2回目のさよなら
あれから一年の月日が経った。
あの日から「変わったことは?」と聞かれれば、俺はないと答える。
強いて変わったことと言えば、俺が死神になった日からすでに一年が過ぎ、虚欠と一緒にいる必要がなくなったくらいだ。
だが、虚欠や笑魅と一緒にいたほうが楽しいから、変わらず一緒にいる。
だから、なにも変わってないのだ。
「今日は野球でもやるか」
「人数が圧倒的に足りない」
冗談なのか本気なのかわからないことを言うところもいつも通りだ。
「わかった。じゃあバットを振る練習でもしよう。ボールもバットも待ってきたことだし」
「まあ、それならいいんじゃない?」
「俺も賛成」
「んじゃ、私がバット持つから、笑魅投げてくれ」
「はいはーい」
適当な距離まで離れて、虚欠が構える。
「いくぞ、私の剛速球を受け止められるかな?」
「小学生相手に恥ずかしくないの?」
「もう中学生だろ」
「死んだのは小学生ですー」
不謹慎な会話にしか聞こえないが、当人が言ってるから違うのだろうか。
「もういい、私はやると言ったらやる男だ」
「確かにその心意気は男だな」
そして、虚欠は宣言通り豪速球を投げた。
しかし、ただでやられる笑魅ではなかった。
笑魅はバットを思いっきり振り、そのバットはボールをはるか遠くへ飛ばした。
だが…
「ああー!!どっか行ったー!!」
ここは学校。当然ボールが外に行かないように網は張られている。だがそれも全て飛び越した。笑魅の底力を見た。
「あれ取らなきゃだめ〜?」
虚欠が駄々をこね始めた。こうなると面倒なのは俺も笑魅も知っている。
「わかった。俺が取ってくるから待ってて」
「やったぜ」
ちょっとうざいなと思った。
「えーっと…もうちょい先かな」
近くの橋まで来ていた。この辺に落ちていたはずだと思ったからだ。
「まさか、川に落ちたなんて言わないよな…?」
そんな不安を呟きながら、玉を探した。そして、橋の奥から誰かがこちらへ来ているのが見えた。
かなりの大荷物で、俺と同じくらいの背丈の女だ。その女に、俺は見覚えがあった。
「結衣…?」
それは間違いなく結衣だった。
葬式で合ったあの頃より一回り大きくなり、俺より少し大きくなっていた。
そうか、死者は成長しないのか。
でも、どうしてこんな時間にリュックを持って歩いてるんだ?
死神の仕事が終わった後だから、もう0時は超えている。
散歩というわけでもないだろう。
そんなことを考えていると、結衣は橋から川を見つめ始めた。
大きなリュックからハサミを出した。
ただのハサミではない。
美容室などで使われるハサミだ。
どうして、そんなもの取り出したのだろう。
嫌な予感が止まらない。
そして、結衣は橋に手をかけた。
「結衣…!」
俺は結衣に体当たりをして、なんとか橋から離した。
「!…な、なに…?」
まずい、生者に干渉してしまった。
でも、結衣を助けるためにはこれしかなかった。
これから俺はどうするべきだ?
結衣に正体を明かすか?
そんなのが許されるのか?
いや、そもそも干渉した時点でアウトなんだ、なら、いっそのこと…
「あ…あぁ…」
まだ迷いがあるようだ、俺の声は震えている。
結衣どころか、死者にも聞こえないだろう。
俺はなにがしたいんだ?
結衣に謝りたいのか?
それとも、生きてることを知ってほしいのか?
多分、どっちでもある。
だが、一番はもっと簡単なことだ。
俺は、結衣を愛してる。
だから、結衣に俺がまだいると知ってほしい。
承認されたい。
認知されたい。
結衣の記憶容量を俺で圧迫したい。
それが俺の本音だ。
なら、俺がやらなきゃいけないことはわかるよな?
