005 本当の気持ち
私は何日も悩んでいた。ビアンカの言うようにティムに何か言う事も考えたが、何を言っても何かおかしい。ティムは何も悪い事をしていないのに、私は責めたくて仕方ないのだ。
こんな理不尽な感情は初めてだった。だから、何を言っていいか分からない。ビアンカとローレンは、他の女性と話して不快だと言えばいいと言う。でも、そんな事を言ったら、ティモシーは他の女性と一切話せなくなってしまうではないか。
(そんなおかしな話はないわ……。これは、自分で決着をつけなければいけない話だわ)
そして、もやもやと過ごす私にローレンが言った。
「今、ティモシー様は図書室にいらっしゃいますわ。いずれにしても、お話くらいはしてみてもいいのでは?」
そう言われて、図書室の入口で一人送り出された。話す機会を作ってくれたのだろう。
いつもの中央のテーブル席には侍従の姿しか見えなかった。いつものデリス嬢の姿もない。
(どこに行ったのかしら?もう帰ったの?)
奥に小さな声が聞こえた。
「……ティモシー大好き!」
心臓がぎゅうっと、捕まれるような気がした。何か恐れていた事が起きてしまったような気分だ。
(そう、ティムは私のものじゃない……)
「俺が好きなのはソフィアだ」とティムが言った。でも、それでも、私の気持ちは……。
二人に姿を見られて、ものすごく恥ずかしかった。覗き見するような女だと思われたくない。私は居たたまれず、急いでその場を離れた。
後ろでティムが追ってくるが、こんな場所でそんな姿を人に見られたくない。私は咄嗟に物陰に隠れた。だが、ティムに簡単に見つかってしまった。
「あの、ごめんなさい。覗き見した訳ではないの。偶然……」
ティムが私の手を取り、いきなり転移呪文を唱えた。一瞬で体が揺らぎ、重力が落ちる感覚が訪れ、足元がカサッと音を立てた。
「ティム!ここ、どこ!」
足元は草むらだった。
「王宮の背後の森……」
「何で!」
「ごめん!怒らないでくれ」
ティムが跪いた。
「俺が好きなのは、ソフィアだけだ。ソフィア以外を好きになる事は、今までもこれからも絶対にない!だから、誤解しないでくれ」
私の手を取り、叫ぶように言う。
「誤解なんて、してないわ……」
「でも、不快だったろう?」
「……お世話になったお嬢さんたちに親切にするのは、当然だわ。彼女があなたを好きになるのも、彼女のじゆ……」
ティムがいきなり私の唇を塞いだ。強く抱きしめられて、苦しくて息が出来ない。私は、誰かにこんなに強く抱きしめられるのは、初めてだった。それに……ティムがこんな風に私を扱う事はない。彼はやっと私の体を離して、
「ソフィア、そんな他人事みたいに言わないでくれ……。俺は君が好きなんだよ。君が俺を好きでいてくれる自信がないんだ。だから、ちょっとでも、俺に嫌な事があったら、お願いだから言ってくれ……」
「だ、だったら、だったら、私をこんな気持ちにさせないでっ!」
私は、自分の中に、こんなに自分勝手な感情があるとは知らなかった。
ティムは、今度はゆっくりと私の体を抱きしめた。
「強くして、ごめん……」
「あなたばかり、自由で、素敵で、女の子たちにちやほやされて、楽しそうで……私なんて離婚したばかりで、子供までいて……あなたにふさわしくないのに……」
最後は涙声になっていった。どうして、こんなに自分が感情的になっているのか、もう何が何だかよくわからなくなってしまった。
ティムは優しく、でも力強く私を抱きしめて言った。
「俺は、いつ君に捨てられるか、いつもびくびくしてるんだ……」
「うそ……」
「ほんとなんだ。強引にしたら嫌われるんじゃないか、余計な事を言ってやしないか、毎日びくびくしてる。あんまり好きだ好きだと言うと飽きられるかもしれないと、心配ばかりしてるんだよ……」
「でも……、あの子たちと楽しそうにしてたわ。私と違って、まだ若くて将来のあるお嬢さんたち……私は、どうしても引け目があるの」
それは本当だった。私はティムに何もしてあげられないのに、どうして愛して貰えるのか分からない。
