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死してなお

あれから一ヶ月。すっかり笑魅との仲も良好で、楽しい日々が戻ってきた。

「はーい注目。今回こんな物を持ってきました」

虚欠はそういって、ポケットから縄跳びを出した。

「今夜はこれで遊びつくそうじゃないか」

「私前跳びくらいしかできませんよ?」

「俺二重跳びが限界」

「ならこれからできるようになればいい。死者の体力は無限だからな」

虚欠は不敵な笑みを浮かべた。

「まずは私が」

そういってなにかをした。速すぎてよくわからないが、多分三重飛びだろう。

「さあ。お前らも…」

縄跳びを俺に渡そうとした瞬間。

「軽音。髪出せ」

意味が理解出来ず、呆然とした。しかし、虚欠はなにかに備えるように鎌を握っていた。

「え…」

発した声の方に目をやると、笑魅が突如現れた男に包丁を向けられていた。

包丁を握っていた腕を、虚欠が止めていたので、笑魅は無事だった。

「先に首を飛ばすと、笑魅が死んでた。私頭いい」

自画自賛をしながらも、均衡状態は続いていた。

男は虚欠の腕を振り払い、攻撃を再開した。

「軽音。笑魅を連れて【交信の間】に行け。私はお前らが行った後に行く」

返事をするより先に、笑魅に手を伸ばした。

「笑魅!俺を掴め!」

笑魅は無言で俺の腕を掴んだ。無言というよりは、声が出せない、と表現する方が正しいのかもしれない。

「交信」


「はぁ…はぁ…なんとか生き延びた…」

「どうしました?」

いつの間にか、鳩さんが隣にいた。

「セーフ。にしても強いなあいつ」

虚欠も無事逃げ延びたようだ。

「その様子だと、殺人鬼に出会ってしまいましたか」

「ああ?なに言ってんだ鳩さん」

「1分前、幽霊や死神が何者かに昇天。つまり、殺されているという情報が入ってきました」

「じゃあなんで私達をここに呼んでくれなかったんだよ。髪なら前に渡したろ?」

死神は、自分以外の死神。もしくは鳩さんや鴉のような、特別な存在の体の一部を持って「交信」と言うと、自分と消費された相手が【交信の間】に強制でワープさせられる。裏を返せば、一人で【交信の間】に来ることは出来ない。なので、普段使いするため、緊急時に呼び出してもらうために、月に一度、鳩さんの髪と自分の髪を交換する。鳩さんは常に【交信の間】にいるので、いきなり呼び出されて喧嘩に発展する事故がなくなる。つまり、虚欠は髪を渡したのに、なぜ緊急時の今呼び出さなかったのか、と不満を抱いているのだ。

「理由は2つあります。まず、笑魅さんの存在。笑魅さんは幽霊なので、直接呼び出すことが出来ません。もし、私が2人を呼び出した場合。笑魅さんはあの男に殺されていました。もう一つは、そもそも虚欠の髪を持ち合わせていません」

「嘘を吐くな嘘を。二ヶ月前に渡したろ?」

「髪の毛に限らず。体から離れた体の一部は一ヶ月前後で消滅します。だから月に一度髪を交換しているのです。軽音君をパシリにして、私の髪だけもらってるからこういうことになるんですよ」

「ぐ…」

静かに髪の毛を抜き始めた。

「寿命減るから嫌なんだよこれ」

「数十本抜いて数秒程度です。今回のように殺されるリスクがなくなると考えれば安いもんでしょう」

「わかりましたよ。これからはちゃんとします」

鳩さんはパン、と手を叩いて、自分に視線を向けてから、話し始めた。

「軽音君。虚欠。2人には殺人鬼を殺してもらいたい」

場が凍った。

「鳩さん。あいつは変な能力を使う。ガキに任していい案件じゃない」

「能力?死神にそんなものはありませんよ」

「いいや。軽音と笑魅が逃げた後。あいつは私に包丁を投げてきた。かと思えば、次の瞬間には手元に包丁があった。あれは、死神とかそういう次元の話じゃない。動きだって人間離れしてる」

