シーモア公爵家義兄妹の恋模様
ヘルン国の都に建てられた壮麗な屋敷。その広々としたロビーでは、洗練された装飾も忘れるほどに、シーモア公爵家の義兄妹が激しく言い争っていた。
「お義兄様なんて大嫌い! こんな家出ていって、誰か他所の殿方と結婚します!」
「なっ、リズ! 待ってくれ! 結婚なんて、嘘だろう!?」
「う、嘘じゃないですわ……!」
リズは愕然とするエリクを置いて、屋敷を飛び出す。
そして、そのまま一目散に街を駆けて、溢れ出る涙を拭いながら幼馴染の家へと向かう。
街の人々は、真昼間に全力疾走するリズの姿に、ぎょっとしたような視線をぶつけた。
けれど、リズには人の目を気にする余裕はない。今は、自分の義兄から逃げなければならないのだ。
(お義兄様っ! 嘘です、ごめんなさい……!)
リズは走りながら涙ぐみ、心の中で兄に謝る。
(お義兄様のことは嫌いじゃないの。むしろ大好きよ! けれど、私はこのままお義兄様と一緒にいるべきじゃないわ)
リズとその義兄であるエリクは、シーモア家の屋敷で二人暮らしをしていた。公爵である養父は、現在海外に渡航している。
そんな義兄妹二人暮らしの中で、ひとつ、気づいたことがある。
これは自惚れではなく事実なのだが、どうやら、エリクはリズのことが大好きらしい。幸いなことにリズは養子だから、エリクとの血の繋がりはない。
けれど、偽りとはいえ兄妹である以上、二人が結ばれるのは難しいだろう。
(私だって、そんな現実悲しいわよ……)
今、リズがエリクから逃げているのは自分のためであり、エリクのためでもある。
自分たちのことを色々と客観ししてみて思ったのだが、一度、リズはエリクから離れなくてはならない。
エリクはもうすぐ十八歳になる。
この国では、十六歳から十八歳が結婚適齢期だ。公爵家の跡継ぎであるエリクは、そろそろ伴侶となるに相応しい女性を見つけなければならないのである。
(私と離れれば、きっとお義兄様も良い人を見つけて、結婚して……私のことはただのかわいい妹程度に思うはずよ。そして、私自身も、お義兄様への想いを断ち切れるはずなの)
そんなことを考えながら街を駆け抜け、リズは目当ての幼馴染の屋敷に辿り着いた。
そして、コンコンコンと扉を叩く。
すると、中から「どうしました?」という声と共に、若い青年が顔を出した。
「レイン! しばらくここに泊めてちょうだい!」
「はぁ……?」
「家出してきたのよ、お願い!」
リズは胸の前で両手を合わせて、気弱そうな眼鏡を掛けた青年に頼み込む。
この青年はリズの幼馴染で同い歳だ。
名は、レイン・クロスト。養父と仲のいい伯爵家の令息で、若いうちに立派なこの屋敷を譲り受け、現在はここで一人暮らし中である。
幼い頃に、「お嬢様と呼びなさい!」と言ってから、それを律儀に続けてくれているなんとも健気な男だ。
そんなレインは、駆け込んできたリズを見るなり、「またですか」とでも言いたげにため息を吐いた。
「いったい、どうして僕の家に。しかも、また急に……」
「ごめんなさい。迷惑だったわよね……?」
「あっ、いえ! そうではなくて! 迷惑というよりも、ですね……」
リズが眉を下げてしゅんとした様子を見せると、レインは慌てて手と首を横に振る。そして、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
リズはその様子に心の中でほくそ笑む。レインは根が大人しく心優しいから、リズに弱い。
「迷惑なら帰るわ。──アーサー・ホーランドの限定版新作冒険小説を持ってきたのだけれど、要らないのね。これは私が読むわ」
「お嬢様! 何日でも何十日でも何十年でもここにいてもらって構いません! 僕達はかけがえのない幼馴染なんですから!」
「そう? では、遠慮なく」
リズが小さな本を取り出すと、レインは態度を一変させて屋敷の中に招く。
レインは読書家で、リズの友人である小説家・アーサーのファンらしい。
