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「それで、お姉様がまた行方不明になったって言うのね?」

「………」

 ニナを乗せた馬車は街から十分ほど走った場所でひっくり返され、畑に突っ込んでいた。馭者は殴られて気絶し、車中で縛られた状態で発見された。殴った男に見覚えもないと言う。


 時刻は十時過ぎ。

 イリナはカヴァニスの屋敷のエントランスホールでイライラと腕組みをして貧乏ゆすりをする兄の様子にほくそ笑み、不機嫌な顔を盗み見た。


 さっさとこちらに返せば別れの言葉くらい交わせたのに、ぐずぐずしていたからよ。

 どれほど焦っても、もう遅い。

 ヨーゼフは上手くやった。用意周到に花を贈り続け、母の言いつけ通りにランディが一人になる時を待ち、最後はチャンスを自分で作った!

 警邏にも先に手を回し、放浪癖のある婚約者が行方不明だと言いふらしておいたので、彼らも腰を上げはしないだろう。

 ランディは地下に繋がれた。再び母の支配下に入ったのだ。

 今度は逃げ出すことも出来ない。精神的な戒めだけでなく、肉体的にも徹底的に躾けられるのだから。


「俺は探しに行く。伯爵は?」

「お父様はいらっしゃらないわ。早馬を出して呼びに行かせている所よ」

「では領地内のことは伯爵の方が詳しい。できるだけ人手を使って探させるように言ってくれ」

「兄さま、お姉様はまだ具合が悪いの?」

「いや、もう身体は。後は体力を付けていくだけだ。だが気持ちはまだわからない」

「わからないってどういうことよ」


 実妹からの質問に、一瞬口を閉じる。

 ニナの心はエドヴァルドにある。

 離れていったいどうなってしまうのか、壊れてしまうのではないか。焦りしか出てこない。


「不安定には、なる。だがそれ以上は想像できない……ほとんど離れていないから、どうなるのかはわからない」

 イリナがぽかんとした顔で兄を見る。

「何を言っているの? 離れていないって何? あなたたち、ずっと手でも繋いでたわけ?」


 手よりもずっと深く繋がっていた。エドヴァルドは思う。だからきっとまだ間に合う。

「お前もブレンダと似たような関係だろう」

「私とお母様は親子だもの。兄さまとお姉様は他人よ?」

「他人だから、繋ぐんだ」

「何言ってるの? 意味がわからない……手段はどうあれ、結局兄さまもあの子が欲しいだけでしょう」

「………? どういう意味だ」

 兄の疑問にイリナが額に皺を寄せる。

「みんなよ。みんな、あの子が欲しい。わかっていらっしゃる? 私だって兄さまの妹なのよ……! 私が同じような目に遭ったって、同じことはしないでしょう!?」


 だけど分かっている。イリナ自身もまたニナを欲していた。

 再びランディを手中に収め、飼いならして安心したい。あの子を手元に置いて初めて癒される何かがある。それは失った屋敷の全員が気付いた事実だった。


 最初は興味が無かった母でさえ人を遣って奪取するほどに欠乏していた。昨晩ランディを鎖に繋いだ時の恍惚とした母の表情は忘れられない。震えるランディの頬を軽く張りながら、これからは誠心誠意で世話をすると口にしていた。母は実の娘ではなく偽の娘に妄執している。もうとっくに狂っている。

