第11話 一歩分だけ、時間が進む
朝、境界町に霧が出ていた。
濃くはない。
だが、輪郭を曖昧にするには十分だった。
茶屋を開けると、
店の前に人影があった。
女性だ。
今日は、いつもの席には向かわなかった。
戸口のそばに、立っている。
「おはようございます」
「おはよう」
声は落ち着いていた。
「お茶は」
「……いえ」
その返事は、
この町では珍しい。
少しして、アルトが来る。
霧の中で、足を止める。
「……今日は、だな」
「ええ」
外套の人も、遅れて現れた。
今日は、何も言わない。
ただ、そこに立っている。
女性は、三人を見回した。
「昨日」
ゆっくりと話し始める。
「私は、“待つのをやめる”と言いました」
誰も遮らない。
「正確には」
彼女は、言葉を選ぶ。
「待つことを、
理由にしないと決めました」
外套の人が、わずかに息を呑む。
「だから」
女性は、一歩、外へ踏み出す。
霧の中に、足先が消える。
――時計塔のほうで、
小さな音がした。
誰かが、聞き間違えた程度の音。
だが、確かに。
「……今」
アルトが呟く。
私は、何も言わなかった。
女性は、振り返らない。
「ここは、いい町です」
それだけ言う。
「急がせない」
「責めない」
「選ばせる」
霧の中で、声が少し滲む。
「だから――」
一拍。
「私は、自分で選びます」
それ以上、言葉はなかった。
女性の姿は、
霧に溶けるように消えた。
門があったわけではない。
光も、風も、ない。
ただ、
そこにいなくなった。
しばらく、誰も動かなかった。
外套の人が、深く頭を下げる。
「……行きましたね」
「ええ」
アルトが、空を見上げる。
「置いていかれた気分か」
「いいえ」
外套の人は、静かに答える。
「置いていかれたのは、
彼女が待っていた“私”です」
それは、
初めての自覚だった。
霧が、少しずつ晴れていく。
町は、いつも通りの姿を取り戻す。
だが――
時計塔の針が、
ほんのわずかだけ、
角度を変えていた。
誰も、断言はしない。
偶然かもしれない。
錯覚かもしれない。
それでも。
私は、茶葉の瓶を開け、
少しだけ足した。
今日は、理由があった。
境界町は、
止まったままではない。
進まないことを、
選び続けているだけだ。
そして時々、
一歩分だけ、進む。
それで、十分だ。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