「普通の死神ですよ」

「へ?」

虚欠が間抜けな声を上げた。

「包丁を投げたはずなのに手元にある理由。考えられるのは2つ、1つは、元々2つ持っていた」

「それはない。あの短時間に取り出すなんて不可能だ」

「なら2つ目ですね。”再生”です」

「再生?」

高槻先生が教えてくれたので、これは覚えている。

「死者は、腕が切断されようと、寿命を消費して再生することができる。ですよね?」

「正解です。虚欠はもう一度テストですかね」

「待て待て。私は包丁の話をしてるんだ。体の一部じゃないだろ?」

「やはり、再テストさせるべきですかね」

鳩さんはメガネを外した。すると再生して、メガネが2つとなった。

「死ぬ直前に見に付けていた物が体の一部となります。なので、あなた方も服を脱げば再生されます。殺人鬼は、包丁を持ったまま死んだのでしょう」

虚欠は虚空を見つめている。

「でも、包丁が再生されるのは厄介ですね。なおさら、2人に頼まなければいけなせんね」

「なぜだ?」

「この辺りで一番強いのが虚欠。そして、平均より少し強いのが軽音君なので。適任が他にいないんですよ」

「なるほど。面倒事を押し付けようってことですね?」

「最近は軽音君と笑魅さんがいるからいいですけど、少し前までまともに仕事をしていなかったでしょう?そのツケだと思って頑張ってください」

「わかりましたよ。んじゃ行きますか」

「いえ、人が暮らす場所で戦うのは面倒ごとになりかねない。ルートを予測し、近場の死神の力も借りて行き止まりに追い込みます」

「壁をすり抜けられる死神を?」

「はい。成功したら、後は2人次第です」

「責任負いたくねえ…」

鳩さんは、ポケットから小さな袋をいくつか出し、その中の髪を取り出した。

「交信」

言うと、【交信の間】に死神が20人程現れた。

「早速ですがこちらを御覧ください」

モニターに、地図が映し出された。その地図には、赤の矢印と黄色の矢印がある。

「現在、殺人鬼が赤のルートを辿っています。このままでは、生者に被害が出てしまいます。なので、この黄色の矢印の所まで皆さんで誘導してください」

ざわざわと、呼び出された死神たちが不安の声をあげる。

「俺達全員でかかれば、その殺人鬼も倒せるだろ?なんでそんな回りくどいことをする」

「倒す過程で、周りに被害が及ぶようなことがあれば、生者の世界は大パニックとなってしまいます。それを防ぐためにも、人気のない場所まで誘導する必要があるんです」

「…俺達の命の保証は?」

「残念ながら」

辺りは静寂となった。

「…誘導した後はどうするつもりだ、残った奴らで総力戦か?」

「いえ。そこまでやってもらったらこの2人が引き受けてくれます」

男は俺達を見た。

「サボり魔と新人…」

「実力は確かです。それに、人数が多すぎるとかえって邪魔になってしまいます」

男は少々黙ってから、声を出した。

「俺、この赤の矢印に生前の家族いるんだよ。黄色の方には、実の子のように可愛がってる幽霊も。俺は、命が尽きても家族を守りたい。だから、俺は行く。他の奴らも、守りたいもの、あるだろ?」

一人一人が守りたいものを上げていく。家族。恋人。友達。具体的で、一度失えば、もう戻ってこれないものばかりだ。

鳩さんが、地図を指示棒で指した。

「「燕」によれば、殺人鬼は今ここにいます。およそ3分もすれば、人と接触してしまいます。皆さん、もう行って下さい。黄色のルートに人が来ないよう、辺りには【ポルターガイスト】も起こしてもらいますので、余計なことは考えず、自分の役割を果たしてください」

死神は俺に近づいて来た。

「名前は?」

「相咲軽音です」

「俺は希跡(きせき泰良(たいら)。さっきは失礼な物言いをした。悪い。俺達は絶対に目的を成し遂げる。だから、後は頼んだ」

信頼とは違うんだろう。多分、男の約束ってやつだ。俺もやるからお前も頑張れ。そういう、ある種脅迫とも取れるその言葉を聞いて、俺はこの人を尊敬した。

「約束します。必ず、殺人鬼を殺すと」

泰良は俺の目を見て笑った。

「たかだか中二の子供に、俺はなにを頼んでるやら。荷が重いよな。でも、こればっかりは頼む」

泰良は俺に背を向け、死神たちの方を向いた。すぅーっと息を吸い、声を上げる。

「やるぞー!」

泰良の言葉に後押しされ、周りの死神たちも声を上げた。

「「「「「原点」」」」」

皆、なにかを守るために戦いに行った。

「私にできることはないでしょうか。少なくとも軽音君よりは戦えます」

振り返ると、高槻先生がいた。

「虚欠より戦えないとダメなんです【神お手製キックボード】の空きは一つしかありませんから」

「…そうですか」

悔しそうな表情を浮かべる。

「軽音君。無茶はしないで」

「今戦いに行った人たちのように、俺にも守りたいものがあるんです。そのためなら、自分自身なにをするかわからない」

「あなたが消えれば、悲しむ人がいます。あなたという存在は、あなたが思うほど無価値ではありません。どうか、それだけは忘れないでください」

確かに、と思った。自分の価値というのは、自分ではよくわからないものだ。自分という存在が消えた時。友達は、家族は、好きな人はどんな思いをするのか、生前ならわからなかっただろう。でも、今は違う。

「わかってます。俺のことを必要としてくれて、大事に思ってくれている人がいる。そんな人のためにも、死ぬつもりはありません」

「虚欠さん。軽音君を守ってあげてください」

「私の心配をしてくれよ?」

「してますよ」

「嘘くせえ」

鳩さんがモニターを見るように言った。


「くっそ…追いつかれちまう…」


モニターには映っているのは、殺人鬼が泰良を追いかけるのを、大勢の死神が屋根の上を走って追いかけている映像だった。

「泰良さんが囮に…」

「これ誰が撮ってんだ?」

「燕です」

「誰?」

「誰よりも速く走ることができる方です。神に目をつけられ、私や鴉。それから高槻さんのように半永久の命を与えられている半死神です」

高槻先生って普通の死神じゃないんだ。という言葉は話しが脱線しすぎるので言わないことにした。

「そんな速いなら、燕さんが殺人鬼を誘導すればいいんじゃないか?」

「燕には弱点があります。それは、敵を目の前にすると恐怖で固まってしまうのです。ですから、このように、少し離れた位置から現在の状況を撮ってもらっています」

「難儀だなあ。それじゃあさっき言ってた【ポルターガイスト】ってのは?」

「本来。心霊スポットなどで担当の死神や幽霊が生者を驚かせたり、日常に少し干渉することによって、人為的に心霊現象を起こし、生者には、目に見えない恐怖やエンタメを提供するのが【ポルターガイスト】役割なのですが。今回のように生者を近づけさせないために行う場合もまれにあります」

「つまりは、生者との関わりが一番強い仕事って訳だ」

「そうですね」

鳩さんと虚欠の話を聞きながら、危機感を覚えていた。もし、俺がこの戦いで虚欠の足手まといとなり、虚欠が死んでしまったら。その時は、誰があの殺人鬼を止めるのだろう。もし、誰も止めれなかったら。いつか結衣にも被害が行くかもしれない。そう思うと、鎌を持つ手が震えた。