その事を知ってから、リズはアーサーから貰った限定版の献本をレインに譲ってあげているのだ。条件付きで。
「やったぁぁああっ!! アーサー先生の直筆サインだっ! 限定販売だからもう買えなくて! 並んだのに僕の前で売り切れたんですよ……とほほ……」
リズから本を受け取ったレインは表情をころころと変えながら、嬉々として飛び回る。
(ふふ、レインったらチョロくて助かるわ)
リズはしめしめと思いつつ、レインの喜ぶさまを見守る。こんなやり取りを数ヶ月に一度はやっている気がする。
「お嬢様。それで、家出ってまたどうしたんです。喧嘩でもしたんですか」
「お義兄様が私のトルテを食べたの」
「はい?」
リズが素っ気なく言うと、レインは眉根を寄せる。
本当はトルテの喧嘩など建前だが、レインに告げるには羞恥が勝つ。
「……だから、もうあんな家出てって外で結婚してやるーって家出してきたの」
「えっ!? トルテでそんな盛大な喧嘩したんですか!?」
レインはぎょっとして目を丸くさせた。
そして、今度は目を細めてじとりとリズを見る。
「なによ、その目は。これは大事なのよ?」
「えー……ちょっとエリク様が可哀想……」
「私の味方をしてくれないの?」
「いえいえっ、僕はお嬢様の味方ですよ! はは……」
リズが頬を膨らませると、レインは慌てて撤回し、頬をかく。
「まぁ、とりあえずお茶でも……ってあれ、荷物はどうしたんです?」
「荷物? 何も持ってないわよ」
「へ!? しばらく帰らないんですよね? なんでなにも持ってきてないんですか!?」
「だって、勢いで出てきちゃったんだもん……」
リズはいつも突発的な家出をしてしまう。後先考えずに来てしまうのだ。今日も今朝までは家出するつもりはなかった。
だが、逃げている間にエリクの結婚のことまで考えてしまって、このまま自分は家に帰らない方がいいと思い至ったのだ。
ひとまず休ませてもらおうと、リズはロビーのソファーに腰を下ろす。
「はっ! お義兄様の気配!」
しかしその瞬間、屋敷の外から義兄が迫ってくる気配を感じて、リズの頭のてっぺんにある浮き毛がピンと伸びる。これは、今までの家出の経験から培った義妹の勘だ。
「相変わらず気づくのがはやいわね……探偵にでもなれば随分稼げるんじゃないかしら」
エリクはリズの行動を読み、レインの屋敷にいると見当をつけて来たのだろう。しかし、その身から溢れ出す怪しい空気がバレバレだ。
(ふふん、これまで何度お義兄様の手を掻い潜ってきたことか)
何回追いかけっこをしたのかはもはや覚えてはいないが、エリクがすぐにリズを見つけ出せたことは少ない。逃げるのは得意だ。
「そう簡単に私の居場所は掴めないわよ」
リズはふふっとほくそ笑む。
そして、アーサーの本の表紙を目を輝かせながら眺めているレインに声をかける。
「レイン! 私を転送して」
「ええー、お嬢様は知ってるでしょ。僕は魔法が苦手だって。それにアーサー先生の本をはやく読みたいんですけど……」
「あら、意外だわ。アーサーの次回作はもういいのね。分かったわ」
「お嬢様、どこに転送しますか!? 北の山ですか、南の岸ですか!?」
リズが素っ気ない態度を見せると、レインは打って変わって身を乗り出してくる。
相変わらず容易い幼馴染だ。こんなに熱心なファンがいるのだから、アーサーも果報者だろう。
「そうねえ、隣町のコーヒーショップで構わないわ。あなたの魔法、遠くを指定すると失敗するもの。一時間後にまた戻ってくるから、お兄様が来たら誤魔化しておいて」
「もう、お嬢様ったら要望が多い──」
「なに? アーサーの新作が欲しくないの?」
「欲しいです! 僕はお嬢様の下僕です!」
「やだ、私もそこまで言ってないわよ」
今にも床に膝を着きそうな勢いのレインを、リズは慌てて止める。今は助けて欲しいだけで、下僕が欲しいわけではない。
「それじゃ、いきますよ。新作の方頼みましたからね!」
