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 去ったはずの長男に伴われてやって来た最上級の賓客に、カヴァニスは朝から大変な騒ぎになる。王族が一介の伯爵ごときの屋敷に来るなど普通はあり得ないのだ。

「王太子って、あの王太子かい!? 本当に!?」

「はい、はい、あの、お、おお通しして」

 震える使用人にはもちろん面識もないので、正体についての真偽はわかるはずがない。

「私は王城で何度かご挨拶をしています。お迎えに上がって確認してきます」

 ルーファスが立ち上がる。

「ルーファス、ルーファス!! お前、エドに不必要なことを言うんじゃないよ、わかってるだろうね、言えばお前の」

「……もちろん」

 ブレンダは慌ててメイド長を呼ぶ。

「イリナに一番良いドレスを出すんだよ!! 化粧を直させな!! そうだ、あの宝石を……」


 猫背で歩き、エドヴァルドが突然連れて来た王太子が一体何の用があるのだと胃が痛くなる。ニナが関係あるとは思えない。それよりも先月新しく採掘された巨大な原石が耳に入ったのではないか。このタイミングで宝石の無心だろうか……王太子までバックに付けば、ブレンダの勢いはいよいよ誰にも止められなくなる。


 ニナ……


 姿は見えないが妻子の口に登る地下室の娘に思いを馳せ、ルーファスは消えて無くなりたくなる。

 情けない自分が歯がゆい。折角上手く逃げ切れたのだと安堵していたのに、あっさりと取り返されてしまった。だがなんとかして逃がしてやりたい。エドヴァルドという人間を深くは知らないが、この屋敷でない方が絶対にマシだろう。もう此処にいても一ミリの希望もない。

