自殺を選んでしまった少女
「ギリギリ間に合った」
「だからグリコで行くのはやめようって言ったのに」
あれから3カ月。
今俺は、自分の葬式を見ている。
棺桶の中には俺が居て、両親はもちろん、見た記憶がない親戚まで泣いてくれている。
「大切にされてたんだな」
「うん。今知った」
一人一人がお香をなんやかんやしている。
「あれってどういう意味があるの?」
「知らね。鳩さんに訊いてくれ」
前から後ろへ、順番が回っていく。そして、ガタイのいい親戚が立った。
「…結衣?」
その男の後ろには、結衣がいた。
「ん?ああ。もしかしてあの子が、お前が好きな子?」
首を縦に振った。どうして、結衣がここにいるんだ。
もしかして、フッたその日に死んだから罪悪感で?
だとしたら、今すぐそれを訂正したい。あの時、死にたかったわけでもないし、ただの不注意だ。青信号で渡ったけど。
結衣に手を伸ばし、少しづつ近づく。
「それ以上行くと、私は軽音を昇天させることになる」
首を包むように鎌が添えられた。
その場で膝をついた。そうか、死人に口なしってこういうことか。
目の前にいるのに、口だってあるのに、この声は届けられない。
死ぬのがこんなに辛い事だなんて思わなかった。
「結衣…結衣…」
体はもう、地面とぴったりくっついていた。
ただ、右腕だけが結衣を掴もうと足掻いている。
結衣が立って。歩いて。棺桶の俺を見た。
「ごめん」
小さく発せられた言葉に反応する。
「違う!結衣じゃない!結衣は悪くない!」
叫んでも叫んでも、結衣に届くことはない。
「酷いよ…こんなの、生き地獄じゃないか。愛も伝えられない。謝罪も訂正もなにもできない。ただできるのは、罪悪感を募らせるだけだなんて」
「死んだ人間に与えられるのは、ウイニングランの余生だけだよ。幽霊か、死神になれればだけどね」
冷たさと、温かさ、両方を含んだ言葉に聞こえた。
「ねえ。なにかの形で言葉を伝えることってだめなの?」
「高槻が言ってたろ。どんな形であれ、生者と関われば罪だ」
伸ばした右腕も、もう床とくっついていた。
結衣が席に戻ろうとした時。涙をぬぐう仕草をした。
「帰る。肩貸して」
「え?もういいのか?」
「これ以上居たら、俺は虚欠に殺されちゃうから」
「納得した」
「あー。結衣ー」
「肩貸せつったのになんでおぶることになってんだよ。死者は疲れねーんだぞ」
「足動かすのもダルい」
「ゆとり世代が」
「おい待てそれは差別だろ」
そんな話をしていると、一箇所に人が集まっているのが見えた。
視線の方向は小学校。
虚欠もそれに気づいたようで、同じく視線をそちらに向けた。
「自殺か。おい、もう降りろ」
集まっていた人をすり抜け。その現場を見た。
言葉として表したくない光景だった。
見た目から、屋上から飛び降りたんだろうと推測はできる。
「まだ生きてたり…」
「しないねえ。こりゃ死んでるよ。ほら」
虚欠が指を指した場所は、あまり見たくない見た目になっている頭だった。
そこから、黄色の丸い球体が出て来て、地面に転がった。
「なにこれ」
「魂。色は性格を、形は種族を現してる。丸は人間である証。黄色は、明るい、目立ちたがりである証」
「へえ…まだ知らない事が多いなあ。ところでなんで頭から?」
「魂は脳に宿るもんだ。頭から出てくるのは当然だろ」
「当然と言われても、そもそも脳に宿る事を知らなかったし。ところで、この魂どうするの?」
「放置だよ。昇天なら6時間。幽霊か死神になるなら、半日くらい待たなきゃいけない」
「じゃあその間どうする?またトランプ?」
「まさか、最近神様に作ってもらったこれをやろう」
虚欠は両ポケットに手を突っ込んだ。
