第2章 調整導入
椅子に座ったまま、背中を支える感触に体を預けていた。
人工の素材なのに、抱きしめられているように温かい。腰のくびれに沿って支えがせり出し、肩の下にはふわりとした圧が差し込む。僕の体型を正確に把握して、最も楽に感じる姿勢に導いてくる。
壁の光が点滅した。
「A-317、呼吸を合わせてください」
事務官の声が、耳の奥に直接流れ込むように響いた。
吸う。吐く。
深呼吸のリズムに合わせて、胸の奥が温かくなる。
心拍が落ち着くと同時に、視界の端に淡い光が現れた。
——女の姿。
はじめは輪郭だけ。だが、瞬きのたびに鮮明になっていく。
黒髪、白いブラウス、長い脚。
そう、校門で別れた彼女の姿だ。
「リラックスを促すために、安心する映像を提示します」
事務官が説明する。
だが僕の視線は、もう幻影の彼女から離れなかった。
現実と寸分違わぬ顔立ち。唇の形、胸の張り、細い腰の曲線。
まるで、すぐ隣に立っているかのようだった。
幻影の彼女は微笑んだ。
「大丈夫だよ。ちゃんと、寝て」
昼間と同じ言葉。
それを聞いた瞬間、胸の奥に甘い熱が広がる。
座席の支えが、さらに密着してきた。
腰骨の下を押し上げ、太ももの裏を包み込む。
まるで誰かの手が、足を支えてくれているようだった。
「これから軽い電気刺激を加えます。痛みはありません。快適度を確認してください」
事務官が言った。
次の瞬間、脊髄のあたりに微かな震えが走る。
痛みではない。むしろ、背中の奥が心地よく温められる感覚。
それは徐々に腰へ、太ももへと広がっていった。
「……っ」
思わず声が漏れた。
背中が熱を受け、胸の奥が震える。
幻影の彼女が一歩近づき、僕の膝に触れようとする。
だが手は触れない。皮膚すれすれで止まり、見えない熱だけが伝わる。
事務官は表情を変えず、タブレットに数字を記録していた。
「適合度、良好。被験体A-317は高反応です」
彼女の声は冷静なのに、僕の鼓動は早まっていた。
座席はさらに動き、太ももの付け根や脇腹をそっと押し支える。
服越しに感じる、柔らかくも逃れられない圧力。
体がゆっくりと開かれていくようで、抗えなかった。
「次に、記憶投影を行います」
事務官の言葉と同時に、幻影の彼女が僕の前に腰を下ろした。
膝と膝が触れそうな距離。
ブラウスの胸元が揺れ、スカートの裾がふわりと動く。
太ももの白さが露わになり、僕の視線を釘付けにする。
彼女は僕の名前を呼びそうになり、すぐに言い換えた。
「……A-317」
番号で呼ぶ声が、どうしようもなく艶めいて聞こえた。
胸が高鳴る。
体の奥から熱が上がってくる。
座席がその反応を読み取り、さらに腰を深く包み込んだ。
事務官の声が遠くで響く。
「心拍上昇。神経信号、良好。次段階に移行します」
幻影の彼女が身を乗り出し、顔を近づける。
吐息が頬にかかる。
唇が触れるかと思った瞬間、事務官の声がまた割り込む。
「安心してください。これはあなたの“楽さ”を確認するための工程です」
安心。
その言葉が逆に心を揺さぶる。
彼女の姿は夢のように鮮明で、手を伸ばせば触れられる。
だが幻影だから、触れることはできない。
触れたい。けれど触れられない。
そのもどかしさが、全身を熱くしていった。
「A-317、深呼吸を」
事務官の声に従い、僕は吸い込み、吐き出す。
その呼吸に合わせるように、幻影の彼女の胸も上下する。
張りのある胸の動きに、視線が勝手に吸い寄せられる。
座席がさらに体に沿い、股関節の奥にじんわりと温かさが広がった。
体の芯を撫でられるような熱。
息が荒くなる。
数字が壁に映し出され、事務官が頷いた。
「適合率、上昇。とても良い反応です」
幻影の彼女は微笑みながら、僕の手に手を重ねた。
触れられたはずなのに、実際には空気だけ。
しかし皮膚は確かに感触を覚えている。
甘い錯覚に全身が捕らわれていく。
心臓が早鐘を打つ。
視界は彼女でいっぱいになる。
そして僕は理解する。
——これはただの面談でも調整でもない。
僕の反応そのものが、何かに利用されている。
神経信号を読み取られ、数字に変換され、Motherへ送られている。
けれど、抗えなかった。
彼女が目の前にいる限り。
僕は息を荒げたまま、背を椅子に預けた。
光が強まり、部屋全体が白く霞む。
幻影の彼女が囁く。
「大丈夫。もっと楽に、ね」
その声に従い、僕は目を閉じた。
次の段階へ、自分が運ばれていくのを感じながら。