婚約破棄を予告されました
私の婚約者のリチャード様は浮気している。
それを私は片目を瞑って見ている。
「浮気」が遊びのうちは許してあげましょう。「本気」じゃないならね。身代傾けたり一線越えたりしなけりゃね。
でもどうやら、雲行きが怪しい。
「セリカ、これ、読んだことあるか」
ある日リチャード様が差し出した本は、流行りの恋愛本だ。身分差の悲恋。卒業パーティーでの婚約破棄。悪逆な令嬢を追放して可憐な主人公との真実の愛を成就する話だ。
「ございません」
私が即答するとリチャードは様は顔をしかめた。
「だろうと思った。誰もが読んでいるのに、お前ときたら」
私は驚いた。
「まあ、リチャード様は読まれたのですか?」
読書は大嫌いではなかったか。
「……お前も少しはこういう流行りのものも読んで、教養を身につけないといけない。ところでこの本の内容なのだが」
あ、読んだんじゃないんですね。しかも、教養ときた。
この物語は劇にもなり、有名なので私もその内容だけは知っているのだが。
「詳しく存じませんのですが」
「この話では『婚約破棄』を宣言するのだが、結局『婚約解消』するしかなかった。この二つはどう違う?」
「……」
そんなことも知らないのにもビックリだが、それを知ろうとしているのにはさらにビックリだ。
……さては、婚約破棄を目論んでるな。
「……そうですわね。婚約破棄というのは、どちらか片方が一方的に婚約を無くそうとすることのようですが、我が国にはそのような制度はありませんのでよくわかりません」
リチャード様はたいそう驚かれた。
「無いのか!?」
「無いんですのよ。婚約解消の制度はございますが、我が国ではどちらか片方だけが望んだとしても、もう片方が納得しなければ解消することはできません」
「いやだがしかし……」
「婚約破棄などお話の中の出来事です。現実にはあり得ません」
「そ、そうなのか。では婚約を無くしたいときはどうするのだ」
……あのね、私、あなたの婚約者ですよ。解消方法を婚約者本人に聞きますか?
だが私は何も気付かないふりで小首を傾げて見せた。
「婚約を結んだのが本人同士ならばまだ可能性はございます。公証人を交えて話し合いを行い、慰謝料や罰則などが合意に至れば解消されます。双方の合意が得られなければ解消は成立しませんが、結婚予定日を過ぎても決着しない場合は公証人の判断に委ねられます」
「……可能性はなさそうだが」
「そうですね。先々月にも一件、この方法での婚約解消が成立して、五年ぶりだと話題になりましたわね」
我が国の女性の地位は諸外国に比べ低いので、そもそもわざわざ婚約解消をしなくても、結婚だけしておけばいいという考えの貴族は多い。なので解消を申し立てるのは女性の側からが多く、よほどの理由がある時だけとなる。その上、解消が成立するのも稀だ。我が国の婚姻制度があんまりだという諸外国の圧力に負けて解消の制度のみ制定されたのだ。破棄を可能にすると、不貞を理由にバンバン申し立てが起こり、貴族の多くに不都合だからだろう。
リチャード様は、片手で口元をつるりと撫でた。緊張されると彼はよくこの仕草をされるのだが、私はこの方のこの仕草が大嫌いだ。
「で、では、俺たちのように親同士が決めた場合は?」
……はあ。私は心の中でため息をついた。
「その場合、双方の親同士の話し合いと合意が必要で、たとえそれで合意に至っても、親同士が結んだ婚約は公的な契約になるので、無効にするには国王陛下の裁定が必要となります」
「陛下の、裁定……」
「両家の政治的配慮などが理由となることが多いですが、それも双方の親が解消に同意した場合です」
「……では、そもそも親が許さない時は……?」
「どうしようもないでしょう。本人同士がどれほど嫌でも、結婚するしかありませんね」
リチャード様は近くの椅子にドサリと座った。それはアンティークの貴重な椅子なんですよ、手荒に扱わないでください。
「これは、例えばなんだが、その、なんだ。友人!友人の話なんだが、その男には子供の頃から親が決めた婚約者がいるんだが、その令嬢は悪い奴じゃないんだがどうにもときめかない。そうしているうち、男の前に愛らしい女性が現れ、男は深く愛してしまった。愛した女性が自分を正妻にしろと懇願しているんだ。男もどうにか叶えてやりたいが親は同意しない。どうすればいい」
私は頭を抱えたくなった。
ときめかなくて悪かったわね。でもおあいこね。私も全くときめかないから。でもね、「ときめかない」じゃ親同士が決めた婚約を無くす理由にはならないの。とーーっても残念だけど。
……さて、どうしようか?いっそのこと、やらかすようにそそのかして、破滅させたろかい。