「ん」

その時。笑魅が手を握ってくれた。

「大丈夫。軽音は強いよ」

戦ったところなんて、一度も見せてないのに。なのに、その言葉に、笑魅自身なんの違和感も抱いてないようだ。

「そうかな」

「うん。だから、自信を持って」

「…わかった」

言葉を終えると、高槻先生が鎌を俺に向けた。

「私はこの戦いに参加できない。非常に悔しいです。ですから、せめて殺人鬼の対策だけは教えます。虚欠。あなたも手伝ってください」

「具体的には?」

「あなたが見た殺人鬼の攻撃を、できる限り模倣したい。アドバイスを下さい」

はあ、とダルそうに息を吐く。

「まず、殺人鬼は鎌を使わない。使うのは一本の包丁。それも、無限の一本だ」

「鳩さん。包丁ありますか?」

はい、と言って、カウンターの下から包丁を手に収まる限り持ってきた。

後は虚欠のアドバイスに従い、殺人鬼の動きを模倣していく。

「わかってきました。いけます。やりましょう」

高槻先生は、包丁をこちらに向けた。

「わかりました」

返事をした瞬間に、包丁は飛んできた。あまりのスピードに反応が遅れ、喉に包丁が刺さった。包丁に気を取られていると、高槻先生はチャンスと言わんばかりに近づいてくる。気持ちを切り替え、高槻先生に注意を戻す。投げたはずの包丁も、手に握られている。ポケットから包丁を取り出すことで、殺人鬼に近づけているのだろう。握られた包丁は、大きく横に薙ぎ払われた。万が一のことも考えてか、首よりも少し手前で、その上、上にズレていた。しかし、ただの薙ぎ払いなら、俺でも対応ができた。動作が大袈裟すぎるからだ。俺は体を屈め、高槻先生に鎌の刃先を当てた。

「勝ち…ですよね」

「いいや。あいつはこんな遅くない。今の横薙ぎも、太刀筋は似ているが速度は段違いだ。軽音に怪我がないように、速度を落としたのもあるだろうが」

虚欠が現実を突きつける。そんなにも遠いのか、殺人鬼という男との実力差は。

「あが…はあぁ…」

辛そうな声が【交信の間】を包んだ。その声の方に視線を向ける。視線の先には、さっき士気を上げていた泰良さんが、身体中包丁が刺さった状態で追いかけられていた。

「死者は痛みを感じないはずなのに。死者は疲れないはずなのに…」

「心は擦り減ります。そして、擦り減った心は諦めることを選ぶこともあります。彼がそうでないことを祈りましょう」

「んで、私達はいつまでここで待機するんだ?私らだって目的地まで遠い。今から移動したって遅いくらいだ」

鳩さんは無言でカウンターの後ろへ行き、そこから少し変なキックボード取り出した。

「なんだこれ。変なモニターはあるし(かかと)の方はなんか膨らんでるし」

「【神お手製キックボード】です。スポーツカー並みのスピードを出せる上、自動運転付き。普通の通話もビデオ通話も出来ます」

「ならこれであの殺人鬼と追いかけっこすればいいじゃん」

「あなた方を呼んですぐなら可能でしたが、虚欠さんから殺人鬼の情報を訊いたりしている間に、殺人鬼は遠くへ行ってしまっていました。ですから、近場の死神達を頼ったんです」

「今から変わるのは可能だろ?これですぐ追いつくんだし」

「【神お手製キックボード】は日本に5つだけ。もし殺人鬼が投げた包丁がキックボードに当たって故障でもしたら大問題です」

「なるほどねえ。あくまで移動用なのか」

一つ、疑問が浮かんだ。

「なぜ5つしかないんですか?これだけハイスペックなら、量産してみんなが使えるようにした方がいいはずですよね」

「その通り。量産した方が色々と都合がいい」

「ならなぜ」

「見ての通り。そして名前の通り、キックボードを原型としています。車などの乗り物と比べてコンパクトかつ、神の力があれば自動運転などの機能をつけてハイスペックにできる。そう言った理由でキックボードを原型として開発されました。しかし、キックボードが生まれたの自体。1999年とごく最近の出来事なのです。神だって暇ではありません。四六時中働き、合間合間に要望のあるものを作っているのです。虚欠さんのトランプやオセロのような単純なものならまだしも、コンパクトかつハイスペックの【神お手製キックボード】を限られた時間で作るとなると、平気で五年はかかります」

「つまり、もったいないと?」

「簡潔に言えばそうなります」

「「命に変えは効かない」なんて素敵な言葉を吐くつもりはないが、にしたってひでえ話じゃないか?時間があれば作れるものに、命を懸けるなんてよ」

虚欠のその言葉に、心の中で同意した。

「【神お手製キックボード】が作られてから、事件解決速度は異常に上がりました。一つだけでも大いに力を発揮してくれています。逆に言えば、なくなれば大損失なんです。これからの死者の世界の平穏を守るためにも、ここでの損失は、出来るなら0に、出来ないなら死神の死だけで抑えたい。死神の命を低く見ているという訳ではありません。キックボードの損失が大きすぎるんです。彼らもそれを理解し、受け入れたから、あのように頑張ってくれているんです」

燕が映す映像に五指を指し、俺達に現実を見せた。鳩さんも、その映像を見て、申し訳無さからか俯いた。それをチャンスだと思ってしまった俺は、恐らく、悪ガキというやつなんだろう。

「虚欠」

「わかってる」

虚欠は鳩さんから髪の毛を奪った。俺と虚欠の髪だ。鳩さんは驚きながら虚欠に手を伸ばした。だが、もう遅い。俺はキックボードに手を置き、虚欠に手を伸ばした。俺と虚欠の手が触れた瞬間、俺は言葉口にする。誰かから見れば救世主で、誰かからすれば愚かなその言葉。その始まりの言葉を。

