く出かけなかったの?」
「しょうがないだろ?6時より早めに出かけたら、それこそ、徹夜の方が楽になるって言うことになりかねないからな。それを考えたら、こちらの方が楽だからな」
「そうかもしれないけど…」
「とりあえず、これからはよろしく」
「あ、ああ、はいはい」
高速道路の時は、いつも妻に最初の休憩場所で代わり、一気に行くのがキリハラ家の常だった。
妻は、ちゃんとした車線を引っ張ってあるところを通るのがいやだった。その結果、通る場所は、限られてくる。
「毎回、こんなところ、よく通るな…」
「うるさい!ほっといて!」
元暴走族で、車を限界ギリギリの速さで、路肩を走った。後ろから、警察が来たが、それよりも、遥かに速かった。
「さすがに、これはやばくないか?」
前には、タイヤをパンクさせるための棘月の物がいくつも設置された。
「上等じゃ〜!」
トムは、これからこのように錯乱に入りつつあるような状態の妻には、運転をさせないことを、心の奥底で固く誓った。
「まったく、どうしてこんな事をしたんだ?」
「すいません…」
妻が運転していたところをばっちり撮られており、妻の運転免許は、取り上げられた。
「なんであんなに飛ばしていたんだ?」
「参り下向に行こうとしていたんです。そしたら、こんな大渋滞に巻き込まれて…」
「なるほどな。今度からは、気をつけるようにね。免許更新は、来年の今日まで停止。その後、更新手続をするように」
「はいはい」
そして、警官は、路肩に止めた車を残して、そのまま走り去った。次の車を捕まえるために。
「やれやれ、これからは俺が運転しなきゃならないのか」
「がんばってね、あなた」
娘は、ずっと、後ろで眠っていた。
「ったく、ジアスはずっと後ろで眠っているし、お前はお前で免許剥奪されるし」
「たった、100km/hぐらいの速度超過なのにね〜」
「時速80kmのところで、直線だったからよかったが、これが、カーブとかだったら…」
「あら、大丈夫よ。カーブなら、160km/hぐらいに速度下げるからね」
「………」
そして、その後は、テープの音楽だけが、ずっと聞こえていた。
神殿に到着したのは、その日の、深夜だった。
「……」
誰一人として話をせずに、車の中でその日は明かした。
次の日、快晴。
「やれやれ、ようやく晴れたな」
「昨日もちょっと雲があったけど晴れだったわよ」
「そうだったか?」
「そうよ〜。ところで、ジアスは?」
「まだ眠ってる。今はもう少し寝かせておこう。そしたら、神殿の中に入る事にしよう」
さらに、12時ごろになって、ようやくジアスはおきた。
「う〜〜ん。あれ?今何時?」
ジアスが、伸びをしながら車の中から出てきた。
「おはよう。今は、お昼よ。もう、神殿について、後はジアスが起きるのを待っていたの」
「あれ?そうなの?」
そして、周りを見渡した。
「そう言えば、お父さんは、どこに行ったの?」
「散歩に出て行ったわ。もうそろそろ帰ってくると思うわ」
そして、その言葉どおり、5分もしないうちに帰ってきた。
「お、起きたか」
「うん。おはよう、お父さん」
「ああ、おはよう。
じゃあ、行くか」
「そうね。行きましょうか」
そして、3人は、揃って、神殿の中に入った。