そして、なにかを組み立てている。
「じゃじゃーん。超コンパクトオセロ」
ポケットに収まっていたオセロ盤が、普通のオセロと多分同じの大きさになった。
「駒は?」
「ふっふっふ。駒まで用意したら私のポケットは持たないから持ってないよ」
なに堂々と頭おかしいことを言ってるんだろうこの死神は。
「じゃあどうするの?まさか暗記してやれって?」
「まあ慌てなさんな。ほれ、マス目を試しに押してみ」
言われた通りに押すと、マス目が白に変わった。
「電子オセロ…?」
「その通り。正直アナログな駒の方が好きだが、その代わりこいつは持ち運びやすい」
声が通らなくなってきたので、大声を出す。
「あのさー!思った事言っていいー?」
「ああー。多分同じ意見だー」
「救急車の音で集中できないよねー!」
俺らが見つけてから約3分。来るのがすごく早い。
「仕方ないから一旦離れるぞー」
「ふー。消えた消えた。仕事が早いのも考え物だな」
「普通褒められるべきことなんだけどね」
「死んだ私に取っちゃ迷惑だ」
「それはわかる」
虚欠が勝手に先行を取った。
「あ、ずるい。大人げない」
「勝負に負けるくらいなら、私は卑怯でいい」
なにも賭けていないのにこんな真剣な顔ができるなんて。それを勉強の方に持っていけたら、またテストをせずに済むのに。
そこで。視界の端で魂の形が変わってるのが見えた。
「虚欠。魂の形が変わってるんだけど、あれなに?」
振り返って、魂を見た。
「あー…ありゃ幽霊か死神だ。少しづつ人の形になっていくんだよ。これは半日コースだな。はあーあ」
あからさまにため息を吐く。
「俺の時も、半日待ったの?」
「見つけたのが遅かったから2時間程度だ。それでもきつかったが」
ふーん。なんて思いつつオセロをする。
「やばいいつの間にか側面ほぼお前のだ」
「人とオセロやったことある?」
角を取らせないという意識はずっと感じるが、それ以外はお留守だ。
「うるせえ。いいか見てろ。こっから全米が涙するような勝利を収めてやる」
「具体的には?」
「…暴力とか?」
全米を舐めすぎている。
「んん…」
「お。目覚めた」
オセロ22連勝。ババ抜き13勝25敗。神経衰弱3勝156敗にして起きた。
「おはよう。君は死んだ。死んで幽霊になった」
少女はなにも言わず虚欠を見つめている。言葉にならない困惑なんだろう。
「手、貸してもらうよ」
少女の手を、落ちていた大きい石に触れさせるよう、動かした。
ただ。手は石をすり抜けた。
「これが、君が幽霊である証明。並びに、君が死んだことの証明」
「…そっか。死ねたんだ」
声からは、安心したような、安堵するような。そんな感情を感じさせた。
「君には二つの選択肢がある。一つは、収容所で自分と似たような子と暮らす。もう一つは、この広大な世界で一人生きること。幸い、死者はお腹が空かないし、外界からの温度も感じない。生きようと思えばいくらだって生きれる。孤独を苦と思わないならね」
死んだばかりの人に、一度に全て話してしまうのは、俺の時と同じだ。
「あ、あと。物は動かさないでね。動かそうと思えば動かせるけど。生者からは独りでに者が動いたように見えるから、もしそんなのが人に見られたら、死神に殺されて幽霊でいられなくなるよ」
「はい。わかりました」
「それでどうする?収容所か、一人旅か」
「二人と一緒はだめですか?」
少女は即答した。
「三人の方が面白いからいいよ」
二つ返事でメンバーが増えた。
「それじゃ、大富豪でもする?」
現在時刻朝の0時。ちょうど、パトロール時間が終わり、朝の9時までは暇だ。
「やります」