「原点」


俺らは学校にいた。笑魅が自殺した学校だ。

「さて…どう使うんだ?」

「…やっちゃたかー…」

勢いだけで来たせいでなにもわからない。

「とりあえずモニターとか触ればなんか起きるだろ」

虚欠がモニターに手をやると、なにかが映った。よく見れば鳩さんだ。

「あまり悪口という物は言わないように心がけて来ましたが、流石に愚かという他ありません。あなた達に理性はないんですか?」

言葉からは、怒りと呆れが同時に感じられた。

「それで、これはどう使うんだ?」

「逆に。どう扱うつもりですか?」

「泰良さんをこのキックボードに乗せて、殺人鬼と鬼ごっこをする。そして、目的地まで逃げ切る。それが目標です」

鳩さんは大きなため息をついた。

「わかりました。操縦は私がします。あなた達は殺人鬼の攻撃からキックボードを守ってください。文字通り、体を張って」

「了解」

俺達はキックボードに乗った。

「振り落とされたら説教じゃ済ませんよ」

「わかってる」

返事を終えると、キックボードは走り出した。

「移動中に、色々と話たいことがあります。あなた達の処遇については終わってからじっくりとします」

終わった。

「目的地は海沿いにある倉庫。そこなら朝7時まで誰も来ません。それまでにすべてを終わらせます。後処理はこちらで。とにかく、残り約6時間、後処理も考えて2時間前後で終わらせてください」

「安心してくれ鳩さん。成功するにしろ失敗するにしろ二時間前後では終わる」

「縁起でもない。あなた達次第なんですから。それに、鬼ごっこに関しては自分で蒔いたリスクでしょうに」

「血が騒いだ」

一瞬でも心が通い合ったと思った俺が馬鹿だった。

「んでも、やさ…ひと?があんな頑張ってんのに報われないってのは可愛そうだ。私達が回収して助けてやる。そんくらいの努力はしてる」

「そろそろ追いつきます。泰良さんが右の道から出てくるので、どちらか掴んでください」

「俺がします」

「では、10秒前にはカウントダウンするので、それまで心の準備をしていて下さい」

俺は深呼吸をした。心臓の音がバクバクと鳴っているような気がしたからだ。もし、心臓があったなら、人生で一番心臓が鳴っているのだろう。

「軽音。私は死ぬかもしれない」

急に発せられた言葉に、俺は背筋を凍らせた。

「それは、死に場所を見つけたって意味じゃないよね?」

今。実感した。俺は、虚欠のことが大切な存在になっていたことを。

「もちろん。ダラダラ生きることが好きなのに死に場所なんて言うかよ。私は事実を言ってるんだ。殺人鬼は強い。それゆえに死ぬかもしれない。だから、もし死んだら。笑魅のことを頼んだ」

これは、遺言にもなりえると言っているのだ。虚欠を失いたくない。なら、俺は殺人鬼に勝たなきゃいけない。シミュレーションは高槻先生とした。曰く、元より遅いらしいが、指標があるなら対応もできるはずだ。ただ、この言葉の返事は…

「わかった」

俺よりも強い虚欠が死ぬかもしれないと言っているのに、俺がどうにかするなんて、言えるはずもなかった。

「カウントダウン。10、9」

鳩さんがカウントダウンを始めた。ここでミスをすれば、泰良さんは死ぬ。最悪、バランスを崩せば俺たちも事故で死ぬかもしれない。この任務は、見た目通りに責任重大だ。この後の戦いで、俺は役に立たないかもしれない。だから…

「2、1」

この仕事だけは、失敗するわけには行かない。

「0」

「泰良さん!掴んで!」

泰良さんは俺が手を伸ばす姿を見て、反射的に腕を掴んだ。疑問を投げかけるでも、困惑するでもなく、安堵しているように見えた。

「にしてもめえ。三人乗りのキックボードとかないのか?」

「あれば渡してます。もっとも、あったとしても渡す暇はなかったでしょうけど」

鋭い針が俺たちを突き刺す。

「悪かったよ…」

「とはいえ、検討しましょう。このように、誰かを救出するために使用することも、多々あるでしょうから」

「なあ、俺を置いて話を進めないでくれないか?」

喋ったのは、落ち着きを取り戻した泰良さんだった。

「あんたの仕事は以上だ。一人でよく頑張ってくれた」

「…こっからは、あんたらの仕事なんだよな?」

「ああ。そういう話だからな。それとも、まだ私達を信頼しちゃくれないかい?」

「正直そうだよ。子どもと女。新人とサボり魔。俺からはそうにしか見えない。【交信の間】では任せるとカッコつけたが、やっぱりこうして見ると不安だ」

「でも、あんたはその子どもの新人に救われた。実績の分は信頼してほしいね」

「わかってる。わかってるつもりだ。でもどうしても不安なんだ。見た目はアリで強さは恐竜。そんなことが本当にあるのかって」

泰良さんの言うことはわかる。俺だって、最初は虚欠を二十代だと思ってた。強いなんて印象も受けなかったし。サボり魔なんて広まってればなおさらだ。だから、俺は泰良さんの言うことを、真っ向から否定することに意味をなせないと考えた。なら、俺のすべきことは…

「泰良さん」

俺は泰良さんの手を、両手で包んだ。

「信じてください」

目を見て、俺はそういった。これ以上に信頼してもらえる実績や言葉など、俺は持ち合わせていない。だから、気持ちが伝わるように、手を握った。

「…わかったよ。信じる。だから、勝ったら盛大に祝わせてくれ。食い物はないが、宴会芸くらいなら楽しめるだろ?」

泰良が思いつく最高のご褒美が宴会なのだろう。察するにコミュ強というやつだ。宴会という行事にあまりポジティブなイメージはないが、自分が主人公なら話は変わるのかもしれない。

