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境界町の茶屋で、立ち止まる ― 何者でもなくていい時間が、ここにはある ―  作者: 森永あおば


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3/12

第3話 戸口に立つ影は、名を呼ばない

 その日は、朝から町が静かすぎた。


 風が吹かない。

 市場の呼び声もない。

 時計塔の影だけが、いつもより長く伸びている。


 茶屋の戸を開ける前、私は一瞬だけ手を止めた。

 理由は分からない。

 ただ、そうしたほうがいい気がした。


 それでも、戸は開ける。


 境界町では、ためらいに意味はない。


 昼を少し過ぎた頃、客が来た。


 ――正確には、入ってこなかった。


 戸口に、立っている。


 背の高い影。

 人の形はしているが、輪郭が少し曖昧だ。

 光の当たり方がおかしい。


「……」


 声はない。


「どうぞ」


 そう言うと、影は一歩、店内に足を踏み入れた。

 床板が、音を立てなかった。


 席に座るでもなく、影はただ立っている。


「お茶をお持ちしますか」


 少し間があってから、低い声が返ってきた。


「……ここは、待つ場所か」


「ええ。急がなければ」


「皆、そう言う」


 その言い方が、妙に引っかかった。


「初めてですか」


「初めてではない」


「では……お久しぶりですか」


「それも、違う」


 影は、ゆっくりと店内を見回した。

 棚の茶葉。

 古い椅子。

 何も書かれていない壁。


「この町では、皆が“途中”だ」


「そうですね」


「だが――」


 影の声が、わずかに沈む。


「途中でいることを、望まぬ者もいる」


 私は茶を淹れながら、何も言わなかった。


「役目を終えた者」

「行き場を失った者」

「どこにも行けなかった者」


 影は、それらを知っている口ぶりだった。


「ここに来れば、皆、立ち止まる」


「立ち止まりますね」


「だが、立ち止まらせることと、救うことは違う」


 影が、初めてこちらを見た。


 目があるのかどうか、分からない。


「君は、どちらをしている」


 問いだった。


「お茶を出しているだけです」


 影は、少しだけ首を傾げた。


「それは、選ばないということか」


「そうとも言えます」


「……便利だ」


 その言葉に、温度がなかった。


 影は一歩、後ずさる。


「ここに長く居る者は、いずれ“動ける”」


「ええ」


「動けるのに、動かない」


「それも、選択です」


「選択……」


 影はその言葉を、噛みしめるように繰り返した。


「では、問おう」


 低く、静かな声。


「君は――

 誰が、この町を出るかを決めている?」


 私は答えなかった。


 答える必要が、なかった。


 しばらくして、影は小さく息を吐いた。


「……やはり、ここは」


 それ以上は言わず、影は踵を返した。


 戸を出る直前、振り返る。


「名を呼ばぬ者ほど、

 名を奪うことがある」


 そう言い残して、影は町に溶けた。


 しばらくして、いつもの客が来た。


 鎧を着ていない、あの男だ。


「……今日は、空気が重いな」


「そうですね」


「何かあったか」


「いいえ。お茶を出しただけです」


 男は納得しない顔をしたが、それ以上は聞かなかった。


「ぬるめで」


「承知しました」


 湯を注ぐ。


 町は、また静かになる。


 だが――

 境界町は、止まっているだけで、閉じてはいない。


 それを思い出させるには、

 あの影は、十分だった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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