1 スパイの僕が魔王に?
「魔王よ、伝説の勇者であるこのオレとの一騎討ちを求めるとは……どういう結末になるのか、分かっているな?」
魔王城の玉座の間。眼下に立つ勇者が自信満々な表情でそう言った。勇者は筋骨隆々、如何にも強そうだ。
こんなの勝てっこないよ……
内心の怯えを必死に隠しつつ、僕は玉座からゆっくりと立ち上がった。
どうしてこうなったんだろう……僕はため息混じりにこれまでの経緯を思い起こした。
† † †
王都のスラム街で生まれ育った僕は、変化の魔法だけは得意だったこともあり、スリや詐欺をすることで糊口をしのいでいた。
18歳になった年、詐欺仲間に裏切られ、捕らえられ僕は、絞首台に向かうために牢屋から引き出された際、立派な服を着た軍人に尋ねられた。
「お前、変化の魔法が得意らしいな」
「は、はい」
「何にでも化けられるのか?」
「まあ、そうですね」
「魔物にもか?」
「ええ、何度か化けたことがあります」
僕は、絞首台ではなく、その軍人の執務室に連れていかれた。
その軍人は、王国の参謀長だった。具合が悪いようで、時々咳き込みながら僕にこう言った。
「近々、資源確保のため王国軍を魔王の国へ侵攻させる。お前は魔王城に忍び込み、魔王軍の動向を探れ。そうすれば、お前の罪を不問にしてやるし、お前の母親や妹の面倒もみてやろう」
母は病弱。妹はまだ幼い。僕の稼ぎ以外に生計の途はない。僕は頷かざるを得なかった。
「お前がスパイとして魔王城に忍び込むことは、私しか知らない。この魔法便箋で私にだけ情報を送れ。もし、スパイであることがバレたら、自ら命を断て」
参謀長は、さも当たり前という態度でそう言った。有能だが猜疑心が強く、冷酷な性格のようだった。
僕は、王国軍の後をつけて、魔王の国に入った。王国軍と魔王軍の戦闘の混乱に乗じ、戦死した地位の高そうな魔族に化けた。
僕が化けた魔族は、魔王の親戚だったようで、すんなりと魔王城に忍び込めた。
化けたことが怪しまれないよう、そして更に信頼を得るよう、僕は積極的に魔王やその配下に貢献した。
「人間どもめ、どうしてこんな辺鄙な場所に侵攻するのだ? 何か策でもあるのか?」
魔王軍の御前会議。魔王の問いに沈黙する一同。末席に座っていた僕が説明した。
「そこは確か王都で人気の料理に必要な香辛料の産地ですね。それを狙っているのではないでしょうか」
「何? そんな理由なのか? お主、人間のことに詳しいのだな」
魔物達には分からない人間の機微を知る僕は、いつしか魔王の右腕と称されるまでになり、魔王軍幹部の会議への出席を許されるようになった。
僕は、その会議で得た情報を逐次魔法便箋に記した。
魔法便箋は、転送魔法が施されていて、事前に登録された相手、すなわち参謀長に転送されることになっていた。返事はなかったが、僕はせっせと情報を送り続けた。
† † †
身近で見る魔王は、有能だが猜疑心が強く、冷酷だった。魔王のみが素性を知るスパイを王国に忍び込ませ、そのスパイからの情報を基に、魔王軍に指示をしていた。勝利のためなら、平気で配下を捨て駒にした。
そんな魔王に対し、僕は必死に諫言し、少しでも犠牲を減らそうとした。スパイとしてというより、仲間を簡単に捨て駒にすることがどうしても許せなかったのだ。無意識のうちに、捨て駒にされる魔物と自分の境遇を重ねていたのかもしれない。
いつの間にか、僕は他の魔王軍の幹部から感謝され、頼られる存在になっていた。僕は、スパイであることがバレないよう気をつけながら、「慈悲深い有能な魔王軍の幹部」を演じ続けた。
そんなある日、魔王城で御前会議が開かれていたとき、前線からある一報がもたらされた。王国軍の中で一際強い部隊が現れたというのだ。そして、その部隊の長は、何と「勇者」を名乗っているということだった。
勇者は、かつて魔王を討ち滅ぼした伝説の存在。魔王軍の幹部達は狼狽した。
その様子を玉座から眺めていた魔王が、勇者の現れた国王軍の部隊について尋ねた。部隊の詳細を確認すると、魔王は大声で笑った。
「ははは、なるほど。あの部隊の長が勇者なのだな……よし! この儂が一騎討ちで倒してやろう」
僕を含めた魔王軍の幹部は、皆目を丸くして魔王を見つめた。
† † †
「魔王様が病で急死されました……」
「へ?」
魔王と勇者が一騎討ちをする当日の朝。魔王城の執務室で部下から報告を受けた僕は、思わず変な声を漏らしてしまった。
そして……続いて執務室にやってきた魔王軍の幹部が、嬉しそうにこう言った。
「魔王軍の幹部の総意により、あなた様が次期魔王に推挙されました。前魔王様に代わり、あの身の程知らずの勇者を一騎討ちで倒してくださいませ!」
「ええ?!」
何がなんだかわからないまま、僕は慌ただしく即位式を終え、居並ぶ魔王軍の幹部に見守られながら、魔王の玉座に座った。
その直後、魔王軍の幹部の一人が、恭しく僕に告げた。
「新魔王様、勇者一行が参りました」
僕が答える前に、玉座の間の重厚な扉が開き、勇者とその一行が入ってきた。
……ど、どうしよう。
僕は心の準備ができないまま、前魔王に代わり、新魔王として勇者様と一騎討ちをすることになってしまった。
僕は力が弱いし、変化以外の魔法はほとんど使えない。何とか魔王軍の幹部たちにバレないよう、勇者様に僕が人間のスパイだと伝えないと……