「ありがとうございます。必ず生きて帰ります」

「おいお前ら死亡フラグを乱立させるな。それと、今そんな話したらこの後気まずくなるだろ、後先考えろ」

「確かにとしか返す言葉が見つかりません」

あまりにも正論だった。

「鳩さん。残り何Km?」

「1Km。つかず離れずの距離を保ちながらだと約3分で着きます」

その時、殺人鬼は包丁を投げてきた。俺はその包丁を鎌で防ぐ。

「包丁一本投げる程度でやられると思うなよ、殺人鬼」

俺は殺人鬼を睨んだ。俺は初めて殺人鬼をまじまじと見た。そして思った。

「気を失ってる?」

殺人鬼は白目を向いていた。そして、見るからに言葉が通じそうにない。

「殺人鬼は大体そうだ。死ぬ直前の執念が強すぎて死後にも影響を及ぼす。結果、自分を制御できず暴走する。ただ殴ってくるだけなら死にはしないが、あいつみたいに武器を持ち越してるとまずい。首を切断されなかったとしても、再生には寿命を使う。もし、殺人鬼に恐怖して体が動かなくなった場合、死ぬまで体中を切断される」

「痛覚がないとしても嫌すぎる」

「付け加えると、殺人鬼は暴走状態中常に全力を出しています。我々死者は疲れこそしませんが精神はすり減る。普通の死神なら一分全力が出せればいい方でしょう。つまり、殺人鬼と身体能力が同等だった場合、こちらが疲れる前に昇天させるのが勝ち筋です」

俺は結衣が大好きだ。死んでから五ヶ月経つがその思いは変わらない。そんな俺でも、暴走はしなかった。なら、あの殺人鬼は俺以上の執念があるということだ。一体、それはなんだろう。どういう感情なんだろう。

「おい軽音。ぼーっとしてるとこ悪いが殺人鬼見ろ」

虚欠に言われ見てみると、包丁を逆の手に移し、包丁が再生する。またその包丁を移す。それを繰り返した結果。合計四本の包丁となった。

「キックボードが壊れたらマジで死ぬぞ。全力で止めろ」

大丈夫。キックボードの大半は俺で隠れていて、的と言えるのはタイヤだけだ。精々当たっても一本だ。

「泰良さん。鳩さんの髪で【交信の間】へ避難してくださ…」

言ってる途中に包丁が投げられた。俺はそちらへ集中する。キックボードに当たりそうなのは一本、もし防げなければ、タイヤと板の間に挟まり、キックボードは動けなくなるだろう。しかし、これならいける。一本だけなら簡単だ。そう思った矢先。

「え…」

目の前に包丁が飛んできたことに気づいた。当たったところで痛くもなんともない。わかっているのに、俺はその包丁に恐怖した。避けるでもなく、硬直した。

「あ…」

包丁は眉間に突き刺さり、自分の過ちにすぐに気づいた。キックボードを守ることを忘れていたことに。

カキン。そんな音がした。恐らく。キックボードに包丁が当たった音だろう。俺は絶望と焦りで放心状態となっていた。

「セーフ。ビビったー」

虚欠がそう言った。セーフ?なにを言ってるんだ?

「間一髪だった。しっかりしてくれよ?これなら、俺が戦った方がマシだ」

後ろを振り向くと、泰良さんが虚欠の鎌を持っていた。そうか、泰良さんが防いでくれたんだ。

「ありがとうございます」

「この場合。感謝より謝罪をしてほしいな。人に避難しろとか言ってたクセにあんなカッコ悪いとこ見せて、これじゃ、任せられないよ」

反論のしようもない。俺はこの人より強い。そのはずなのに、俺はこの人に助けられた。黙っていると、手を握られた。

「おあいこだ」

「え…あ…え?」

「俺はお前にかっこ悪いところを見せた。お前も俺にかっこ悪いとこを見せた。俺は俺のかっこ悪いところなんて忘れたいし忘れてほしい。軽音。お前もそうだろ?」

「同じわけない」

同じはずがなかった。対等なはずが。泰良さんの言う泰良さんのかっこ悪いところは、殺人鬼から必死に逃げていたことだろう。どこがかっこ悪いんだ。最高にかっこいいじゃないか。それに対して俺はどうだ。油断して、恐怖で動けなくなって、泰良さんがいなければ三人まとめて死んでたかもしれない。比べようもない失態だ。

「なんで俺を責めないんですか!俺がやったことは、俺だけじゃなく、あなたのもろとも死ぬかもしれない。そのレベルの失態なんですよ!意味がわからない。どうしてこんな俺をまだ信じようとするんですか!どう考えてもおかしい。説明してください!」

「言ってなかった…いや、隠していたんだが、俺はお前と【交信の間】で話した時、勇気をもらったんだ。殺人鬼と追いかけっこしろなんて言われて、内心気が気じゃなかった。でも、中学生程度のお前が「必ず殺人鬼を殺す」って言った時、自分が小さく見えた。俺よりはるかに責任がある任務を、真っ直ぐな目で引き受けたお前を、俺はかっこいいって思ったんだよ。お前の言葉がなけりゃ、途中で諦めちまってたかもしれない。だから、俺らは対等なんだよ」

続けて言った。

「後は頼んだ」

否定しようと思った、俺は俺を否定したかったから、でも、その前に、お願いをされてしまった。だから、気持ちを切り替えて、もう二度と同じ過ちを振り返さないと誓って。

「任せてください」

それを聞いて安心したのか、泰良さんは鳩さんの髪を取り出した。

「交信」

そうして、泰良さんは【交信の間】へ避難した。

「目的地は海沿いの倉庫です。少しスピードを開けて距離を開けます。着いたら急いで扉を開けてください。猶予は十秒もありませんよ」

さらっと添えた言葉が怖すぎる。

「十秒前。十、九…」

鳩さんがカウントダウンを始めた。

「改めて。笑魅を頼むよ」

「”もし”死んだらね」

心の中で決意する。絶対に虚欠を守ると。例え力が圧倒的に足りなくても、この決意は無駄にはならないはずだ。

「三、二、一」

俺達はキックボードを降りた。そして、殺人鬼が追いつく前に扉を開ける。

「急げ。死ぬぞ」

「脅しにしては現実味がありすぎる」

なんとか追いつかれる前に開けることに成功し、急いで中に入る。

「私が殺人鬼と戦う。軽音は癖を見つけたら私に教えるか、できそうなら隙を見つけて攻撃してくれ」

「わかった」

いつにもなく、虚欠が真面目な顔をしている。覚悟を決めたということだろう。俺だって、気持ちだけは負けてない。

「来るぞ」

先制攻撃と言わんばかりに、包丁を投げながら近づいてくる。虚欠はそれを避けもせず、じっと殺人鬼を見ていた。刃と刃がぶつかった音が聞こえたのは、殺人鬼が倉庫に入って来た時だった。