「ハイハイ」
レインはリズの肩に手を添えて目を瞑る。
そして、おもむろに口を開き、魔法を唱える。
「"転送魔法"」
その刹那、リズの全身は眩い光に包まれる。
それと同時に形容し難い浮遊感を覚え、瞬きをした次の瞬間には目前の景色が一転した。
「わっ……もう着いた。相変わらず便利ね、この魔法」
ヒールの下に確かな大地を感じて、リズはほっと息を吐き出す。転送魔法は非常に便利だが、この瞬間は何回やっても慣れない。
「うおっ!?」
裾に付いた砂埃を払っていると、背後から野太い声が聞こえてくる。
リズが振り向くと、そこには筋肉ムキムキの浅黒い男が立っていた。
「ってなんだ、シーモア家のお嬢様かい。また魔法で逃げてきたのか? あんまり年寄りを驚かせないでくれよ」
「マスター、ごめんなさい。またここを借りるわね」
ここは屋外オープン型のカフェで、カラフルなパラソルの下にテーブルセットが並べられていた。
そして、この厳つい男こそカフェのマスターである。ピチピチのシャツの上に青いエプロンを付けて、顔にはサングラスをかけている。
少々個性的だが、この人の淹れるコーヒーは極上だ。
リズはマスターにお気に入りの紅茶を頼み、淹れたてのものをゲットすると、一番通りから見えにくい席に着いた。パラソルが影になり姿を隠してくれるので、リズはここの席を気に入っている。
「レインはちゃんと誤魔化してくれてるかしら」
リズは甘めの紅茶を飲みながら、レインの屋敷に思いを馳せる。
「よし、魔法で見ちゃおう」
非常に疲れるため、魔法はあまり使いたくないのだが、背に腹はかえられない。
リズが生得している魔法は、透視魔法だ。障害物に阻まれた場所や遠隔からでも、見たい景色を透視することができる便利な魔法である。
「"透視魔法"!」
リズが魔法を唱えると、ポンっと軽い音を立てて金のルーペがその場に現われた。
リズはふよふよと宙に浮いているそのルーペを掴み、目の前にかざしてレンズを覗く。
すると、そこに渦巻くようにして徐々にレインの姿が浮かび上がってきた。
背景はリズが先程までいた彼の屋敷のロビーである。リズの予想通り、そこには息を切らしたエリクの姿があった。
すらりと高い背丈に透けるような金髪、輝かしいサファイアの瞳……。リズが言うのもなんだが、義兄はとても美しいのだ。
レンズの中のエリクはその端正な顔を歪ませて、レインに詰め寄る。
『レイン・クロスト。ここにリズが来なかったか』
『いえ、見かけませんでしたよ』
『本当か? 嘘じゃないだろうな』
『嘘じゃないです』
『ふうん……屋敷を調べさせてもらおう』
『ええー、別にいいですけど……本当にいませんからねぇ』
『どうだかな』
エリクは屋敷の中へ立ち入り、一階から二階までどの部屋ももれなく隅々探していく。
しかし、どこにもリズの姿はなく、レインのうんざりとした視線が向けられるだけである。
『そんな……っ、リズがいないだと……? 俺ではない他所の軟弱男の屋敷なのが悔しいが、真っ先にここに隠れると思っていたのに!』
再びロビーに戻ってきたエリクは愕然として、地面に崩れ落ちる。そして、そのまま地に手を付き、項垂れながら嘆いた。
(ふふ、可哀想なお義兄様。私はここよ)
無様な義兄の姿を覗き見ながら、リズは優雅にティーカップを傾ける。
『もう、軟弱じゃないですよ! 最近は僕も鍛えてるんです』
対して、エリクの言い分にレインは頬を膨らませて怒ってみせる。
『君の鍛錬事情はどうでもいい。はやくリズの居場所を吐け。知ってるんだろう?』
『僕は何も知りませんよー。本当に何も知りませんったら、知りませんー!』
『ふん、役立たずめ。リズに口止めされたのか』
そして、エリクは額に手を当てて『ああ、僕のリズ……どこに行ってしまったんだ……』と呟きながら、レインの屋敷を出ていった。
『お嬢様、どうせ透視魔法で見てるんでしょー? 追い払いましたよ! そっちに行くかもしれないんで気をつけてくださいね』