ウィリアムでさえも、私を愛する事はなかった。あんなに長い間一緒にいた人なのに。
「俺が……信じられないの?何か、足りないのかい?」
「違うわ。あなたは素敵な人で、だから……だから、不安で仕方がない……」
私は消え入りそうな声で、やっとそれを言えた。
(そうだ。私は不安で仕方なかったのだ)
「……ソフィア」
ティムは両手で私の顔を包み込んで、唇で涙を拭ってくれた。
「ソフィア、俺でいいんだね?俺は、一生君だけだ。だから、君もそうだと思っていいね?」
「……」
「俺は、君に強引に求める事ができなかったんだ。強く求めると離れてしまいそうで……。だから、何も望まないって言った。でも、それは間違っていたと今分かったよ」
「でも、私は……」
「エドワード陛下の事も、フォースリア家の事も、君は何も心配しなくていい。俺は一生、陛下に仕えて君を守る。だから、ちゃんと……」
ティムがさっきよりも強く私を抱きしめる。
「俺たち、ちゃんと結婚しよう」
ティムの香りが私を包んだ。さっきまでのぐちゃぐちゃな頭の中が、真っ白になった。
「私……」
「俺たちは、結婚する」
ティムがもう一度言った。そして、再び私の顔を両手で包んで、私の瞳を覗き込んだ。
「余計な事は心配しなくていい。時期は公爵様と相談して、陛下にも君にも負担にならないようにする。君は、黙って……頷いて……」
「ええ……!ティム」
私はティムの胸に顔を埋めた。
「俺が……不甲斐なかった。良かれと思って君を不安にさせるような事ばかり言ってたんだ。もう、何も心配させない。約束するよ。だから、ソフィア、君はもっと俺を求めてくれていい」
私はティムの胸の中で涙が止まらなくなった。
「ああ、何で声を殺して泣く癖なんかついたんだろう……。もう俺の前で何も我慢しないでくれ、頼むよソフィア」
私はいつの間にか、声を上げて泣いていた。今までこんな風に泣いた事があっただろうか……。体中から、淀んだ澱のようなものが流れて、ティムの清らかな魔力で満たされていた。そして、私の中はティムでいっぱいになっていた。
(こんな風に誰かに身を任せて、安心して泣いてもいいなんて……)
***
「じゃあ、ティモシー長い間ありがとう」
私とマイティは駅まで送ってくれたティモシーにお礼を言った。もう、あの告白は、二人の中で触れないものになっていた。ティモシーはソフィア様と結婚すると、私に言った。真顔で、誠実な、本当のティモシーの顔を見た気がした。
「また、いつでもおいで。魔塔に入りたいなら力になるよ」
最後まで、ティモシーは優しかった。これが駄目なんだよと、教えて上げたい。もっと、私の心の傷がうずかなくなったら……だけれど。
帰りの列車の中で、マイティに背中をさすられて、またもや泣き続けた。
(ああ、あんないい男、もう一生出会えないだろうなあ……)
涙で溺れて死んでしまいたい。本当に一生に一度の恋だったかもしれない……。デリス・クラム二十二歳の夏の大失恋だった。
***
長い間ソフィアに惚れて、悩み抜いた俺にはデリスの気持ちは痛いほど分かる。だが、それを気にする事がソフィアを傷つけてしまう。俺が守らないといけないのは、ソフィアだ。
公爵様には、近いうちにソフィアと結婚させて頂けるよう、お願いに上がらなければならない。反対されても、俺は絶対に諦めない自信がある。正式な結婚は、エドワード陛下がもう少し大きくなられてからだが。しかし、家門内では、きちんと公の事にしておきたい。
そして俺は魔塔に籠り、ソフィアに嫌われないように、ある物を作った。
ソフィアがいつでも俺に文句が言えるように、相互通信が出来る耳飾りを作った。今は人目を気にしなければならない時もある。そんな時にソフィアを不安にさせないためだ。本当はお揃いにしたかったが、それは諦めた。
ソフィアは言った。
「じゃあ、これに何か言えば、ティムが答えてくれるのね」
「そうだよ。文句でも何でも言ってくれていいよ」
「……愛してるって言っても?」
ソフィア、俺は君が可愛くて気が変になりそうだ。