「やっぱ速いな」

そこからの光景は、異次元としか表せなかった。鎌と包丁の動きがまるで見えない。俺はなにをしたらいい?癖を見つけて教える?無理だ。癖どころか、太刀筋すらまともに見えないのに。隙を見つけて攻撃をする?たしかに背中は無防備だ。攻撃が入るとしたら、背後から近づいてになるだろう。でも、本当に、無防備なのか?もしかしたら、近づいた瞬間に首を切断されるかもしれない。そう考えると、足が動かなくなる。

「首狙ってたらあっちも狙って来やがった。暴走状態の癖に学習するってなんだよ」

こうしている間にも、虚欠は戦ってるんだ。 命を懸けてるんだ。なら、俺も懸けるべきだろ?なあ、相咲軽音。お前はこのまま、なにもせず虚欠を失うつもりなのか?死んで死神になった時。一番最初に俺に話しかけてくれたのは誰だ?一緒に勉強したのは誰だ?毎日毎日、トランプで遊んでくれたのは誰だ?お前は、そんな大事な人を、なにもせず、ただ眺めて失うのを待つのか?失ってから泣き始めるつもりか?そんなのが俺の望みだったか?違うだろ。なら、虚欠を失わないために、命を懸けろ。死んでも守れ。呼吸を整えて鎌を強く握る。殺人鬼の背後に向かう。怖がるな。虚欠を失う以上に怖いことなんて、今の俺にはないだろ。

「ああああぁ!」

殺人鬼の背後に立った俺は、全力で鎌を振るう。しかし、ギリギリで攻撃に気づいた殺人鬼は、俺の攻撃を避け、俺の首を切断しようとする。恐怖と安心。半々だった。俺は殺人鬼の攻撃は避けれない。でも、俺の首を切断すれば、後ろの虚欠の攻撃は防げないだろう。俺がここで死んでも、殺人鬼もここで死ぬ。なら、任務完了だ。誇って逝ける。死を受け入れかけたその時。俺の肩に誰かの手が触れた。間違いない、虚欠だ。

「交信」


俺と虚欠は【交信の間】に来た。俺らだけじゃない。なぜか殺人鬼も一緒だ。

「鳩さん、鴉さん、高槻先生、誰でも良い、こいつを早く殺してくれ」

見ると、鎌を持っていた手に鎌は握られていなかった。その代わりに、指が切断されていた。考えられるのは、俺と殺人鬼を【交信の間】に連れてくるために、まず俺に触れ、殺人鬼には、手をわざと切断させて、包丁が虚欠の指に触れている間に【交信の間】に来たのだ。全員が鎌を持ち、殺人鬼を殺そうと近づいた。しかし、突然その攻撃は止まった。殺人鬼に目を向けると、なぜか倒れていた。

「治まったようですね」

鳩さんがそういう。

「どういうことだ?」

「殺人鬼とは、刃物を持ち越し、執念に犯され暴走してしまった人のことを指します。つまり、人を殺してなくても殺人鬼と言われます。そうなるのがほとんど確定しているので」

「違う。なぜこいつは止まった?そして、なぜ殺さない?」

「執念だって有限です。その執念がある程度抜けたので、彼は止まりました。殺さない理由は、彼だって悪意あって人を殺そうとしたわけではありません。執念に犯された被害者なのです」

「起きたらまた暴走したりは?」

「ないです。未来永劫」

「じゃあ、一件落着?」

「はい。お疲れ様でした」

あっさり、というのは語弊があるだろうか。みんな命を懸けたことには変わりない。しかし、戦闘が始まって十分も経たずに終わったと考えれば、早すぎるような気もする。でもひとまず、なんの被害もでず終わったことを喜ぶべきか。

「この人はどうなるんですか?」

「彼は死神です。あなた達と同じように、これから死者の世界のルールを学び、働いてもらいます」

服を誰かに引っ張られた。

「生きててよかった」

見ると、それは笑魅だった。

「ありがとう。正直俺はなにもしてないんだけど…」

「死ぬかもしれない場所に、自分から行くだけですごいよ」

微笑を浮かべて、そう言ってくれる。この顔を見ると、本当に終わったんだなと実感できた。

「やったな軽音!勝ったんだぞ俺ら!」

泰良さんが肩を叩きながらそう言ってくる。

「これも、泰良さんが頑張ってくれたおかげです」

「そうだな、否定はしない。でも、お前がいたおかげってのも忘れんなよ?」

実感はない。直接の活躍は今回なかったから。そう思っていると、虚欠が話しかけてきた。

「お前の時間稼ぎのおかげで殺人鬼を倒せた。ありがとう」

時間稼ぎじゃないとツッコんでやりたかったが、事実そうなのだから仕方ないと思いつつ、少し自分の活躍も実感できた、だから、俺も素直な言葉を送ろうと思う。

「こちらこそ、ありがとう」


しばらく時間が経つと、元殺人鬼が起きてきた。困惑しているようだ。

「…ここは」

「あなたは死にました。そして、死の直前の執念は、あなたの心を犯し、殺人鬼へと変貌させました」

「僕が殺人鬼に?」

「はい。二人程。しかし、あなたに罪はない。罪があるとすれば、止められなかった我々にあります」

ふと、殺人鬼は、自分が握っているものを見た。包丁だ。

「ああああぁぁ!!!」

殺人鬼は狂乱し、本来心臓がある場所へ包丁を突き刺す。

「あれ…」

死なないどころか、一切痛みを感じない。そんなことへの驚きからか、殺人鬼は冷静さを取り戻していた。

「どういう…」

「自戒の念を抱くことはありません。全て我々の責任です」

「違う!俺は他に一人殺した!正直、あれは正しい行いだと思ってる。俺は人殺しを正当化したんだ。そんな俺を、あの人が愛してくれるわけがない。だから、死ななくちゃいけないんだ!自分を罰しなきゃいけないんだ!」