レンズの中のレインが天井の辺りを見上げて叫んだ。
(ちょっとズレてるけど、見てるのは合ってるわ。流石、幼馴染ね)
幼馴染の警告を有難く受けとり、リズは透視魔法を終了して、ルーペを目から離す。
「ふぅ……レインにしてはいい演技だったわね」
事の一部始終を見ていたリズは、ひとまずエリクを躱せたことに、安堵の息を零す。
「これからどうしようかなぁ……いつもみたいに勢いに任せて家出しちゃったけど、先のことなんてなにも考えてなかったわ」
しばらく屋敷を開ければ、エリクもリズに飽きるはずだ。その頃に屋敷に戻ろう。リズ自身もシーモア家が嫌いなわけではない。
それに、「殿方と結婚する!」と言ったのはいいが、そんな素敵な殿方なんて知らない。第一、エリクより素敵な方など──。
「ダメダメ! 今はそんなこと考えない!」
リズは頭を振りかぶり、おかしな方向へ傾きそうだった思考を引き戻す。なんのために家を出てきたというのだ。エリクから距離を置くためだろう。
「ううん……アーサーのところは狭いし、なんだか面倒そうだわ」
このままこっそりレインの屋敷に戻ろう。一度来たのだから、しばらくはあそこには来ないはず。
「よし、歩いてかえ───はっ!? お義兄様の気配!」
再び、己の勘がエリクが傍に迫っていると言っている。間違いない、エリクはこのカフェに向かってきているのだ。
(隣町とはいえ、あまりにも早すぎるわ。さては、従者の高速魔法を使ったのね!)
エリクの従者には移動速度を速くする魔法を持つ男がいる。その者の魔法を借りてあちこち駆け回っているのだろう。
リズは立ち上がり、カフェのカウンターまで押しかける。そして、コーヒーを煎じていたマスターに向かって手を合わせ、お願いする。
「マスター、私をしばらく透明にしてちょうだい!」
「またかい? 懲りないなあ」
マスターはやれやれと呆れた様子で言葉を返す。もう何年も通っていることもあり、リズの対応に慣れているのだ。
「今回は一番重要なの! お願い、私に魔法をかけて!」
マスターは透明魔法を使える。自分自身を含めた対象物を透明にすることができるのだ。
エリクは、リズがここに通ってるのを知ってるが、マスターの能力ことは知らない。彼がこのカフェを探しに来たとしても、リズが透明になって潜んでいればスルーするだろう。
「仕方ないな。でも、誰かさんのせいで魔力があんまり溜まってないから、二十分くらいしか持たねえよ」
「大丈夫、ありがとう! たくさん紅茶を飲みに来るわ!」
実は数日前にも透明魔法をかけてもらっばかりだ。お礼に紅茶をたんまり飲んで貢献せねば。
「いくぞ、"透明魔法"」
マスターはリズの肩に手を置いて、魔法を唱える。すると、見る見るうちにリズの身体が半透明になっていった。こうなれば、マスター以外の人間はリズの姿を見ることはできない。
リズは物陰に潜み、義兄の到来を待ち構える。
すると、数分も経たずにエリクがカフェにやってきた。急いできたにしては疲れが見えない。やはり、高速魔法を使ったのだ。
「おかしいな。リズが家出した時に来るのは、あの眼鏡の屋敷かここのはずなのに……」
当たりだ。怖いくらいに全て見透かされている。しかし、今のリズは透明だ。気づくはずがない。
「あれ、リズの匂いがする」
エリクは訝しげな表情で、リズが隠れる方へと歩いてくる。
(近い……っ!!)
突然、義兄の綺麗な顔が近くに迫ってきて、リズの鼓動が速くなる。エリクの中身も好きだが、外見もリズのタイプなのだ。心臓が持たない。
リズはすぐ傍にいるが、残念ながらエリクの目にはその姿が見えない。
「ううん、いないのか? また後で見に来るか……」
エリクは気を落としながらそう言って、来た道を戻っていく。かと思えば立ち止まり、近くの店を見つめたりしている。
(退路を塞がれてるわ! このままじゃ、レインの屋敷に戻れない……!)
