第1話 最後の魔法学院生(4)
「失礼します、開いてますか?」
「あ、はい!もちろんでございます。どうぞお入りくださいませ!」
リュシアは勢いよく立ち上がり、緊張した面持ちで扉を開ける。
扉の向こうには、栗色の髪を揺らし、瞳をきらきらと輝かせた少女が立っていた。
「わあ、素敵な店ですね!」
「あ……、ありがとうございます。お独りでお越しでございますか?」
「はい。あ、でも先客の方がいらっしゃるのですね」
少女はアルディスに気づき、会釈。アルディスもハッとしたように丁寧に頭を下げる。
「あたし、ソラ・ミントっていいます。麓の村に住んでて。
この建物、昔から知ってはいたのですが、お店だとは思わず……今日は何だか特別に美しく見えて、つい足を運んでしまいました」
「ソラ様ですね。私はリュシアと申します。この店の店主でございます。」
ソラと名乗った少女は、好奇心と少しの緊張を隠しきれない様子。リュシアは別のテーブルに案内しようとしたが、ソラは首を振る。
「もしよろしければ、あちらの方とご一緒させてもらえませんか?
一人だと少し緊張してしまって……」
アルディスは快く同意し、ソラは向かいの席に座る。
ソラが席に着くと、椅子が温かく光り、歓迎の輝きを放つ。
リュシアは少し戸惑いながらも、新しいカップを用意する。
「ソラ様は、何かお飲みになりたいものはございますか?」
「ええと……あんまり分からなくて。お任せでもいいですか?
おすすめのお茶があれば」
リュシアは再び魔法の茶箱へ。
今度はどんなお茶がよいだろう。
ソラという少女は明るく見えるが、どこか不安を抱えているように感じられる。
選んだのは、西の森で採れたレモンバームとカモミールのブレンド。
心を落ち着かせ、新しい出会いへの勇気を与えてくれるはず。
再び想魔術の準備をしながら、リュシアは今日という日の不思議さを噛みしめる。
ずっと誰も来なかったのに、今日は一度に二人も。
カップの中では、じっくり抽出された淡い翠色のハーブティーが静かに揺れている。
小さなスプーンで蜂蜜をひとすくい。とろけるように、翠色の中にとゆっくりと沈んでいく。
リュシアは息を整え、祈るように両手でカップを包み込む。
その瞬間、金色の光がふわりときらめき、店内に優しい香りが広がった。
「本日は、〈新しい扉を開く、蜂蜜の香り茶〉、ご用意いたしました」
少しだけ迷いながら名付ける仕草が、どこか初々しい。
ソラの前にカップを置くと、彼女は嬉しそうに香りを楽しむ。
「良い香り……なんだか心が軽くなりそうです」
ソラはカップを口元に運び、一口含む。
その瞬間、彼女の瞳がぱっと輝きを増し、頬に柔らかな微笑みが広がる。
しばし味わうように目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出すと、ふと何かに気づいたようにリュシアを見上げた。
「あの……これって、もしかして、魔法……なんですか?」
リュシアは一瞬戸惑い、視線を落とす。
アルディスがやさしく微笑み、ソラに向き直った。
「ええ、これは“想魔術”という特別な魔法の一種です。
リュシアさんが、お茶に想いを込めてくれたんですよ」
ソラは驚いたように目を見開き、そして少しだけ複雑な表情を浮かべた。
「やっぱり……魔法、なんですね。小さい頃は、魔法ってきっと素敵なものだと思っていました。
空を飛んだり、花を咲かせたり……でも、
あたしの祖父母は魔法の事故で亡くなったんです。それ以来、ちょっと怖いものだと思うようになって……」
「でも、今日の魔法は全然怖くなかった。むしろ、すごく優しくて、温かくて……」
「……ありがとうございます、ソラ様。私の力はささやかですが、本日のお茶には“安らぎ”や“勇気”の想いを込めております」
ソラは再びカップを手に取り、ゆっくりと飲む。
「まるで誰かが、あたしを大切に思ってくれているみたい……。あ、なんだか照れますね、こういうの」
リュシアの瞳が潤む。長い間、誰にも理解されなかった想魔術の温もりを、この少女はたった一口で感じ取ってくれた。
「ありがとうございます、ソラ様」
リュシアの声は、かすかに震えていた。
アルディスは頷き、微笑みを浮かべながらも、心の奥で深い感慨に包まれていた。
(これが――“想魔術”。想いを魔法の力で物や空間に宿す術。時を越え、人の心に寄り添う力……)
ふと、リュシアがおずおずと口を開く。
「あの……もしよろしければ、ご相伴に預からせてもらっても?」
古めかしい言い回しに、アルディスは一瞬きょとんとした表情を浮かべる。
「つまり、店主さんも一緒にお茶しませんか?ってことですよね!」
アルディスも「あ、なるほど」と頷き、柔らかく微笑んだ。
「は、はい……長い間、いつも一人で淹れておりましたので……もしよろしければ」
リュシアの頬がほんのりと赤く染まる。
「もちろんです!」
「ぜひ、ご一緒に」
ソラとアルディスが声を揃え、リュシアは小さく微笑んだ。
リュシアは自分用のカップを手に取り、残っていたお茶を注ぐ。カップの中で琥珀色が揺れる。
三人はそっとカップを手に取り、静かに顔を見合わせた。
その瞬間、自然と微笑みがこぼれ、店内に安らぎが満ちていく。
やがて、誰からともなく他愛もない話が始まり、穏やかな笑い声が小さく響いた。
アルディスはカップを口元に運びながら、改めて店内を見回した。
この建物の不思議な温もり、想魔術の力、そして何より――目の前の少女。
文献で読んだ記述と、あまりにも多くが重なっている。
(もしかすると、彼女は……)
その時、ソラが嬉しそうに声を弾ませた。
「ねえ、リュシアさん。もしよかったら、また来てもいいですか?
あ、でもご迷惑じゃなければ!」
「もちろんでございます。いつでも、どうぞお越しくださいませ」
リュシアは、こみ上げるものを感じ、慌てて微笑みでそれを隠した。
「それにしても、リュシアさんの言葉、すごく可愛いけど、ちょっと古風だよね。今度あたしが直してあげる!」
リュシアは思わず頬を赤らめ、アルディスも微笑んだ。
窓の外では秋の風が、色づき始めた葉を揺らし、新しい季節の始まりを告げていた。
長い孤独が、ゆっくりと溶けていく朝だった。