第五話「信商の本心」
ついに安国寺恵瓊を見つけた信商たち。しかし護衛たちも腕ききぞろい、なかなか近づくことができない。
奇妙なことに、相手は激しく攻めたててくるのに、信商はそれを防ぎつつ、様子をうかがうような攻撃をするだけだった。まるで時間かせぎをしているように……
「死ねえ、徳川の犬め!」
だが、敵にしてみれば信商がなにを考えているかなど知ったことではない。これでもくらえと刀を振りおろす! とうとう勢いに押され、信商は転んでしまった。
絶体絶命のピンチだ。しかしここで、
「松平が家臣、山田半兵衛! 助太刀いたす!」
奥平の殿様とともに恵瓊の逮捕を命じられていた、松平家のみんながかけつけた。
形勢逆転だ。きらりと半兵衛の剣がひらめくや、たちまち信商と戦っていた護衛が倒れる。
「お、おのれ……」
恵瓊が悔しそうにうめく。もはや逃れるすべはない。
しかしここで、敵のひとりが恵瓊に向かって刀をふり上げた!
信商たちに寝返ったのではない。
むしろ逆だ。生きたまま捕まるくらいなら、いっそ恵瓊を殺してしまおうというのだ。
「もはやこれまで! 縄目(捕まって縄でしばられること)の恥を受けるぐらいなら……。恵瓊さま、お覚悟を!」
これは信商たちにとって、たいへん困ることになる。死なれたら取り調べができない。
「そうはさせぬ!」
信商はとっさに刀を投げつけた。それは寸分の狂いもなく相手に突き刺さる。すぐさま半兵衛らが恵瓊に駆けより……
「安国寺恵瓊、山田半兵衛が召しとったり!」
「ぐぬぬ……。む、無念じゃ」
長らく身を隠していた恵瓊は、ついに捕らえられた。
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「いや、万事うまくいってめでたいことよ」
「今夜は祝いじゃ、朝まで酒盛りといこうではないか」
夜。宿では両家のみんなが集まって、祝勝会と親睦会を兼ねた宴会で盛りあがっていた。
「それにしても鳥居どの、なぜあの牛車に恵瓊が乗っているとわかったのじゃ?」
仲間のひとりがそう訊ねると、まわりの目が信商に集まった。みんな気になっていたのだ。
「恵瓊は、毛利家で重要な地位にあった人物じゃ。おそらく、その立場にふさわしく誇り高い性格だとわしは思った。なので、たとえ身を隠すための芝居であっても、みすぼらしい格好はしないだろうとな」
信商は茶わんの酒をぐいと飲み、続ける。
「で、あれだけ目立つのに見つからないとなると、同じ坊さんのよしみで、どこかの寺にかくまわれていると見た。もちろん、家康さまに逆らったやつを助けたらえらいことになるのだが……それでも、やるやつはやるんじゃ。そこでわしは部下に命じて、難民を調べ終わったら、次は寺をしらみつぶしに探すという噂を流させた」
なるほど、だから別行動をとっていたのか。だが、わからないこともある。
「なら初めからそう言うてくれれば、すぐに恵瓊を捕まえられたのではないか?」
「そのことは悪いと思うておる。だが、いきなり寺に押しかけてはまずい」
みなは無言で信商の言葉を待った。行灯の火が燃えるジジジという音が、やけにはっきり聞こえる。
「寺の中で恵瓊を捕まえれば、家康さまはその寺に罰を与えねばならぬ。それは全国の寺や、仏の教えを信じる民の反発を招くことになろう」
実際、家康が若いころ、一向一揆といって、お坊さんの呼びかけに応じた反乱が起き、徳川家の家臣同士が敵味方に分かれて戦っている。
「なので、あえて取り調べまで日にちを空けることで、恵瓊をかくまっている寺に、今ならまだ関係なかったことにできる……という逃げ道を用意してやったのじゃ」
言いかえるなら、おとなしく恵瓊をさし出せば見逃してやるぞ、という警告だ。
「坊さんだって人間じゃ。わが身が可愛い。彼らの中には助かる望みが出てきたことで、やっぱり恵瓊に出ていってほしいと思った者もいたじゃろう。それどころか、わしらに居場所を教えようとする者が出てくるかもしれん。そして聡明(かしこく、知恵があること)な恵瓊が、それに気づかぬわけはない」
みんなが必死に難民キャンプを調べていたこと。それは恵瓊をかくまう寺に、無言のプレッシャーを与えていたのである。
「恵瓊は、もう逃げ隠れはできないと思ったじゃろう。そして、かくまってくれた寺に迷惑をかけるわけにはいかぬ、ともな。だから豪華な牛車と聞いてピンときたわい。堂々と大通りを練りあるいたのは、『見よ、これぞ毛利の外交僧、安国寺恵瓊なり』と見せつけるつもりだったのだ。どうせ捕まるなら立派な身なりで、と……。最後の意地というやつじゃな」
「なるほどのう。いや、たいしたもんじゃ」
みんなは、改めて信商の知恵に驚いた。一から十まで相手の考えを見抜き、みごと逮捕にこぎつけたのだから。
「それはそれとして、山田どのがおらねば危ういところじゃった。恵瓊も捕まえたし、お手柄でござったのう」
「いや、やはり今回の成功は鳥居どののお手柄じゃ」
半兵衛はそういって、信商の茶わんに酒を注いだ。
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もうみんな気づいていた。
松平家のみんながタイミングよく駆けつけたのは、信商が牛車の居場所を教えたからだと。そしてあのとき、信商はわざと時間かせぎのような戦いかたをし、半兵衛たちが来るのを待っていたのだと……
考えてもみよう。今回の任務は奥平と松平、ふたつの家が命じられたものだ。なのに、信商たち奥平の家来だけで恵瓊を捕まえてしまったら、松平の殿様のメンツは丸つぶれだ。信商は松平の殿様のために、半兵衛たちも手柄を立てられるよう仕組んだのである。
さらに言うなら、信商は味方に本心を話していなかった。もし奥平家だけで恵瓊を捕まえたら、松平家のみんなはどう思うだろうか?
「鳥居どのの知恵はたいしたもんだが、手柄をひとり占めされたこっちはみじめだ。ちくしょう、今にみてろよ」といったところかな。
もちろん素直にほめてくれる人もいるだろう。だが、まんまと利用されたことを恨む者が必ずいる。それは断言できる。
人間は、みんながみんな美しい心の持ち主ではない。
むしろ、よくない心を持った人のほうが圧倒的に多い。考えたくはないが、仲間にもそういう人はいたはずだ。
信商の父、初代鳥居強右衛門こと勝商も、裏切るくらいなら死んだほうがましだと、命を捨てて役目を果たした仲間想いの人物だった。信商もその心を見習い、またおっ母、もとい母上の教えを忘れず、父に劣らない立派な武士になったのだ。
人々は、知恵も心づかいもある彼を誉めたたえた。こうして、信商たちの任務は大成功に終わったのである。