 何とか彼に自分がやった形跡を残さずに知らせる方法がないものか。


 ルーファスは昨年生まれた息子をブレンダによって質に取られていた。

 ずっと意のままに操られている。

 何らかの反意を示せば、息子の命の保証はなかった。



「カヴァニス伯爵! 昨晩からニナが」

「……男爵! ええ、ええ、聞いております。まず、まずニナを保護して下さったことに心からの感謝を申し上げます」

 半泣きのルーファスが駆け寄ってエドヴァルドの両手を握り頭を垂れる。

「話したいことがあるんだが、とにかく今は先に……こちらが」

 ルーファスはエドヴァルドがそっと身体をずらした奥でにこやかな顔をして立っている金髪金眼に気が付く。膝を折り、深く叩頭した。

「殿下……!」

「久しいな、カヴァニス。エディが世話になっていると聞いてね。ちょっと近くまで来たから寄っているのだよ」

「ははっ」

 ルーファスは驚く。エディだって? 王太子の言葉は随分と気安い響きに聞こえる。思わず狼狽えて巨躯の男を見るが、意にすら介した様子もない。


「伯爵、お早く殿下を案内してください」

「あ、も、申し訳ございません……!」

 ジュリアンが従えた護衛の言葉で、慌てるルーファスが玄関とは別の奥の応接へとジュリアンを案内した。

 ブレンダが好む煌びやかな応接をぐるりと見渡し『ふぅん』と王太子が微笑む。

「忙しい所、悪いね。女がひとり行方知らずとか……私も興味がある」

「は」

 ルーファスは背筋を伸ばし、汗を掻く。やはりニナと関係があったのだろうか?エドヴァルドが一緒なのだからそれも、と思った淡い期待は次の言葉で崩れた。

「カヴァニス、せっかくなので家族に挨拶がしたい」

「……かしこまりました」

 辛そうな顔で部屋を出ていったルーファスの様子を見て、ジュリアンが目を丸くする。

「伯爵自ら呼びに行くとは……あいつ小間使いみたいだね。使用人はいないのかい」

 並んで腰かけたエドヴァルドが首を振った。

「いるに決まっている。始めからあんな男だ」

「なるほど、下男体質か。娘に意地悪をするとは確かに想像しにくいなぁ」

「そうだろ、しっくりはこない。なぁ、ところでぼん様、なんでそんなに嬉しそうなんだ?」


 ジュリアンは屋敷に入った時から感じる空気にずっとニヤニヤしている。


「だってお前、ここは完全に蜘蛛の巣じゃないか。素晴らしいよ、快感だね。こんな楽しい屋敷来たことがない。もっと早くに来たかった」

「はぁ?」

「いるんだろう?」

「何が」

「スキル持ちが。隠すなよ」

「俺じゃなくて?」

「ここに来てお前にわくわくしていたら私は変態だろ。馬鹿め!」



 ガチャリと部屋の扉が開く。


「殿下、お初にお目にかかります」

 先に入室したルーファスが言いながら横にずれ、ギラギラに着飾った妻と娘を見せた。しずしずと二人が進み入る。

「妻のブレンダと、娘のイリナにございます」

「………そう」


 にや~っと笑い、立ち上がったジュリアンがマナーもそこそこに顎を撫で母娘へと近づく。

「ジュ、ジュリアン王太子殿下! ブレンダ・カヴァニスにございます!」

「イイイ、イリナ・カヴァニスでございます!」

 紅潮した二人が揃って膝を折り、緊張のあまりギクシャクとしたカーテシーをして見せる。

 ジュリアンは楽しそうに笑った。

「ほう。で?」

「は」

 ルーファスが間抜けな聞き返しをする。

「は、ではないよ。もう一人いるだろう」

「もう一人、ですか」

 エドヴァルドが後ろで黙って見守る中、王太子の問いに三人が押し黙る。

「どうした、自分たちの娘だろう? ランディ、という長女だよ」

 ふい、と首を振ると、応接の端にいた護衛が一枚の戸籍票を持って来る。

「ほぉら、読めるかい? 伯爵、夫人。この三番目の名だ」

 ブレンダが眉を顰めながら書類を一瞥し、ルーファスを睨む。ルーファスは汗を掻きながらしどろもどろに答えた。

「ええ…、その、ラ……ニナは、はぁ、その」

「んん? やっぱりその名が出てくるのか? 私の可愛いエディが言うニナとやらはランディと同じ人物なのかい?」

 後ろをちょいちょい指差し、天使の微笑みでジュリアンが尋ねると、ルーファスが頷いた。もう頷くしかない。

「どういうことだ」

 地鳴りのような低い声でエドヴァルドが尋ねる。

「………ええ、それは……」

「同じです! ニナは、ランディになりました!」

 言い淀む父の代わりに凛として答えたのは娘のイリナだった。発言の許可は出していなかったが、ジュリアンは笑んで頷く。

「では名を変えた、ということだね。なぜ変えたのかな?」

「それは、お姉様が変えたいと仰ったからですわ。私と似た名前なのがお嫌だったようです」

「へぇ。確かに、ニナ、イリナ……母音が同じだね!」

 驚いたように言ってジュリアンがエドヴァルドを振り返ると、青筋を立てて仁王立ちしている。


「そうなのです! ある夜、お姉様は男たちと絡み合っていました。お好きだったのです、その……閨の様子を生娘の私に見せるのが……それで、その夜に男の一人がお姉様をイリナと呼び間違えてしまったのです。それに大変激怒されて。私、謝ったのですけれど、夜を台無しにされたとかんかんに怒り狂って」

「ふぅむ。それで伯爵は可愛い娘の我儘を聞いてあげたと。それでそのランディという娘だけど、昨晩から行方が知れないと言うじゃないか。どこにいるのだろう」

「それはわかりません。馬車が横転していて馭者も気絶していたと兄から聞きました。もしかするとどこか男の所に逃げたか、不運にも人攫いに連れて行かれたのだとしか」

 父母はだんまりを決め込み、イリナが嬉々として率先して答え続けた。


「君、よく喋るね」

 ジュリアンが爽やかに指摘すると、イリナは顔を赤らめ小さな声で謝罪した。

「うん。きっと君、根は素直な良い子なんだ。話す内容も稚拙で聞いていられない位だし、まともに教育を受けられなかった……つまり躾の失敗作だね、可哀想に」

 一瞬、部屋がしんとする。


「……かわいそう?」

 眉間に深く皺を刻んだブレンダが口を開いた。聞き間違いかと確認するように。

 王太子は天使の笑みを深め、ひとり歩いて貴賓用のソファに座り、優雅に足を組む。


「そうだよ。

 可哀想じゃないか。哀れな娘だ。

 親に恵まれず、でしゃばりでごうつくばり、こんなに身の程知らずな娘に育ってしまった。きっと自分に自信があるが、とんでもない! 醜く、ねじ曲がった口先と根性で可愛い胸の奥も慎ましやかなアソコもとっくに腐りきっている雌猿だ。ああ、これじゃあクロイドがあまりに不憫だね」

「おい、ぼん様」

「なんだい、哀れな娘の哀れな兄よ」

「そりゃ、ちょっとばかし言い過ぎだろ。出来の悪さは否定せんが」

「お前は本当に馬鹿だね」



 はぁ……はぁ……



 静かに、だが急速に膨らんでいく威圧感に、部屋にいる人間全てがその厚化粧の女を見た。

 近衛の中でも精鋭である護衛が、背筋を這い上る初めての感触にゴクリと唾を飲む。早く主人の前に進まなければならないと思うのに、一歩も動けない。手も出ない。足に根が生えたようだった。