「その話、詳しく聞かせてください」

俺はそういった。自分と似た人間だと、話の断片を聞いて思ったからだ。

「…ああ、あれは…」

「話してもらうより、追憶した方がいいんじゃね?」

虚欠が言った。

「ついおく?」

「対象の記憶を経験できるしくみのことです。必要なのは、名前と、相手の顔を思い浮かべること」

「つまり、俺の記憶を見ると…」

「強制ではありません。むしろ、私はその行いを看過しません。人の記憶を覗くことは、いいこととは言えませんから」

辺りは沈黙、その静けさを取り除いたのは、元殺人鬼だった。

長月ながつき祈願きがん。俺の名前だ」

「…あなたが覗かれたくない記憶も覗かれるかもしれません。しかも、今ここであったばかりの人間を信用する。理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」

「なんとなく、信用できそうだった。でも、ただとは言わない。条件がある。君、名前は?」

相咲あいさき軽音けいとです」

「軽音。俺と約束してくれ。俺の心を覗いた後、俺を殺すと」

「どうして、そこまで死にこだわるんですか?」

「俺の心を覗けば、わかるんじゃないか?」

言いたくない。そういう意味あいもあったのだろう。そして、覗かれる覚悟ができた、という意味も含まれていると認識した。俺は端末に向かって歩き出す。少しづつ、好奇心と、責任を抱えて。端末を操作し、あと一つの工程を終えれば、俺は祈願きがんの記憶を体験する。覚悟はもうできた。

「追憶」


「ついに後一週間だね…」

「なに?今から緊張してるの?」

「当たり前だろ。そういう絵里えりはどうなんだ?」

「私は全然?結婚したら、やっと同棲できるのよ?楽しみでしかないわ」

「それは僕もだけど…」

「今すぐにだって、あなたに会いたい」

「結婚式まで合わない約束を取り付けたのは君だろう?」

「だって、結婚してからもなにも変わらない生活だなんて、すぐに飽きちゃうじゃない。私は一年はドキドキしたいわ」

「はあ…」

「あ、そろそろ寝なきゃね。一週間後、遅れないでよ?」

「今からその心配されちゃうんだ…」

「それじゃ」

ツーツーという音を立てて通話が切れた。どうやら、明日に結婚を控えているそうだ。祈願の花婿は絵里というらしい。この先なにかが起きる。だから、祈願は死んで、執念と包丁を抱えて死んだんだから。


時が進んだ。なにかが起きているのか、なにかが起こるのか。

「ん?どうしたんだろう」

電話がポケットが鳴って、スマホを取り出して名前を確認する。当然見覚えわないが、祈願の考えていることはわかる。これは、花婿、絵里のお母さんだ。祈願は、通話ボタンを押す。

「もしもし、お母様、本日はどういったご要件で?」

お母さんの声は震えていた。涙をこらえている声だ。嫌な予感が止まらない。祈願もそうだ。覚悟なんか、祈願にできているはずもない。

「絵里…が…亡くなりました」

「…えぇ?」

ニヤケ混じりの声が、俺の、正確には祈願の口から漏れた。いきなりのことすぎて、冗談か何かと思っている声だ。しかし、これは現実だということを、祈願自信受け入れ始めている。縁起でもない冗談を言うお義母さんに怒りが湧いていないのが証拠だ。


時が進んだ。目の前には、50〜60のおばさんがいる。その人は、祈願に写真を見せた。

「これは?」

「元々娘の同級生で、この人と付き合ってたらしいの。性格が合わなくて長く続かなかったらしいけど。その後は、なにも起こるはずはなかったんだけど、どこかから娘とあなたが結婚するって聞いて、逆恨みで家の娘を…」

おばさんはハンカチで涙を拭う。どうやら、この人はお義母さんらしい。

「ごめんなさいね。この人を見かけたら、すぐに警察に連絡してね。お願い」

「わかりました。写真を撮らせてもらってもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

祈願はスマホを取り出す。怒りと憎しみが伝わる。少しづつ、展開が見えてきた。


「絶対に…殺す!」

一人部屋の中。スマホで撮った写真を、涙で濡らしながらそう呟く。


時が進んだ。どれくらいの時がすぎたのかわからない。なぜなら、今目の前にある状況に至るまで、どれだけの月日がかかるのかがわからなかったからだ。絵里を殺した男を、祈願が殺していた。凶器は見慣れた包丁だ。周りに人はいない、ただ、すぐに死体は見つかるだろう。なぜなら、ここが道路だからだ。夜中なこともあって、人通りはないが、時間の問題であることは明白。

「はあぁ…はあ…あぁ…」

今になって、殺した実感が湧いたらしい。祈願は焦り、走り出した。

走って、走って、たどり着いた場所は、海だった。海を見つめて、恐怖している。そうか、ここで自殺をしたのか。祈願は深呼吸をした。呼吸を整えて、包丁を強く握り締めて、誰にも届かない遺言を遺す。

「愛してるよ、絵里。そして、ごめん」

祈願は腹に包丁を刺した。そのまま、海に飛び込んだ。例え、ここに救世主が現れたとしても死ぬだろう。痛み、怒り、悲しみ。物理的痛みから感情まで伝わってくる。俯瞰しているはずの俺ですら、怒りでどうにかなりそうだった。視界がだんだん暗くなる。