この行為が罪になるなんて知ったことか。
俺は結衣を愛してるんだ。
なら、叫べ。
「結衣!」
「気のせい…じゃないよね。ふっ飛ばされたわけだし。じゃあ、幽霊…?」
「どうして…」
結衣は俺の声が聞こえていないようだ。
あんなに声を張り上げたんだ。
耳が悪くて聞こえなかったなんて理由でもないだろう。
なんでだ。
伝えようとすれば伝わるはず。
なにがだめだったんだ。
「…私。自殺するためにここに来たの」
急なその言葉に、俺は思考が一瞬止まる。
そうだ、結衣に思いを伝えることで必死だったけど、結衣がなぜここにいるのかわからないままだった。
結衣はさらに続ける。
「私のお母さんは、私が小さい頃に事故で死んだの。一緒にお絵描きをして遊んでくれた。描き方も教えてもらった。お母さん遊んでる時すごく楽しかった。だから、死んじゃってすごく悲しかった。お父さんもお母さんが大好きだったから、死んだと知った時はすごく泣いてた。お母さんの葬式をして、家へと帰る車の中で、お父さんは私に「俺と美容師をやろうって」でも私はお母さんと絵を描くのが好きだった。その影響からか、いつの間にかイラストレーターになることが夢だった。お母さんが死ぬまで、一緒に美容師をやってたから、その穴を埋めるように、お父さんは私を美容師にしようとした。嫌だった。大好きなお父さんが、お母さんが死んでから段々嫌いになってくるの。学校の話をしてもスマホを見ながら相槌するだけだし、「結衣はバカでいられていいよな」って悪口も言うようにもなった。嫌で嫌で仕方なくて、自殺をしようか迷った時もあった。お父さんがいない間に、包丁でお腹を切ろうとした。でも無理だった。怖くてそんなことできなかった。だから、これからも辛い人生を続けなきゃいけないんだって思ってた。でも、そうじゃなかった。中学校で軽音に会えた。明るくて、頭があんまりよくなくて、でも、すごく優しい。そんなあなたを、私は好きになった」
心臓が飛び跳ねそうになった。
結衣が俺のことを好き?
夢だとしてももっとリアリティがほしい。
だって、今の話では、俺は救世主じゃないか。
でも俺は、フラれたんだ。
よくよく考えればおかしなことばっかりだ。
いきなり野球を始めて、かと思えば笑魅がありえないくらい球を飛ばして、その球を取りに来たら結衣が出てくる。
おかしいだろこんなの。そうか、これは明晰夢ってやつか。
夢を見ていることを自覚して、ある程度操れるっていう。
それなら、ギリギリ納得がいく。
結衣にとって俺が救世主扱いをしているのも、結衣にとってそういう存在でありたいという願望が夢となったのだ。
「あなたは私を遊びに誘ってくれるようになった。あなたといる時間だけは、お父さんのことを忘れられて楽しかった」
逆に気になってきた。
結衣はこれからどんなことを言うのか。
俺の夢だ。
さぞ美化されていることだろう。
ありもしないことを捏造してるかもしれない。
「10月。あなたが遊びに誘ってくれたときに全てが終わった。私はいつも通りに待ち合わせ場所で待ってた。でも、あなたは違った。あなたは髪を切ってきていた」
事実だ。
俺は確かに髪を切った。
その日は結衣に告白すると決めていたから、気合を入れて髪を切ったんだ。
でも、そう関係してくるんだ?
「私は、その髪型をよく知ってた。お父さんがよくお客さんにやる髪型だったから」
まさか、そんな望まない奇跡が起きてたなんて…
「正直。軽音によく似合ってた。でも、それはお父さんが作り出した物だと考えると、あなたを見る度気持ち悪くなった。だから、あの日の告白も、そういう理由で断ったの」
全てが納得がいく答えだった。
これは夢じゃない。
なら、どうして結衣は今自殺をしようと?