 だけど同じだ。私自身も狂っている。

 可愛いランディを失えば、同じ玩具は手に入らない。


 エドヴァルドはイリナの叫びに答えあぐねていたが『お前でも保護することに変わりはない』と言い置いて屋敷を後にした。

「これ以降、ルーファスお父様の帰宅以外は誰も通さないように。誰か来たら、母様も私もランディを探しに出て留守だと言いなさい」

 使用人たちは瞳を輝かせて了解した。


 太く分厚い閂に鉄の錠前がかけられ、カヴァニスの屋敷は火を落とす。

 ようやく訪れた安寧に屋敷中が安堵の息を吐き、ランディの帰還を静かに祝った。



 ◆


 馬を駆け、辺りの怪しい茂みを手当たり次第に探し回った。その足で街に戻るとジュリアンに手紙を書き、警邏を使う許可を求める為に早馬を出す。

 夜明けを待って、ニナを乗せた馬車が倒れた現場周辺から丁寧に近辺を洗いなおした。

 役に立たないバトルスキルに苛立ちながら、車輪が残す微かな跡を辿ったり見失ったり、やはり馬の人攫いかと馬蹄の跡を辿ったりと地道な方法を積んでいった。


 駆け落ちした男の仕業なのか、単なる人攫いなのか、何一つわからない中、最悪なことに迎えた雨期が雨を齎す。跡が見る間に消えていった。

「最悪だ……」


 視界が悪くなるので、雨具を取りにジュアスに戻る。

「男爵、男爵、おかえりなさいませ!」

 血相を変えたゴールドウィンが男爵を迎えた。

「どうした、ニナが、なにか」

「いえ、いいえ、違います、あの」

 震える顎と指の動きでエドヴァルドが視線を転じる。


「え」

「やぁ、エディ!」


 ジュアスの正面玄関には、輝くふわふわの金髪と天使のような笑顔を浮かべた主人が立っていた。




「お前、騙されているね」

 開口一番にジュリアンが教えてやる。

「何が?」

 エドヴァルドの返事にティーカップを運ぶゴールドウィンがギョッとする。金髪金眼に向かう態度ではない。しかしジュリアンは一向に気にする様子はなかった。

「手紙にあったニナという女なんか、どこにも存在していないじゃないか。お前が結婚するというから調べさせたが、ニナなんてどこにもいない。カヴァニス伯爵の娘は『ランディ』という女だ。お前、バカだから別の女に騙されているんだろう。だから慌てて教えに来てやったわけだ」

「ランディ?」

 耳の穴をほじって嫌そうな顔をして聞き返す。

「俺はニナを探さないといけないんだよ。いくらぼん様でも、そんな馬鹿話に付き合ってられん」

「だからそのニナって女は誰なのか、って話だ。ねぇ、エディ、本当にランディではなくニナなのかい? あだながニナ?」

「あだなじゃない。俺の母親が再婚した当時からニナはニナだ。紹介された名はランディじゃない」

 渾名で紹介する場面ではなかった。

「……じゃあ、逆にランディは誰なんだい?」

「俺に聞くなよ!」

「でもお前の話なら、お前が結婚するのはカヴァニス伯爵の長女なんだからランディと結婚することになるじゃないか」

「誰だ、それは」

「知るか~い」

 スコーンとエドヴァルドの額にクッキーが投げ付けられる。

「それでニナとやらがいないって? だから完全に担がれてるんだろう? 可哀想だね、お前。そろそろバレるかもって逃げたんだろう。よほど差し迫っていたんだろうが、飯も食わせて健康にさせて、お役御免という訳だね」

「………」

「ははは、ほらみろ! だから気の良い巨パイにしろと言っているだろう。よりによって、真逆をいったなぁ」

 険しい顔になった寵臣に主人は憐みの金眼を向けるが、聞いても気づいてもいない。


 戸籍が現実と嚙み合っていないのだ。

 なぜ『ニナ』じゃない。

 なぜ『ランディ』なんだ。

 途中で単純に名を変えたのか?

 何のために。


 だが、昨夕見た書類を思い出してハッとした。

 ヨーゼフという男が持って来た書類だ。公的書類にははっきりと『ニナ・カヴァニス』と書かれていた。


 その話を告げると、ジュリアンはあらぬ方向を見遣って黙り込んだ。

「臭いな」

「ヨーゼフか」

「いや……カヴァニスだ。そのヨーゼフも含めてグルになっている可能性はないのか。私が見た戸籍票は宰相に言って取り寄せたんだ。お前の見た書類が『ニナ』の名なら文書自体が偽造にあたる」

「グルって、誰と誰が?」

「名前を変えようとしたり、婚約を取り交わしたり、そんなことは父親じゃないとできない。例えばだけど、再婚した妻と娘の方が可愛いばかりに先妻との子を蔑ろにするなんて話は珍しくない。ある意味セオリーだ。娘がとんでもない健康状態で見つかったのに、慌てて駆け付けたのはもう一人の妹だけなんだろう?」

「……そうだ」


 だが、とエドヴァルドは首を傾げる。

 ルーファスを思い出してもしっくりこない。

「エディ、愛憎なんてものはね、他人にはわからないものだよ」

「まぁ……それはそうだろうが」

 とは言え、頭の中に思い浮かべると役者がちぐはぐ過ぎた。

「その筋で考えるのなら、屋敷内で居場所がなかった元ニナがどこかの男にコロッと騙されて連れて行かれ、その先で売られたとかの大変な目に遭ったという説」

「なるほど」

「もしくは、父親に虐待を受けていたかだね」

「駆け落ちは?」

「実妹が嘘を吐いているのかもしれないよ。父親をかばって」

「……なるほど」


 ニナを男好きだと言っていたイリナの顔を思い出し、ルーファスよりしっくりきた。

「イリナは何か確実に嘘を吐いている」

「その根拠は?」

「実際に嘘があった。それにあいつは常に饒舌すぎる」

「お前、成長したね! お得意の勘じゃないなんて。では行こうか」

 ジュリアンがさっと立ち上がる。

「え、どこに?」

「連れて行きなさいよ、カヴァニスに。ニナとやらを探す手がかりが何かあるかもしれないよ、忘れているだろうけど私はガリアだ」

「あ~」

「お前、本当に忘れていただろう……全く失礼な奴だ、こんな親切な主人はいないぞ」

「野次馬が偉そうに」


 五分後、二人は雨の中、ジュアスから出発した。


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