「おかえり」

「…ただいま」

祈願が自分を見つめていた。どういう感情なのか、俺にはわからない。

「どうしても、死にたいんですか」

「見たならわかってくれてると思ってる」

結局。祈願の行動原理は絵里さんだ。絵里さんを愛した日から、絵里さんのために生きてきたのだろう。そんな気がする。そして、絵里さんを殺されたから、復讐のために男を殺した。理解できる。俺でも、結衣が殺されればそうする。そして、結衣はそれを望まない。でも、俺は止められない。だから、償いのために死ぬ。多分そうする。祈願と俺はとても似てる。似てるから、祈願の言っていることを尊重したいとも思ってしまう。でも、殺したくない。

「それが、絵里さんへの償いですか」

「ああ、だから、殺してほしい。それにそういう約束だろ?」

「…」

俺は否定できなかった。仕方ないと、割り切る準備をした。鎌を握って、祈願の前に立つ。その時。高槻先生が教えてくれたことを思い出した。相手に敬意を払う時、従来通りの殺し方をすると、そして、いずれわかる。そう言われた。その理由がわかった気がする。

「なにか、言い残すことはありますか」

少し恥ずかしそうに、一拍置いて、目を瞑って言った。

「愛してる。絵里」

きっと、こういう意味だったんだと思う。

「さよなら。祈願」

抱きしめるように終わらせる。

「待って!」

後ろから声がした。振り返るより前に、鎌は鳩さんに止められていた。

「どうやら、殺す必要はないみたいだせぇ〜?」

「は…はい」

間近で喋ると怖い。振り返ると、さっきまでいなかった女性がいた。そして、その人に俺は見覚えがあった。

「え…り…?」

祈願が言うなら間違いない。この人は絵里さん本人だ。

「どうして…ここに?」

「どうしてって、あなたより先に死んだんだから当然でしょ?」

「意味わかんないなぁ、死んだ後の世界って…」

微笑を浮かべながら、ポロポロと涙を出している。

「そうね、実際私もよくわかんないわ。気づいたら死んでて。彷徨っていたら急に男に腕掴まれてここに来ることになったし」

後ろの方で謝っている男の姿があった。誰だ、あの人。

「どうやって見つけたんだ?」

「俺がよぉ?最近死んだやつから絵里ってのを見つけてなぁ?位置を特定して燕を向かわしてやったんだぜぇ?すげぇだろぉ?」

相変わらずのイントネーションで鴉さんが言う。そうか、後ろで謝っているのは燕さんか。

「絵里…絵里!」

ゆっくりと、亀のように遅い足取りで絵里さんの方に近づく。そして、亀はやっとゴールした。絵里さんに抱きしめられ、男とは思えない惨めな姿を醜態に晒し、赤子のように泣きじゃくる。

「生きてていいのかな…俺、君を殺した人を殺したんだ。でも、全く悪いとなんか思っちゃいない。死んだ後も、二人殺した。その時の記憶なんてない。自覚もなく、理不尽に殺したんだ。こんな…僕が…僕が…」

そこで言葉は止まった。否定されるのが怖くて、それ以上声が出せないのだろう。

「良い、とは言い難いわね。人を殺すのはよくないことだし、それが関係のない人を巻き込んだのならなおさら」

祈願の声がさらに震える。少しづつ、自分から遠ざかるような気がして。少しづつ拒絶されてるような気がして。

「でもねぇ。私、あなたが好きだから」

「え…?」

「あなたが好きだから、あなたを否定しようと思えないし、もし、ここであなたが罪を償って自殺するつもりなら、それを否定する。私はあなたに生きてほしい」

「…人殺し…でも…?」

「うんとは言いにくい問いだけど。そうね、うん、人殺しでも、私は味方する」

「ちなみに鳩さん。幽霊二人の殺害は罪になるのか?」

「普通なら、しかし、暴走状態ならそうではありません。制御できないものを抑えをと言っても無理な話でしょう」

「生きてて…いいんですか?」

「ええ。私達はそれを望みます。あなたは死神。寿命は約200年。絵里さんは幽霊。寿命は約50年。残された時間を、どうぞ、有意義にお使いください。ああ、ですが、死神には仕事がありますので、合間にでお願いします」

「ありがとう…ございます…」

涙は少しづつ止まり始めていた。前を向いて歩こうとしているのだ。

「ひとまず、今日はゆっくりお休みください。空き部屋はたくさんあります」

「では、早速案内していただいてよろしいでしょうか。流石に私も恥ずかしくなってきたので」

視線が一つに集中しているのだから、当然の意見だ。

「ほら、行くよ、祈願」

「うん、いこう」

二人が並んでエスカレーターの方へ向かう。その姿は夫婦そのものだ。

「あれがお前の理想だろ?」

「終わった話を掘り返さないでくれ。泣きたくなる」

「死んだら好きな人とも結婚できないんだから、ここでまた好きな人作ってもいいんじゃない?」

「こっちは結婚がないだろ。そもそも、虚欠は友達であって好きな人ではないから」

「ひっでぇ、告ってもねぇのに振るなよ」

「虚欠じゃなくて私って意味だったんだけど…」

「笑魅?好きだよ?一緒にいて楽しいし。喧嘩もあったけど、それ以降ないしね」

「そうじゃ…」

「そうだ、そういや縄跳びしてなかったな。やるぞお前ら、今夜は縄跳びで夜を明かすんだ」

「えー」

「…私から!」

「えー、なんでそんな急に乗り気になるの…」

「戦いが終わったんだもん、いっぱい遊ばなきゃ」

「うーん。まあ確かに、幸せを噛みしめるにはいい時か、やる気出すかぁ、出す…かぁ」

「頑張れよ、笑魅」

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