「それじゃあ、基本ルールはわかると思うから、まずローカルルール確認ね。3スぺ、5スキップ、7渡し、8切り。この4つくらいがちょうどいいと思うんだけど、どう?」
「異論なし」
「いいと思います」
「よおし。24時間遊ぼうな」
ナチュラルにサボり魔の片鱗が見えた。
カラスの声が聞こえ始めた。
「虚欠」
「待て。今考え中だ」
「あと2時間だからね」
「わかった、わかったから静かに」
「虚欠」
「あと1時間あるだろ、慌てんなって」
「…虚欠」
「ごろにゃーん。ニャーは猫だにゃーん」
大の大人が体を丸めながら地面を転がっている。
いつもより酷い。
「虚欠。鳩さんに報告するよ?」
「んにゃー?」
今すぐにでも首を切った方がお互いのためなんじゃないだろうか、と思い始めている。
「虚欠さん。死者の世界の話もっと聞きたいです。パトロールをしながらお話、聞かせてくれませんか?」
「笑魅…わかったよ。働くよ」
杉浦笑魅。自殺した少女の名前であり、今では友達だ。
鎌を持って校門から学校を出る。
「んでさあ?鳩がいう訳よ。「トランプもいいけど、趣味は仕事のあとに嗜むものだよ」って」
「あはは!虚欠さんそれ正論ですよ!」
「えー?そんな真面目に生きてたら体持たないって」
「確かにそうですけど、虚欠さんは不真面目過ぎです」
「ねーえー軽音ー。笑魅がいじめるー」
「至極当然のことしか言われてませんよ」
何年もの付き合いかのように喋っているが、虚欠と笑魅は会って一日。俺と虚欠だって三か月だ。
友情の形成なんて、意外と簡単なんだな。
それから一カ月。俺らは平和で、楽しい日々を過ごした。
「よーし。今日もお仕事終わり。今日も大富豪やるか」
「わーい!やっと遊べる―!」
はしゃぐ二人を眺めていた。
「テンション低いな軽音。これからが楽しい夜の始まりだってのにどうした」
「ちょっと考え事してただけ、気にしないで」
「ああ?まあそれならいいけど」
笑魅と会って、友達になって、自殺した日から一ヶ月。
ずっと楽しそうだった。自殺をしたことで、重荷が消え、解放された。そう捉えることもできるだろうけど、常にと言って良いほど笑顔で、なのに不気味さを感じさせないほどナチュラルだ。
そこが、俺に不気味という印象を与える。
俺は思う。笑魅はまだ解放なんかされちゃいない。本人がどう思ってるのか知らないが、誰かに好かれるために、生前笑顔でい続けて、今もなお、俺らに見放されることを恐怖しているように見える。
「笑魅…」
名前まで出して、踏みとどまった。人の辛い部分をえぐるような真似、するべきではない。
「なーに?なにか言いたい事?」
微笑を浮かべてこちらを見つめて来る。
言うべきではない。そんなのわかってるのに。好奇心が僕を愚かな方向へ誘って来る。
「あ…あの…」
「んん?」
「なんで、じ…自殺した…のかな…って」
笑魅の顔が豹変した。微笑から、真剣な眼差しへと早変わり。
すかさず後悔した。「好奇心は猫をも殺す」という戒めを知っていたのにも関わらず、知りたいという欲望から逃れることが出来なかった。いや、かっこよく、回りくどい言い方をするのはやめよう。俺は今、この世の誰よりもクズだ。
「なんで…辛かったから?いじめとかあったし」
少しづつ、いつものノリになっていくのに安堵しつつ、質問をまたする。
「夢とか、やりたい事ってあったの?僕は好きな子がいたから、その子と幸せな家庭を築きたかったって夢があるんだけど」
「夢かあ。絶対なれないけど、アイドルは憧れたかな。みんなに可愛いって言ってもらえて、親にも自慢できるし、してもらえる。まあ、理想でしかないんだけど」
「憧れも、理想も夢だよ。夢に叶う叶わないなんて関係ない。夢を持つ、それだけで特別ですごいことなんだ、もっと誇って良いんだよ」
