ちゃっぴーに書かせる
帝都アヴァロンに雪が降っていた。
空から舞い落ちる白は、この都に積み重ねられてきた罪を覆い隠すにはあまりにも頼りなく、黒曜石で築かれた皇城の尖塔に触れるたび、すすけた灰へと変わっていった。
十六歳の少女、オルガ・イツカ・ヴィクトリアは、玉座の間へ続く長い回廊をひとり歩いていた。
深紅のドレスの裾が大理石を擦り、かすかな音を立てる。侍女も護衛もいない。つい昨日まで皇女にすぎなかった少女は、一夜のうちに父帝を失い、母を失い、兄姉を失った。
公式には、急病と事故。
だが宮廷に生きる者で、その言葉を信じる者はいない。
毒殺だった。
そして、その毒を盛ったのが誰であるかを、オルガは知っていた。
玉座の間の扉が開かれる。
中には帝国の重臣たちが並んでいた。宰相グレゴール、公爵、将軍、司祭。誰もが喪服をまといながら、その目には悲しみよりも値踏みの色を宿している。
――若い。女だ。孤立している。操れる。
その視線の意味を、オルガは痛いほど理解していた。
黄金の王冠が祭壇に置かれている。
司祭が朗々と告げた。
「ここに、ヴィクトリア帝国第七十二代皇帝、オルガ・イツカ・ヴィクトリア一世の戴冠を執り行う」
重い冠が彼女の頭上に載せられた瞬間、首が折れそうなほどの圧力がかかった。
これは祝福ではない。
責任でもない。
これは呪いだ。
列席者たちは膝を折り、形式的な忠誠を誓う。だが宰相グレゴールだけは、床に膝をつきながらも口元に笑みを浮かべていた。
儀式が終わると、彼は恭しく進み出た。
「陛下。国政はまだ難しゅうございます。しばらくは我ら老臣が補佐いたしましょう」
補佐。
その言葉の意味は明白だった。あなたは飾りでいればよい、と。
オルガは玉座に腰を下ろし、静かに彼を見下ろした。
「父を殺したのは、お前ね」
広間の空気が凍りついた。
グレゴールの笑みが消える。
「何の証拠が――」
「証拠ならないわ。でも、確信はある」
オルガはゆっくりと立ち上がった。
十六歳の少女とは思えぬほど冷たい目だった。
「そして、今夜わたしも殺すつもりだった」
誰も声を発しない。
グレゴールの額に汗がにじむ。
オルガは階段を下り、彼の目の前まで歩み寄った。
「残念だったわ。毒見役は昨日のうちに全員入れ替えた。近衛兵の指揮権も、あなたの手の者から剥奪した」
扉が開く。
武装した近衛兵たちがなだれ込み、宰相とその派閥の貴族たちを取り囲んだ。
「陛下! お待ちください!」
「待たない」
オルガの声は驚くほど静かだった。
「わたしは今日、家族をすべて失った。もう二度と、大切なものを奪わせない」
グレゴールが叫ぶ。
「たかが小娘に帝国は治められん!」
その言葉に、オルガは初めて微笑んだ。
だがそれは、少女の笑顔ではなかった。
「ならば見せてあげる。小娘が、どうやって帝国を支配するのか」
彼女が右手を上げる。
「全員、処刑」
悲鳴が広間に響いた。
数時間後、七つの首が皇城の門に吊るされた。
雪はなお降り続いていた。
その夜更け。
玉座の間には、ただひとりの少女がいた。
王冠を外し、玉座の足元に座り込む。小さな肩は震え、堪えていた涙がようやくあふれた。
「怖い……」
誰に聞かせるでもない、か細い声。
「わたしだって、怖いよ……」
そのとき、扉の向こうで鎧の音がした。
白銀の甲冑をまとった若き騎士が、静かにひざまずく。
ラパステ卿。
新たに近衛騎士団長に任じられた男だった。
「陛下」
オルガは涙をぬぐわずに振り向いた。
「みんな、わたしを怪物だと思っている」
ラパステは顔を上げる。
その銀色の瞳には、恐れも軽蔑もなかった。
ただ、痛ましいほどの敬意だけがあった。
「いいえ」
彼は静かに言った。
「あなたは、誰よりも人間らしい方です」
オルガの唇が震える。
「……それでも、ついてくるの?」
「世界のすべてがあなたを狂気と呼んでも」
ラパステは胸に手を当てた。
「私は、あなたの剣となります」
少女皇帝は、しばらく彼を見つめていた。
やがて、小さくうなずく。
「では命じるわ、ラパステ卿」
涙に濡れた瞳の奥に、炎のような光が宿る。
「この帝国を、誰にも奪わせない」
騎士は深く頭を垂れた。
「御意、我が皇帝陛下」
窓の外では、雪が静かに降り続いていた。
白い雪はやがて血に染まり、帝国全土を覆うことになる。
これは、救国の聖女にして狂気の女帝、オルガ・イツカ・ヴィクトリア一世の物語。
そして、その孤独を最期まで見届けた白銀の騎士、ラパステ卿の伝説の始まりである。