一瞬誘惑に駆られたが、それだと火の粉がかからんとも限らないので、やり過ぎないのが肝要だ。
「そうですわね……。かなり難しいですね(無理だよ)。過去にそのような例は、あったでしょうか(前代未聞だよ)」
「そうか、もし前例があるなら詳しく知りたい」
「……承知いたしました」
リチャード様は足取り軽く扉へ向かったが、何かを思い出したように振り返る。
「おい、お前、卒業式には出るのか?」
「来月のリチャード様のでしょうか?いえ、下級生は出席できませんので」
「いいから出ろ、必ずだぞ。いいな!」
「……善処します」
私はため息を押し殺して返答した。
卒業パーティという習慣は我が学園にはない。ということは、パーティで婚約破棄できないリチャード様が考えそうなことはひとつだ。
こうして、卒業式での婚約破棄予告をしていった私の長年の婚約者、鼻歌交じりで出ていくリチャード様を見ながら、どう料理してやろうかと腕を組んだ。
それにしてもリチャード様、ウチの学園の卒業式の伝統、ご存知なかったんですね。結構、有名なんだけどなぁ。
「セリカ・カーエスバーグ!俺はお前との婚約を破棄する!」
壇上で校長先生から卒業証書を渡されたその場で、リチャード様は宣言した。講堂は静まり返っている。
私が無理矢理ねじ込ませてもらった在校生席で黙っていると、業を煮やしたのかリチャード様に駆け寄った女が目にハンカチをあてながら叫んだ。
「セリカさん!私は、あなたが私に対して行った非道の数々を許します。だから、あなたも私たちが禁断の恋に落ちてしまったことを許して!」
これが正妻にしろと懇願したという女性か。学生ではなさそうだ。私が黙ったままだと、リチャード様もすかさず叫んだ。
「セリカどこだ!出てこい!」
周囲が私を振り返り、固唾を飲んで見つめている。私は複雑な思いを抱えながら深くため息をついた。
仕方がない、いっちょやるか。
「リチャード様……」
私はヨロヨロと立ち上がり、講堂の中心へと進み出て叫んだ。全員に聞かせないとならないのは結構難しいのだ。
「なぜ、なぜですの!?長年の婚約者は私です!!幼い頃からずっと、婚約者としてふさわしくなるべく研鑽を積み、あなたをお支えしてきたではありませんか!あんまりです!」
すると壇上で手を取り合っていた二人は、ニヤリと笑った。
「いくら俺の心が得られないからといって、俺の最愛に酷い虐めをするような女は、俺の婚約者にふさわしくない!」
そしてリチャード様は、あの恋愛本の決め台詞、大流行した「あの言葉」を、隣の女の腰を引き寄せながら叫んだ。
「これが真実の愛だ!」
すると、会場の全員がワッと盛り上がった。
「いいぞぉ、リチャード!」
「よっ、千両役者!」
「セリカさんも、こんなお茶目な一面があったのね、知らなかったわ!」
「ご両人!」
「三代目!」
ここで私は壇上へ登り、パンパンと手を叩いて会場を静まらせると、にっこりと笑って言った。
「皆さま、せーの!!」
「「「「リチャード、卒業おめでとう!!」」」」
講堂が声を揃えて祝福した。そして大歓声。講演台の向こうの校長先生までもが手を叩いて笑っている。
「ほら、行きますわよ」
私は唖然としている二人に声をかけた。
「さっさと退場して。リチャード様も元のお席に。早く!」
「では次!」
校長先生が促すと、次の卒業生が壇上へ上がってきた。ピンクのウサギの着ぐるみを着ていた。騎士団に入団予定のゴツい男子学生だったので会場は大ウケだった。その学生にも全員で「卒業おめでとう」と声を揃える。次の女子生徒は男装しており、会場から黄色い声が上がっていた。歌を歌い出す者、舞を舞い出す者。寸劇をする者も。
そう、我が学園の卒業式の伝統は、一芸を披露するというものなのである。
この卒業式より前、リチャード様から婚約破棄についての質問を受けてすぐ、私は父に付き添われてリチャードの両親を訪ねた。
「確かにウチのリチャードは、歳の割に幼いところはあるが、そこまで愚かではない、はずだ」
私が例の、リチャード様に婚約破棄の方法を聞かれた件や、卒業式に必ず出るよう言われた件を話すと、リチャード様のご両親は赤くなったり青くなったりしていた。
「それに、リチャードの恋人を君が虐めたという噂は?」
リチャード様のお父様が問いただす。あのね。
「リチャード様にはたくさんの恋人がいらっしゃいます。俺の最愛だとか生涯の恋人だとかとおっしゃった方は、過去にも何人もいたのです。その方たちへのプレゼントを準備したり、デートの予約をしたりするのは私でした。なんで今更、嫉妬で虐めなどしなければならないのです?」