「そんな大げさな。それに、私自分を不細工とは思わないけど、美人じゃないし、ダンスとかできないし、バカだし…アイドルなんてできないよ。うん。向いてない」
自分でも頭がおかしい自覚はある。でも、今俺は笑魅に物凄くムカついてる。明確に夢を持ってるのに、自分には向いてないと言い聞かせて、勝手に向いてないなんて決めつけて、夢から逃げて、自殺をした。
いじめがあった、そう笑魅から聞いた。いじめというたった三文字の言葉に、どれだけの苦しみが詰まっているのか、想像もつかない。俺なんかより、ずっと辛い人生だったことは容易に想像がつく。
なのに、そんな情報がどうでもよくなるくらい。俺の中で、夢から逃げるという行為は重いことだった。
「なにそれ、なんだよそれ。夢があったのに自殺?バカだよ、ほんとにバカ。夢を持てない人間が、この世に何人いると思ってるの。人生に生きる意味を見出せない人間が、この世に何人いると…俺はそんな人間みたことないけど、確かにこの世にそういう人間がいる。でも、その人達だって生きてる。つまんない人生をしかたなく。なら、夢を持った君が、自殺をするなんておかしいよ。いじめがあった?だからなんだよ。そんなもの、そいつらの顔面ぶん殴って…」
直後。俺は顔面を殴られ、地面に倒れた。痛みは感じない。ただ、怒りを感じ取るには支障はなかった。
「いいね。いじめられた事がない人間は、発想が幼稚でいられて。夢を持てる人間は幸せ?そりゃ持つよ。辛い現実から目を背けるために、幻想の自分に酔う。アイドルになりたかったんじゃない。アイドルになる自分を妄想して、それに縋ってた。「私はアイドルになるのが夢なんだ」そう自分に言い聞かせて将来の自分に期待した。ずっと現実逃避をするだけの人生だった。何年続いたと思ってんだよ。三年だよ三年。何百回泣いた?何十回ゲロを吐いた?何十回自殺をしようとして踏みとどまった?ねえわかる?わかんないでしょ?好きな子がいて、幸せな家庭を夢見る人間に、自殺した人間のことなんて」
さよなら。そう言って、笑魅はどこかに消えていった。
虚欠が倒れた俺を見下す。
「お前さあ、デリカシー?ないの?」
「なかったみたい。最低だよね」
「ああ、流石に擁護のしようがねえよ」
しばしの無言が、自分に殺意を向ける。
「そんなに嫌か?夢を持った人間が自殺するの」
「うん。嫌だ」
「理由は?」
「…わかんない。ただの八つ当たりかもしれない」
「「俺は事故で死んだ。でもお前は自分の意志で死んだ。それは夢から逃げたという事だ。俺はそれを許せない」ううん。酷い八つ当たりだよお前」
言葉にされると、反論の余地がないということが分かる。
「とりあえず謝れ。お前の意見が正しかろうが、人を傷つけていい理由にはならない」
虚欠は、ポケットから鳩さんの髪の毛を出した。
「お前も出せ。【交信の間】に行くぞ」
なんで、と聞くほど、体力は残っていなかった。
俺は言われた通り髪の毛を出し、交信と呟いた。
「おーい、鳩さーん」
鳩さんがこちらに視線を向ける。
「どうしました?」
「【追憶の記憶】やってもいい?軽音が幽霊の事情何も知らずに踏み込んじまって、喧嘩になったからさ」
鳩さんはうーんと悩むしぐさを見せる。
「わかりました。ですが、見る記憶は私が許可をするもののみ、という条件です」
「大丈夫。それなら、存分に笑魅のことを知れるはずだ。私自身も知りたいしな」
「あくまで今回は軽音さんの勉強も兼ねて許可をしているだけです。ただ、人の過去が知りたいからと悪用するのは…」
「わかってるわかってる。さあ始めよう」
虚欠が端末に向かうのをついて行く。
