第一話「長篠の勇士」
「お二人は、助けに来てくれると約束してくだすった! その数三万八千、すでに岡崎城を出ておられる! 皆の衆、もう少しの辛抱だ~っ!!」
その声が天高く響くと、体力も気力も尽きようとしていた長篠城の兵士たちは、ワッと喜びの声をあげた。
ときに、西暦一五七五年。今から四百年以上も昔。
戦国時代と呼ばれ、日本中で戦が絶えなかった時代のこと……
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三河の国(いまの愛知県東部)にある長篠城は、甲斐の国(いまの山梨県)を治める武田勝頼の攻撃を受け、明日をも知れぬピンチに陥っていた。
長篠城にいる兵隊は、わずか五百人。
対する武田軍は、なんと一万五千人。
これでは勝負になるわけがない。長篠城を守る奥平の殿様は、けわしい崖の上に建つ城に立てこもって武田軍をむかえうつ。しかし、食べ物を置いてあった倉庫を焼かれてしまったのだ。
腹がへっては戦ができぬ。
残った食べ物はほんの少し。先に武田軍の食べ物が尽きるのを待つことはできなくなった。
といって、城から出て戦ったら全滅だ。要するに、もう自力ではどうにもならないのである。
こうなったら手はひとつ。奥平の殿様のさらに上の殿様、岡崎城……いまの地図でいうなら、愛知県新城市の長篠城駅から、岡崎市の岡崎駅の近くにいる徳川家康に助けを求めるしかない。
しかし、長篠城は武田の大軍に取り囲まれている。
電話もメールもない時代だ。直接だれかが岡崎まで行かねばならない。敵の目をかいくぐり、どうやって家康に危機を伝えるのか?
このとき、足軽……つまり下っ端の兵隊という低い身分でありながら、こっそり城を抜け出して岡崎城まで走り、家康と、このとき岡崎にいた、家康のさらに上の殿様である織田信長に会い、助けにきてくれるよう頼むという、困難かつ重大な役目についた男がいた。
その名は、鳥居強右衛門勝商。
なお、あとで書くことになるが、実は鳥居強右衛門という人は複数いる。が、ふつうこの勝商ことを指すので、このお話でも以後この名前が出てきたら、特に断りがないかぎりそう思ってほしい。
話を戻そう。彼はみごと信長と家康を動かすことに成功したものの、長篠城の仲間たちにそれを知らせようと戻る途中、武田軍に捕まってしまった。
勝頼から「城に向かって『助けはこない、武田軍に降参しよう』と言えば命を助ける、褒美もやる」と取引を持ちかけられた強右衛門は、これを受けるふりをして長篠城に近づく。しかし仲間を裏切ることをよしとしなかった彼は、あべこべに助けがくると叫んだのである。
そして……
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「おのれ下郎(身分の低い男性をさげすむ呼びかた)、よくも一杯食わせよったな」
「わしにも武士としての、いや人としての意地がある。殿様や仲間を裏切るくらいなら、死んだほうがましだ。金さえ出せば人の心まで思いどおりになると思うな、武田勝頼!」
「言ったな! ならば望みどおり殺してやる! ものども、こやつを磔にせい!」
磔とは、ちょうどこの頃日本に広まりはじめていたキリスト教のイエス様のように十字架に縛りつけられ、槍で突き殺されることだ。
「長篠城のみんな、見えるか、聞こえるか。わしは裏切らなかった。最後まで、裏切らなかったよ……」
強右衛門は死んだ。三十六歳の最期だった。
わが君の 命にかわる 魂の緒を
何を問いけん もののふの道
(命とひきかえに殿様を救えるなら、なんで死ぬのを怖がることがあろう。それが武士の生きざまではないか)
これが辞世の句(死ぬときの気持ちをつづった俳句)といわれている。
強右衛門の誇り高い死にざまを見た長篠城の仲間たちは、彼のためにも城を守りぬくぞとふるい立ち、かろうじて持ちこたえた。
そして数日後、助けにきた信長と家康の大軍のまえに、勝頼はほとんど全滅に近い損害を出して敗れ、甲斐の国へ逃げ帰ることになる。これが歴史に名高い長篠の戦い、正確には長篠城の近くにある設楽ヶ原の戦いの、おおよその成りゆきだ。
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さてこのとき、強右衛門は奥平の殿様と約束をしていた。
「この役目、生きて帰れる見込みは薄いでしょう。そうなると、残される家族があわれでなりませぬ。殿様、わしが死んだら、どうか息子をよろしくお願いします」
「もちろんだ。わしの家来にして、必ずや一人前の武士に育てあげよう」
殿様は約束を守り、強右衛門の息子、信商を家来にとりたてた。
「信商よ。そなたの父はまことの勇士であった。みごとな忠義の士(味方を裏切らない、りっぱな人物のこと)であった。そなたも、亡き父に恥じない武士になるのだぞ」
「はい、殿様」
彼がこの言葉を守り、父に負けないすぐれた人物であることを証明するのは、二十五年あとのことになる。