少しすれば、エリクは再びカフェに戻ってくるだろう。透過魔法の制限時間からして、それまでは持たない。どこか、エリクとは反対の方へ移動しなければ……。
(こうなったら、アーサーの家に行くしかないわね)
アーサーはリズより三つ年上の売れっ子小説家だ。数年前、彼がカフェのコーヒーをテイクアウトしに来ていたところで出会い、何故か気に入られ、今では親密な仲になっている。
ちなみに、彼の小説はまだ一冊しか読んだことがない。
リズはマスターに礼を言って、透明なままアーサーの屋敷にやってきた。草臥れた古い屋敷の前に着くと同時に魔法が切れ、リズの姿が可視化される。
コンコンコン、と崩れそうな木製のドアを優しく叩くと、中から眠たげな男がふああ……と欠伸をしながら出てきた。白髪はぼさぼさで服もよれよれだ。
男──アーサーは、生まれ持った容姿は申し分ないのに、いつもこうなのである。
「リズ、俺のこんなボロ家にまでやってきてどーしたの。また家出? エリク様泣くよ? てか、俺の新作面白かった?」
「もう、いきなり質問が多いわね……。コホンッ──そう、家出よ。もちろんお義兄様は泣いてたわ、号泣ね。ちなみに、あなたに貰った新作まだ読んでないわよ。レインにあげちゃった」
リズはアーサーの質問に対して、ひとつずつ丁寧に答える。そうしてやらないとしつこく聞いてくるのだ。
「もー、リズはいっつも読んでくれないじゃんか。まぁ、レインくんが気に入ってくれてるならいいけど。なんなら、彼にも俺が直接あげるのに」
「ダメ! そんなことしたら、レインを手懐けられないじゃない!」
「リズは策士だねぇ」
ムキになるリズに、アーサーはにやにやと笑う。
「エリク様、号泣しながら探してるなんて、リズのことが本当に大切なんだよ。毎月家出してるけど、それでもちゃんと追いかけてきてくれるんだから。リズはエリク様のことが嫌いなの?」
「嫌いなわけないじゃない……分かってるわよ、お義兄様が私のことを大切に想ってくれてることも、愛してくれていることも」
そんなこと、身に染みて分かっている。エリクは重いところもあるけれど、リズにいつも優しくて、甘くて……本当に可愛がってくれている。
そこにはきっと、親愛だけじゃなくて、恋情も含まれている。……それはリズも同じ。
(私がいたら、お義兄様は幸せになれないわ)
公爵家の嫡男であるエリクに相応しいのは、捨て子であり義妹のリズなんかじゃなくて、その名に釣り合う名家のご令嬢だ。
リズは目頭が熱くなるのを感じながら、弱々しく吐き出す。
「でも、私はお義兄様と結婚できない……"兄妹"だもの」
「そんなことないよ。リズたちは実の兄妹じゃないんでしょ。エリク様の本心は聞いてみたの?」
「き、ききき聞けるわけないじゃないっ! 恥ずかしいわよ!」
「もー、そういうとこだよ。一回、ちゃんと二人で腹割って話しなよ」
アーサーは腰に手を当ててそう言い、突然、リズの背後を指した。リズはその指に釣られて、後ろを振り向く。
「なっ、お義兄様……!?」
すると、そこにはうっとりと微笑んだエリクが立っていた。
(うそ! ここはバレないと思ったのにっ!)
