第1話 最後の魔法学院生(3)
アルディスの目が輝く。
「ぜひ、お願いいたします」
リュシアは立ち上がり、カウンターへ向かう。
魔法の茶箱を開き、今日の最初のお客様にふさわしい茶葉を選ぶ。
魔法の茶箱から慎重に茶葉を取り出す。
「今日もよろしくお願いします」と心の中で茶葉に挨拶し、香りを胸いっぱいに吸い込む。
選んだのは、東の国で採れた上質な紅茶の葉。
少量のベルガモットと、心を落ち着かせるカモミール。この青年の心に感じる切迫した孤独感に、安らぎと勇気を込めて。
古い銅製のポットに手を触れると、微かな魔法の光が灯る。
その瞬間、キッチン周りの木の引き出しが温かな金色に染まり、壁に刻まれた植物の装飾が生命を得たように脈動し始めた。
お湯が沸く間、現在と過去が重なり合い、窓ガラスには薄っすらと過去の記憶が浮かぶ――、リュシアは、かつて祖母が愛情込めてお茶を淹れてくれた姿を思い出した。
お湯を沸いたらポットを手に想魔術の準備を始める。お湯でゆったりと円を描き、茶葉が開く様子を愛おしそうに見つめ、心の中で願う。
「美しく咲いてください……」
カップに注ぐ直前、両手をかざして目を閉じる。指先から淡い琥珀色の光が茶に溶け込んでいく。
「〈寂しさを溶かす琥珀のミルクティー〉、ご用意できました」
「あの……お待たせいたしました。どうぞ」
接客では緊張を隠しきれない。お茶を用意している時の凛とした雰囲気との違いに、アルディスはつい微笑んでしまう。
「ありがとうございます。素敵なお名前ですね」
アルディスがカップを口に運ぶと、表情がゆっくりと和らいでいく。
温かなミルクティーの味だけでなく、どこか懐かしい安らぎが心に広がる。
そして一瞬、彼の心に浮かんだのは――
子供の頃、珍しく父が作ってくれた温かなミルクティーの記憶。
祖母が枕元で読んでくれた本の記憶。
初めて飼った小鳥のぬくもり。
失いかけていた、大切で温かな思い出たち。
「これは……」
アルディスは驚いて顔を上げる。リュシアは不安そうに彼を見つめる。
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ、その逆です。とても……とても温かくて。まるで忘れていた何かを思い出したような」
アルディスは再びカップを持ち上げ、ゆっくりと味わう。
リュシアは胸に手を当て、小さく息を吐くと、微笑みがこぼれた。
「よろしゅうございました……。お店としては、本当に、久しぶりのお客様でしたので、うまくできるか心配で」
「確かに、このあたりはあまり人が住んでいるように見えないですね………。どれくらい久しぶりなのですか?」
「少なくとも百年になるかと」
「百年……!?」
アルディスの目が大きく見開かれ、店内に静かな沈黙が降りた。
窓から差し込む陽光が微かに揺れている。
「あ、ええと……」
リュシアは自らの言葉に動揺して口を押さえる。つい本当のことを言ってしまった。
「百年、というのは……?」
アルディスが慎重に尋ねる。その声には、抑えた驚きと、期待にも似た微かな震えが混じっていた。
リュシアは一度、ゆっくりと目を閉じて呼吸を整える。
(――もし、これで嫌われてしまったら……)
それは、長い年月を経て初めて自らの真実を誰かに告げる瞬間だった。
意を決して顔を上げると、頬にうっすらと赤みが差している。
「実は、わたくし……このように若く見えますが」
短くためらい、視線を青年に合わせる。
「実際には、二……百歳を超えております」
彼女の言葉は静かだが、重みがあった。
告白を受け止めるように、再び沈黙が店内を満たす。
「二百歳……ですか?」
「はい。ずっと旅をしていて、百年ほど前に、この店に戻りまして……それからずっと、どなたかがいらっしゃるのを待っておりました」
静寂が店内を包む。リュシアはわずかに身を強張らせ、アルディスの反応をじっと見守る。
「信じられませんよね……突然そんなことを申し上げても」
「いえ……」
アルディスは答える。
「文献で読んだことがあります。古い特別な魔法で、非常に長く生きる方がいるという記録を。でも、実際にお会いするとは……」
彼の声には驚きと、そして深い敬意が込められていた。
「……あなたにお会いできて、本当に光栄です。」
リュシアは安堵の表情を浮かべる。怖がられるのではと心配していたが、この青年は理解してくれるようだった。
アルディスはふと天井を見上げた。その視線の先で梁の木目が金色に染まり、揺らめいているのに気づく。
まるで建物そのものが、リュシアの安堵に呼応して息づいているかのようだった。
アルディスはどうしても聞きたかった質問をする。
「この建物は、生きているのですか?
人と共に生きて、人に魔法を授けてくれるのでしょうか?」
アルディスは堰を切ったように続ける。
「私には、最後の卒業生として魔法の終わりを見届ける役目があります。
でも本当に終わりなのか、誰かが諦めなければ魔法は形を変えて生き続けられるんじゃないか、そんな風にも思うのです」
それを聞いたリュシアは、天井を見上げながら少し考え、そして自分の手を見つめてから悲しそうに首を振った。
「神々が去った200年前を境に、魔法は限りあるものとなりました。このお店も、いずれ寿命が訪れます」
店内には、しばし沈黙が流れた。
リュシアが次の言葉を探し、口を開きかけたその時――
カラン、と扉の鈴が再び店内に響いた。
「あ……ら……?」