 なんなんだ、この女は。


 着飾った巨体からは湯気が立ち上り、昏い瞳は金眼を睨み、口から煮えたぎった息が出て行く。どこからか地響きのような音が始まり、豪奢な応接部屋の温度がぐぐーっと下がった。

「ブ、ブレンダ……」

 未だかつて見たことの無い怒りのエネルギーを吐き出し始めた妻に、ルーファスが腰を抜かす。思わず継父にしがみついたイリナも実母が放つ怒りに立っていられなかった。


「はははははははははは……!」


 ソファに片肘をついて頬杖を突くジュリアンが可笑しそうに声を上げる。

「すごい! すごいじゃないか、エディ! 『恐怖』のスキルだ! たまげたな、コレが母親とは! お前とんでもない隠し玉を持っていたな。なぜ私に言わなかった!?」

「……何の話だ」

「え、だからコレだよ、コレ。いくらお前が馬鹿でもわかる…感じるだろう」

「知らん」

「え? わからないの? 本当に言ってる?」

「ぼん様の言ってる意味が何一つわからんが。この女は何をしてるんだ? 時々なんかしてる気はするんだが、俺にはさっぱりわからん」

「なぬ」


 しばらくポカンとしていたジュリアンだったが、ちょっと天井を見ていた後で厭らしくにやけだした。


「ほぉ。そういうことか。神はどうにも面白いことをする」

「何がわかったのか知らないが、あんたはもうさすがにダメだ。目に余る。後で厄介ごとが起こるかもしれないが、可愛い娘をあそこまで悪し様に言われて黙っている私じゃない」

「事実しか言っていないよ。ねぇ、イリナ。お前、腹に子がいるだろう」

「!」

 ルーファスが驚いて義理の娘を見た。イリナは震えて青褪める。

「お前の話は偽りだらけだ。何度堕胎を繰り返した? お前の肩にはたくさんの幼子の手が見えるよ」

「!」

 イリナは思わず肩を払う。

「ははは。嘘だ。私には腹の子しかわからない」

「御託は結構! イリナはのびのびと育てているんだ。いくら王家と言えど私の教育方針にまで口出しする権利はない」

「おぉ、正論だね。確かにそうだ」

「ふざけるんじゃないよ。お前ひとりを操るくらい、私には何でもない。お前の中にはエドと違ってちゃんと心臓が視えている……ほら」


 歯の根が合わない義父と青褪めた実妹が、自分の主人である王太子に向かって太い豚のような腕を伸ばす実母を見ている。

 エドヴァルドが茶番を前にポリポリと頭を掻いた。

「ぼん様、大丈夫じゃないのか?」

「大丈夫だよ、エディ。お前はじっとしていなさい」


 ブレンダはいつものように虚構の空間上、その目に映る心臓に向かって手を伸ばす。絞り上げるようにまず柔らかく心臓を鷲掴む。みな、これが怖い。幼い頃から遊びのように繰り返した行為で、父も母も教師も神父も近所の警邏も兵士も役人も元夫も皆、涙を流して許しを請うた。

 心臓を掴まれると生物的な恐怖に晒される。

 本能で理解させるのだ、どちらが上なのか―――。


 だが次の瞬間、掴んでいたジュリアンの心臓がパ~ン!と軽快な音を立てて破裂した。

「!?」

「残念! もう破裂したかな?」

 楽しそうに金眼が細くなった。

「そうやるんだね。うん、勉強になる。いいね。もっと恐怖を知りたい……魔女よ」


 ジュリアンがスッと腕を上げた。

 ぱちん!





 静かになった。

 そこは真っ暗だった。



「………」

「………」



 何もない空間、ゆったりと寛ぎ何かに座るジュリアンと、平然と仁王立ちした後ろの私兵。怒りに震える恐怖の魔女と。


「何だ、此処は!?」

「これはね、ガリア特製の鳥籠だよ」

「鳥籠?」

「そうだ。ガリアが王族足る所以のスキルでね。鳥籠はあらゆるスキル持ちを閉じ込めることが出来る。どうしてか、普通の人は捕まえられない。見てごらん、この籠に引っかかるのは、ほら……私自身と、お前、バトルスキルの可愛いエディ、そしてこの屋敷にいた二人目の魔女だ」



 弾かれたようにエドヴァルドが身体を捻り、ブレンダが首を巡らす。

 暗闇の中、ぽつんと亜麻色の髪が地面に散らばり光っていた。


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