リズは愕然として、エリクを見つめたままその場に固まってしまう。
「僕はリズのお義兄様だから、すぐに見つけられるんだよ。さあ、はやく戻っておいで。美味しいトルテをいくらでも用意するから」
エリクは少し悲しそうな表情を浮かべながら、優しい声色でリズに語りかける。
そして、リズの小さな手をそっと掴み、ぐいっと自分の胸へと引き寄せた。
「またいつでもおいで〜」
アーサーは開いたドアの端に体重をかけながら、気だるげな様子でこちらに手を振る。
対して、エリクはそんなアーサーをキッと睨み、リズはエリクに手を引かれながら、ど、どうしよう……とぐるぐる頭を回転させていた。
そうしているうちに、二人はアーサーの屋敷を離れて、人通りのない小道にたどり着く。いつの間にか日が暮れかけてきて、橙の空には濃紺が混ざっている。
そこでようやく、エリクはリズの手を解放した。
「リズ」
エリクはリズと向き合い、憂い気な表情でリズを見つめる。
「……本当に僕のことが嫌いなのか?」
「うっ、」
面と向かって問われ、リズは言葉に詰まった。屋敷を飛び出す前に言ってしまった『大嫌い』という言葉が頭に蘇ってくる。
リズはその罪悪感に耐えきれず、俯きながら小さな声で答える。
「嫌いじゃないわ……す、すす好きよ……? でも──」
「リズ、それはただの兄として? それとも、恋愛的に?」
「お、お義兄様のことは、義兄としても好きだけれど……お嫁さんになれたらどんなに嬉しいことか」
エリクの直接的な質問に驚きつつも、リズは無意識のうちに本音を吐露していた。こんなこと言うつもりはなかったのに、まさか……。
(お義兄様ったら、魔法を使ったんだわ! 私には使わないでっていったのに……!!)
エリクの能力のひとつに告白魔法がある。魔法をかけた相手に、思ったことや本音を口に出させる能力である。
エリクはその能力を活かして、国軍の保安部隊に所属している。
「そ、そうか……」
リズの答えに、エリクは顔を赤く染め、狼狽えたようにサファイアの瞳を揺らし、口元を手で覆う。
(お義兄様、そんな顔しないで……)
愛情を感じるが故に堪らなくなり、リズが逃げ出そうとした、そのとき。
エリクがリズを真っ直ぐ見つめて、「ずっと考えていたんだが……」と話し始める。
「リズ、僕と結婚してくれないか」
「へ……?」
今、なんと。
あまりに突然の言葉に、リズは唖然として瞬きを繰り返す。
そんなリズにエリクは優しく微笑みかけ、片膝を地について、白手袋を着けたその手でリズの手を取る。
「僕と結婚して欲しい。一緒にシーモア家を支えてくれ」
「うそ……」
予期しなかったプロポーズに、リズの目からはらはらと涙が零れ落ちる。抱え込んできたものが全て溢れるようで、止まらない。
リズはぐす、と鼻をすすりながら、エリクに問いかける。
「で、でも……私はお義兄様の妹なのよ……?」
「そんなの関係ないよ。僕はリズが好きだ、愛してる。妹としてもだけれど、一人の女性として。その気持ちがあれば、どんな壁だって乗り越えられるはずだ」
エリクは本気で言っているようだった。こんなに真剣な表情は初めて見た。
リズはエリクの言葉に胸を打たれ、今までくよくよと葛藤していた自分が馬鹿らしく思えてくる。
「ずっと前から考えていたんだ。お父様の許しも得た。リズが気にすることはなにもない」
養父も認めてくれている。エリクも本気でプロポーズしてくれている。ならば、リズが断る理由など……。
リズはおずおずとエリクが差し出した手のひらの上に自分の手を乗せて、呟く。
「私、お義兄様と結婚できたらどんなに幸せだろうって、ずっと考えてたの……。嬉しい……っ! 私、本当に幸せだわ……!」
花が咲くようにふわりと顔を綻ばせたリズを、エリクがぎゅっと抱き寄せる。いつもの抱擁よりも温かくて、ドキドキする。
「僕も嬉しい……幸せだ」
リズの耳元で、少し震えた囁きが聞こえた。その言葉にリズの胸も温かくなる。
二人はしばらく抱き合った後、エリクがそっと身体を離して、リズに問いかける。
「リズ、僕のこと好きかい?」
「ええ、大好きですわ!」
リズは満面の笑みで答える。
先程かけられた告白魔法は、もう消えている。"大好き"の言葉は、リズが伝えたくて声に出した本音だ。
「僕も好きだよ」
エリクは頬を緩ませ、リズの唇に口付ける。
初めてのキスはとても甘くて、少しだけ紅茶の香りがした。
その後も、シーモア伯爵家の義兄妹二人、否、新婚夫婦の痴話喧嘩は、レインやアーサー、そして町全体を巻き込みながら続いていくのであった。
Fin