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境界町の茶屋で、立ち止まる ― 何者でもなくていい時間が、ここにはある ―  作者: 森永あおば


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第9話 返事をしない人

 その人は、約束を守る顔をしていた。


 きちんとした外套。

 磨かれた靴。

 背筋はまっすぐで、迷いのない歩き方。


 だが、茶屋に入ってきたとき、

 ほんの一瞬だけ、足が止まった。


「……ここが」


 誰に向けた言葉でもない。


「どうぞ」


 声をかけると、

 その人は小さく会釈し、席に着いた。


「お茶を」


「はい」


 湯を注ぐあいだ、

 その人は店内を見回していた。


 懐かしむでもなく、

 探すでもなく。


 確かめている。


「この町は、待つ場所だと聞きました」


「そう言う人もいます」


「では、待たれている人も?」


 質問は穏やかだった。


「います」


「……そうですか」


 その声に、

 安心と安堵が混じっていた。


 昼過ぎ、女性が来た。


 いつもの席。

 同じ姿勢。


 その人は、女性を見るなり、

 微かに目を見開いた。


 だが、すぐに視線を外す。


 女性は、その存在に気づかなかった。


 あるいは――

 気づかないことを選んだ。


 沈黙が、店内に落ちる。


 先に口を開いたのは、

 外套の人だった。


「……あなたは」


 女性は顔を上げる。


 二人の視線が、初めて交わった。


 それだけで、

 空気が変わった。


「……来たのですね」


 女性の声は、驚いていなかった。


「約束を、思い出しまして」


「約束」


「ええ」


 外套の人は、

 困ったように笑う。


「ずっと後でいい、と言われた」


 女性は、頷いた。


「言いました」


「だから、遅くなりました」


 その言葉は、

 正しくて、残酷だった。


 アルトが、奥の席で息を吐く。


「……悪気はないな」


「ええ」


 私は答えた。


「悪気はありません」


 外套の人は、

 女性に向き直る。


「迎えに来ました」


 女性の手が、

 初めて震えた。


「今、ですか」


「今なら、行けるでしょう」


 女性は、ゆっくりと首を振る。


「……私は、ここで待っていました」


「それは、知っています」


「なら」


 声が、わずかに掠れた。


「なぜ、返事をくれなかったのですか」


 外套の人は、答えに詰まった。


「急かすのは、違うと思って」


「……待つことを、選ばせたのですね」


「尊重したつもりでした」


 女性は、目を伏せる。


「尊重されると、

 人は動けなくなります」


 その言葉は、

 長い時間の重みを帯びていた。


 外套の人は、何も言えなかった。


「ここは」


 女性は、静かに続ける。


「返事がなくても、

 待っていていい町です」


「……それが、救いだと?」


「いいえ」


 女性は、初めてはっきり否定した。


「救いではありません。

 でも――」


 顔を上げる。


「私が、選んだ場所です」


 外套の人は、

 深く頭を下げた。


「……遅くなりました」


「ええ」


「それでも、行きますか」


 女性は、答えなかった。


 茶が、完全に冷めていた。


 私は、湯を注ぎ直す。


「急がなくていいですよ」


 それは、

 誰に向けた言葉でもなかった。


 外套の人は、

 しばらく黙って座っていた。


 やがて、立ち上がる。


「……返事は、待ちます」


 女性は、何も言わなかった。


 その背中を見送りながら、

 アルトが小さく呟く。


「待たせるってのはな」


「ええ」


「待つより、重い」


 女性は、湯呑みを両手で包み、

 静かに息を吐いた。


 境界町は、

 今日も誰も急かさなかった。


 だが、

 返事をしないことの重さだけは、

 確かに残った。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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