リチャード様のお父様は下を向いて黙り込んだ。あまり追い詰めてもいけない。処世術だ。
「信じたくないというお気持ちは、よくわかります。私も最初にリチャード様が浮気をなさった時は信じられず、枕を濡らしたものでした。そうですね、それでは、もしリチャード様が本当に卒業式で婚約破棄を宣言したら、私たちの婚約は両家の合意での円満解消としてくださいませんか。リチャード様が踏みとどまったら、両家の方針に従います」
その場の大人たちは全員、唖然としていたが、最初に冷静になったのは我が父だった。
「しかし、リチャード君が公衆の面前で宣言してしまっては、円満解消に持ち込むのは難しくなってしまうぞ。醜聞は避けたい」
「そうですわね。ですから、校長先生に根回ししておきたいと考えております」
私の説明を聞き、リチャード様のご両親は真っ赤になっていた。恥か、怒りか。だが、リチャード様がまさかそんなことをという気持ちもあるのだろうし、彼が踏みとどまるに違いないという望みに賭けたい気持ちもあるのだろう。私の計画に乗ってきた。そうこなくっちゃ。ふふ。
そしてやはり、こうなったという訳なのだった。
「……さて諸君、卒業おめでとう」
校長先生が話し始めた。
「全員、無事卒業できたことを喜ばしく思う。その卒業証書を手にこの講堂から出た瞬間から、君たちは学園生ではなくなる。一人の貴族としてしっかりと歩んでいってもらいたい。
さて固い話はここまで。今回の卒業式は豊作だった。楽しいパフォーマンスが盛りだくさんで甲乙つけ難いが、今回の「卒業パフォーマンス賞」はリチャード・ウォレス君に送りたい。リチャード君とセリカ嬢は、円満に婚約を解消予定と聞く。様々な条件が合わなくなったとか。ともすれば辛い話題になりがちな婚約の解消を、流行りに乗って劇にするとは。リチャード君にこんなにユーモアのセンスがあるとは知らなかったぞ、なかなかの演技力だったしな!」
先生が言葉を切ると、皆拍手したり口笛を吹いたり足を踏み鳴らしたりした。大歓声だ。唖然と口を開けているのはリチャード様のみ。本当に卒業式の伝統をご存知なかったのね。件の女性は姿も見えない。逃げ足が早い。
「だが、流行の小説が流布しているからこそのパフォーマンスだ。私はああいった荒唐無稽な、現実ではあり得ないような滑稽劇は、たまの気晴らしには良いなと思っている。たまにならな。通常はもちろん、もう少し現実味のある物語を好む。珍味はたまにだから良いのだ。賢い諸兄なら、わかるだろう」
先生は、リチャード様が本気で婚約破棄を企んでいたことを知っていて彼に向かって皮肉っているだけでなく、珍味(愛人)はたまにだからいいのであり、現実には正夫人を大切にしろと暗に父兄に苦言を呈しているのだ。正論だけに面白くないと思う父兄もあることだろう。不愉快だという思いは校長先生ではなく、リチャード様へと向かう。その辺りが落とし所だろう。
卒業式が終わったら、私は真っ先に校長先生にお礼をしに行った。
「ありがとうございました、先生」
「本当に宣言したな、まさかと思ったが。それで婚約解消を公にしてしまって、良かったのかな?」
「はい、有耶無耶にされては嫌なので。あれだけの父兄が聞いていれば、予定通り解消になるでしょう」
「……そうか、そうだな。リチャード君はどうなる?」
「あちらのご両親にお任せしてあります。私には裁量権はありませんから」
私は婚約解消できれば十分だ。事情を察する者も多いだろうしね。
「そうか。君は?本当に留学してしまうのかい?」
「はい、推薦状をありがとうございました。おかげさまで隣国の学園から入学許可をいただきました」
「優秀な学生がいなくなるのは残念だが、この学園や我が国では、君の才能を活かせないだろう。この国は女性の地位が低すぎる」
「過分な評価をいただきまして。先生のようなお考えの方が増えればいいのですが。では、これで。お忙しい中、お時間をありがとうございました」
「ああ、頑張りなさい」
校長先生は微笑んだ。話のわかる人でよかった。
社交界は恐ろしいところだ。あの二人は貴族らしい方法で罰せられることだろう。下手に手を出すと、巻き添えを食って評判を落とすことになりかねない。君子危きになんとやら、触らぬ神になんとやら。ご列席の皆様、おいしいところは差し出しますので、私がトドメを刺さずに逃げ出すのは見逃してくださいね。
ま、こんなもんでしょう。上出来上出来。さぁ〜って、とっとと距離を取るか。私は晴れ晴れとした気分で校長室を後にした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。