「そしてあの日、軽音は事故で死んだ。最初にそれを聞いた時は絶望した。もう生きる楽しみなんてなくなってしまったから。でも私は生きた。自殺する勇気がなかったから、でももうそれも限界。だから、ここで自殺しようとした。私が大嫌いなこのハサミと、大好きなスケッチブックとコピックと一緒に」
俺のことが好きでいてくれることも、俺が死んで悲しんでいたことも嬉しい。
結衣の中では俺が支えだったんだ。
でも、だからその支えがなくなったら自殺しようとするなんて。
ここで結衣が死ねば、幽霊か死神になって、話すこともできるかもしれない。
でも、そんな結末は俺は望んでない。
生きててほしい。
死んでからじゃできないことはたくさんある。
死んでから後悔した人間を、俺は二人知ってる。
「ねえ、あなた、軽音?」
驚きはしなかった。体当りした幽霊が全然知らない人だと思っているなら、こんな話をするわけがない。
ただこの問いをどう返せば良い?さっき声を出しても届かなかった。
どうすればいいか困っていると、結衣はリュックからスケッチブックと鉛筆を出した。
「声が出せないなら、ここに書いてほしい。あなたは私にどうなってほしいのか。まだここにいるならお願い」
その手があったか、と思った。
そうだ、声が出せなくとも、思いを伝える方法はあるんだ。
俺は伸ばされた鉛筆に手を伸ばして、その鉛筆を持った。
瞬間。
「あ…え…?」
「間に合わなかったか…」
後ろには虚欠がいた。そして、俺の腹は、鎌で貫通されていた。
「軽音。お前は罪を犯した。だがまだ殺すほどの罪ではない。もうそれ以上関わるな」
ここまで来て終わりかよ。
こんな不完全な別れがあってたまるかよ。
結衣は鉛筆が浮いているこの状況に、驚きと、一向に書かないことによる困惑の顔が浮かんでいる。
「なんで、ここまで来るかな」
「あんな小さい球を探せなんて可愛そうだなって話になったからな、善意で来たんだぜ?」
「なら最初からその善意を見せてほしかった」
どうする。この状況を。このままだと死ぬ。虚欠に殺される。
「さあ。こんな会話もどうでもいい。早くその鉛筆を離せ」
嫌だ。
終わりたくない。
やっと結衣の気持ちがわかったんだ。
話したいことがたくさんある。
どうにかしてこの状況を…
「あ…」
「どうした?」
思いついた。けど…まあいい。死んでも、伝えたいことがある。伝えられるなら、死んでも良い。
「ごめん」
「うお」
俺は広げられたスケッチブックに急いで文字を書いた。
虚欠は俺の勢いに一瞬反応できず、俺が文字の書くのを許してしまった。
「お前…」
「笑魅にもごめんって伝えてほしい」
そこで、結衣は声を出した。
「生きろ…」
俺が書いた言葉だ。
「うん…生きる…生きるよ私…」
笑魅は感極まって泣いていた。不思議と、それが嬉しかった。
「自己満に私達は巻き込まれたのかよ」
「ごめん」
虚欠は少し黙って、声を出した。
「人に「生きろ」と言うくせに、お前は死ぬんだな」
「そうしなきゃ出来ないことだった」
「ふざけんじゃねえ!」
珍しく。
いや、初めて、虚欠が声を荒げるところを見た。
「そうしなきゃできないこと、だ?知るかよ!お前は満足かもしれねえけど、私達からしたら友達が一人死ぬってのは耐えきれないほど辛いことなんだよ!お前、笑魅の気持ち考えたことあんのかよ。笑魅はお前のことが好きだった!お前が死んだと知った時、笑魅はどんな顔をするか想像できるか!?想像するだけでも耐え難い。それは全部お前のせいだ!お前が死ぬことで、生きてる私達にどれだけの損失があるのか考えたことがあるか?祈願が暴走してた時に高槻に言われただろ。お前の価値はお前が思ってるほど無価値じゃないって。お前はどんな思いで聞いてたんだよ!」
急に体が震え始めた。
俺は、俺が思っている以上のことをしてしまっていたんだ。
後悔しているかと聞かれれば回答に困る。
それほどに、俺は今同動揺していた。
そして、俺は明らかに悪だった。
「俺は…結衣が好きだ」