「杉浦笑魅…っと。打ち込むと。大画面に笑魅の写真と名前、それと生年月日。その下に、1~12までの数字が縦に並んでいる。
「12まで。つまり笑魅は12歳で死んだ。小学校六年生だな」
「…」
「鳩さん。笑魅がいじめを受けてから、自殺をするまでをテンポよく見せることってできる?」
「可能です」
「軽音。少しここで待ってな」
そういうと、カウンターの下からパソコンを出し、二人でそれを見ている。
「軽音ー。その画面に「体験」って書いてあるだろー?。それを押してくれー」
これを押すとなにが始まるのか、体験という文字を見ればわかる。
わかるから、押すのをためらう。まだなにも始まっていないのに、恐怖で指が震える。
どうにでもなれ。そう思いながらそれを押した。
目の前には開かれた小説。
周りを見渡そうとしたが、目を含むなにもかもが動かない。
固定された視点。固定されたピント、そして、ここに至るまでの情報。
恐らく、俺は今、笑魅になっている。
「くしゅん!」
笑魅がくしゃみをした。
「うお。杉浦のくしゃみでけえ」
「ってか、杉浦のくしゃみ可愛くない?」
小説で隠れて見えないが、奥で男子が話している声が聞こえる。
その時。気が強そうな女子が、その男子達に話しかけた。
「だめだなあ男は、ちょろすぎ」
「はー?なにがだよ」
「知ってる?くしゃみって自分で操れるの。可愛くしようとすれば、男子だって可愛くできる。あれはかわいこぶってんの」
「えーそんなわけ…」
「くしゅん!」
男の1人がくしゃみをした。
「うっわマジだ!マジかよ!杉浦可愛こぶってんのかよ!」
「だから言ってるでしょ。女ってのはね、ナチュラルに見える様にかわいこぶる生き物なの。私みたいにかわいこぶらず堂々としてる女って少ないんだから」
小説が閉じないように抑えていた左手に、力が込められる。
急に場所が変わった、今度は掃除をしている。ちらっと視界に映った時間的に、放課後の掃除当番だろうか。笑魅の他に、3人が掃除をしている。さっきの男子2人と気が強そうな女子だ。
「よーし。この辺はきれいになったな」
「前の班の時はもっとだるそうに、やけに真面目ね」
「いやーなに、改心ってやつ?」
「そうそう。俺らも心を入れ替えたって訳よ」
「ふーん」
しばらくして、掃除が終わった。
「ふー。やっと終わった。そういやさ…杉浦さんって同じ道だよね。一緒に…」
「杉浦ちゃん。ちょっといい?」
「え、あ、うん」
「…ここでいっか」
連れてこられたのは、誰もいない理科室。
「あんたさあ「南波」に色目使ったでしょ」
「いろめ?なに…それ」
「好かれるような行動してるでしょって言ってんの。やめてくれない?」
「してないよ、そんなこと。南波くんのこと好きじゃないし」
「とぼけんなよ」
そういって、突き飛ばされた。体が地面と接触する。笑魅の体だからか、ちゃんと痛みを感じる。
「色目でも使ってなきゃ、南波くんがあんたを好きになる訳がない」
「私のことが好き?」
「とぼけんなって言ってるでしょ!」
怒声が、体を硬直させる。
「わかった。とぼけるならとぼけるでいい。その代わり、二度と南波くんと喋らないで、例え話しかけられたとしても。わかった?」
「…うん」
笑魅の心には、この女に対する恐怖以外なかった。
また時間進んだ。
どれくらい進んだのかわからない。ただ一つ分かる事がある。
クラスの人間から、明らかに避けられていた。
「なんであいつずっと本読んでんの?」
「友達がいないからっしょ」
「本なんか読んでなにが楽しいんだか、俺には理解できないね」
「実は自分も理解してないんじゃね?でも"1人でも大丈夫です"ってアピールのために読んだふりをしてるとか」
「ありそう。実際ただの陰キャなんだけどね」
