巻末短編 茶葉を足す
閉店の札を下げると、町は少しだけ遠くなる。
境界町では、夜も昼も曖昧だが、
それでも“店を閉める時間”は存在する。
私は棚の前に立ち、茶葉の瓶を手に取った。
残りは、半分ほど。
十分だ。
だが、足しておく。
理由はない。
明日も、同じように湯を沸かすだけだから。
戸の外で、足音が止まる。
「もう閉めたか」
「はい」
「そうか」
アルトの声だった。
「用はない」
「そうですか」
「……ただ、言っておこうと思ってな」
戸越しに、少しだけ間が空く。
「今日は、名を呼ばれた」
「ええ」
「呼ばれたが、引き戻されなかった」
「境界町ですから」
小さく、笑う気配。
「勇者の名じゃなくても、
呼ばれると、ちゃんと立てるな」
「それは、よかったです」
「……明日も来る」
「いつも通りで」
足音が、遠ざかる。
私は、茶葉の瓶の蓋を閉めた。
この町では、
何かを増やすとき、理由はいらない。
減らすときも、同じだ。
外では、誰かが橋を渡っている。
急いでいない足音。
私は明かりを落とし、
戸を閉める。
境界町は、今日も終わらなかった。
そして、
始まりもしなかった。
それでいい。
湯は、また明日、沸かせばいい。
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