「まだ覚えてるよ、お前と出会って、友達になった日のこと。あの時は暇な死神生活がちょっとはマシになるって思ってた。でもそれは違かった。お前と過ごした時間は、想像以上に楽しかった。お前もそうだと思ってた。未練を埋めれてると思ってた。でも、違うのかよ。お前は、私達と生きた一年間をなんだと思ってたんだよ」
俺は、その問いに耐えられなくなった。
自分で蒔いた種なのに、ひどく恐れ怯えた。
早く楽になりたかった。
そうだ、と思い出した。
俺は鎌を持っている。
「させるかよ!」
虚欠は俺がすることを察して、置いてあった鎌を引き寄せた。
「ここまで身勝手して挙句自殺する気かよ!どこまで腐ってんだお前は!」
「俺だって死にたくて死んだわけじゃない!信号を守らない馬鹿な大人のせいで俺は死んだんだ!結衣ともっと会いたかった!話したかった!誤解を解いてほしかった!そう思うことのなにが悪いんだ!」
虚欠にわかってほしいなんて思ってなかった。ただやけになっているだけだ。
「もうやめてよ!」
虚欠の後ろで声がした。
聞き間違えるはずもない、笑魅の声だ。
「なんで…」
「一人はつまんないから探しに来たの。それなのに、なんなのこの状況」
「こいつは人間と関わった。もう取り返しがつかないほどに、だから、殺さなくちゃいけないんだ」
「なんで…なんでそんなことを?」
その質問に答えるのは俺だ、俺が説明をしなくちゃいけない。
言いたくないなんてわがまま、言えるわけもない。
「大好きな人が目の前にいたら、居ても立っても居られない。そういうものなんだよ」
目を見ては言えなかった。
笑魅からしたら理由なんて関係ない。
ただ、俺が死ぬ。
それだけでしかないから。
笑魅の目には涙が浮かべられていた。
しかし、なにかを飲み込んだように話始めた。
「それが、軽音がしたいことだったの?」
その問いは、今までと比べるとすごく簡単に答えられた。
「結衣は俺が死神がなった理由。大好きだし、忘れるなんてことできない」
結衣は一度大きく息を吸って、俺の目を見て言った。
「そっか。なら最後に聞かせて」
一拍をおいて、言葉を繰り出す。
「私たち…友達だよね?」
また、簡単な問いだった。
「当然だ、死神になってからできた二人目の大切な友達。そこは揺るがないよ」
笑魅は泣いていた。堪えていた涙が溢れ出して、拭っても拭っても溢れ出す。
「てめぇ」
虚欠に胸ぐらを掴まれた。正確に言えば、持ち上げられていた。
「お前まだ気づかないとか言うつもりかよ!笑魅はお前のことが好きだったんだよ!なのに「好きな女助けるために死ぬことになりました」なんて酷すぎんだろ!」
「は?笑魅が…俺を?嘘だ。どこに好きになる要素があった?」
「お前と笑魅が喧嘩した日からだ。その日から笑魅はお前に好意を寄せていた。なんで気づかないんだよ」
「喧嘩をした日?俺が一番嫌われた日じゃないか。そこからどうして俺を…」
その時、思い出した。キスをされたことを。
「…本当…なのか…?」
恐る恐る確認する。
笑魅は首を縦に振った。
「これ以上話しても無意味だ。最後に言い遺すことはあるか?」
震えていた。
死に対する恐怖だ。
さっきはやけだったから死ぬのは怖くなかった。
でも今はそれから時間が経ってしまった。
冷静になってきて、死をしっかりと受け入れなくてはいけない。
嫌だ。
なんでこんなことにならなきゃいけないんだ。
ただ愛した人に生きてほしかった。
俺をわかってほしかった。
それだけなのに、なんで殺されなきゃいけないんだ。
「ありがとう軽音。私絶対お父さんを説得して見せる。イラストレーターになって。有名になって…」
そこで一呼吸置いて。
「絶対お父さん見返すから!」
結衣はスケッチブックと鉛筆をリュックにしまい、来た道を戻って行く。
そこで、俺の中の恐怖は晴れた。
俺の行動は間違ってなかったんだと、結衣の顔を見るとそう思えた。
夢の果てが見れないのが残念だけど、きっと結衣なら大丈夫だ。
「言い残すことか」
悔いはない。なら言うことは一つしかないよな。
「良い人生だった」
私は首を切った。
地面に転がった首は、満足気な顔をしている。
「…クソが」