ゲラゲラと笑う男達。クラスの人間は、なにも気にしていない。それは、これがいつもの光景であることを示していた。
笑魅の視点が動く、視線の先は、南波に固執していた女だ。
女はにやけながらこちらを見つめている。
笑魅の思考が、俺の中に入ってくる。
"許さない"と。そうか、この状況を作ったのは、この女なのか。
大方。笑魅のありもしない噂を流したんだろう。裏工作によって相手を貶める。そういうことが好きそうな人間だ。
絶句。多分その表現が1番正しいと思う。
なぜなら、ここが屋上だからだ。肌寒い昼の今日。杉浦笑魅は自殺をするつもりなんだ。
フェンスに手をかけた、少しづつ登っていく。
不幸なことに、返しがないので簡単に登れる。
そして、フェンスを跨ごうとした瞬間。体を支えていた手が外れてしまい、その勢いのまま落ちた。
屋上から地上への落下は、一度死を経験した身でも恐ろしいものだった。笑魅の脳内が恐怖で埋め尽くされる。目を閉じているから、いつ地上に着くかはわからない、ただ、そろそろだろう。頭に激痛が走る。
「ああ!はあ…はあ…?」
「おつかれ。笑魅のいじめられてからの3年間超凝縮体験、どう?」
色々、思うところはある。始まりは、くしゃみがかわいこぶってるとか、そんな下らない理由で始まった。可哀想と思うし、実際、俺には耐えられそうにない。ただ、それより気になることがある。
「3年間を凝縮した記憶の中に、夢について触れられてなかった。どうして?」
「笑魅の中で、強く印象に残っている記憶をお前に見せた。つまり、笑魅の言っていたアイドルになりたいという夢は、あの記憶より印象が下ってことになる。」
「そんなはず…」
「鳩さんに訊くか?」
鳩さんの顔を見た。こちらと目を合わせてはくれなかった。
「虚欠。笑魅って今どこにいる?」
もう、そんなことはどうでもいい。今は、笑魅に謝ることが一番大事だ。
「えーっと…鴉さーん。レーダー見れますー?」
「生者じゃねえから体に発信機はねえよ。そんくらい覚えとけえ?」
がなり声とよくわかんないイントネーションで言う。どういう感情かもわからない。
「困ったねえ。どうしようかねえ」
「急ぐ必要もないでしょう。それに、今は笑魅さんも冷静じゃない。ゆっくり帰りを待つ。それでいいじゃないですか」
鳩さんの言っている事は正論だ。非の打ち所もなく、反論の余地もない。でも、今じゃなきゃだめだ。今じゃなきゃ、俺はこの思いを伝えられない。今じゃなきゃ、心の底から謝れない。
「原点」
学校に戻って来た。いつも、俺と虚欠。そして、笑魅と遊んでいた場所だ。どこに行ったかなんて俺には分からない。でも、多分そこにいるだろうという目星はついていた。それは、この学校が俺の母校で、家からそう遠くない場所にあるからだ。学校や、家で落ち込んだり、ムカついた時は、大抵そこにいた。
着いた場所は、公園。滑り台と鉄棒。それと、俺がよくお世話になったブランコがある。その上に、笑魅はいた。深呼吸をした。心臓なんてないのに、鼓動がうるさく感じた。意を決して、一歩を踏み出した。近づく途中で、笑魅もこちらに気づいた。
「隣。座るよ」
「うん」
周りには誰もいない。ブランコに乗るくらいいいだろう。淡泊な返事に密かに心を痛めつつ、座った。ギーコギーコと鳴る訳でもない。夜は静かなままだ。
「見たよ。笑魅の人生の一端を」
「え?」
困惑の声が漏れた。当然の反応だ。
「始まりは、下らないことだった。その下らないことですら、俺なら耐えられなかったと思う。まして、エスカレートしたら、笑魅より早く死んでいたかもしれない。3年間も耐えてたんだよね。すごいよ、笑魅は強い人だ」
「強くないから自殺したの、気休めはやめてよ」
「気休めじゃないよ、本当に、心のからの言葉。でも、それ以上に、周りが強かった。君を取り巻く環境、全てが君を否定したんだ」
「ガキみたい。「全て」なんて簡単に使っちゃうところとか。お母さんとお父さんは、私を大事にしてくれた」
「じゃあなんで、両親に言わなかったの、笑魅を大事にしてくれるなら、笑魅の言葉に耳を傾けてくれたはずだよ」
「簡単に言わないで。私は成績がいいの。通知表が返ってくる度二人は喜んでくれて「将来安泰だな!」って…そんな状況で「いじめがあって学校行きたくない」なんて言えるわけ無いでしょ」
「でも、言わなかった結果がこれだなんて、両親はそんなの、絶対望んでなかったよ」
「そんなのわかってるよ!」
一瞬。叫び声が夜を染め上げた。
「なんで、アイドルになりたかったの?」
落ち着いた口調で言った。
「だから言ったでしょ。縋るためって」
「縋るためなら、なんでもいいでしょ?小説家でも」
「…幼稚園の頃。ふと見たテレビで、アイドルが踊って歌ってた。その時はアイドルなんて言葉知らなくて、でも、会場の人たちがそれを見て、ペンライトを振ったり、歓声を上げてた。私もこうなりたいって思った」
そうか。あの3年間の記憶の中にアイドルの夢がなかったのは、それ以前の出来事だったからか。
「「私、この人みたいになる!」って、勢いで言っちゃって、親が喜んでくれて、それで…応援…してるって。嬉しくて…カチューシャ付けて…親の前で踊って…それで…」
手で口を抑えて、膝から崩れ落ち、赤子のように丸くなった。涙を流していることは、容易に想像ができる。
「なんで…死んじゃったんだろう。あんなに、可愛がってくれたのに…」
ブランコから降りて、笑魅の横に座った。
「大丈夫。笑魅は優しいよ。優しい笑魅は、誰よりも偉いよ」
言葉選びを微妙に間違っている気がするが、とにかく、ポジティブな言葉をかけながら、背中を優しく擦った。
しばらく、俺にしか届かない泣き声が夜に溶けた。
時間にして約5分。笑魅は泣き止んだ。
「優しいね」
「否定はしない」
笑魅が微笑んだ。それにつられて、俺も微笑む。
「一件落着…でいいんだよな?」
いつの間にかいた虚欠が、問うてきた。
「うん。心配かけてごめんなさい」
「なーに、若いんだからそんくらいがちょうどいいんだよ」
帰るぞ。そう言って、虚欠は俺らに背を向けて、公園を出ていった。
「はい。笑魅」
俺は、正座状態の笑魅に、手を差し伸べた。ありがとうと言って、手を掴んでくれた。
「軽音」
「ん?どうし…」
頬にキスをされた。
「え…えっと…」
「さっき殴っちゃったでしょ?そのお返しだよ。それとも、君の言ってた、好きな子以外にされたくなかった?」
「いや、そういう訳じゃないし…俺としても…嬉しい…けど…」
「だと思った。私のファーストキスなんだから。誇っていいんだよ?」
微笑を浮かべて虚欠の背中を追いかけていった。さっきの微笑を天使だとすれば、今の微笑は悪魔だ。自分が上の立場だと理解している顔だった。声が出せない。キスされた頬にギリギリ触れないように手で覆う。触りたいけど触りたくない。不思議な気分だ。たった一度のキスで、笑魅のことが好きになりそうだ。結衣がいなければ即死だった。
「ん?軽音はどうした?」
「さあ?どうしたんでしょう。余韻に浸ってるんじゃないですか?」
「余韻?なんの?」
「フフ。なんでしょうね」
「ははーん。なるほどね。魔性の女め」
「軽音が悪いんですよ。あんな優しい人…」
「やめとけよ」
「わかってますよ。だから、あれで終わりです」
「【交信の間】の空き部屋でも使うか?あそこは防音だぞ」
「では」