004 とても言えない
私は一人になって、またビアンカとローレンの言った事を思い出していた。私とティムはお互いの気持ちは確かめ合っている。ティムは昔からずっと私に優しくしてくれるし、気遣ってくれる。時々、ティムから贈り物をされる事もある。
でも、私は何も約束していない。
(私に、ティムに何か言う資格なんてないわ……)
***
俺は赤面した。多分、耳の後ろまで赤くなっているに違いない。
俺の耳飾りには、未だにソフィアの声が聞こえる。
お守り代わりにソフィアに渡した時計は、まだ彼女の手元にある。緊急事態に備えて、ソフィアの周辺の音が聞こえるのと、ボタンを押すと転移が出来るあの時計だ。だが、ソフィアはまだ俺が音を聞いているとは、思っていないだろう。
さすがに、いつまでもこんな事をしてはいけないと外そうとしたその時、
「……気になる男性が……」
と聞こえた。聞き捨てならない。俺はボリュームを上げて全部聞いてしまった。
俺とした事が、まさかそんな事になっていたとは。
俺にとってソフィアは、手の届かない憧れの人だった。やがて宮殿に嫁ぐ憧れの公爵令嬢で、俺など気にも留めて貰えるはずがない。そして、実際に彼女は王の妻となり子をもうけた。
もう何もかも諦めて、そして諦め切れなかったその人に、俺への思いを伝えて貰えた。
本当に死んでもいいと思ったんだ。
テルビスにいる時も、片時も心から離れる事がなかった、憧れの人。俺が嫉妬にまみれるのは日常だが、ソフィアが俺の事をそんな風に気にしてくれるなんて、考えた事もなかった。だから、すっかり気を許していたんだ。
ビアンカ嬢が、俺に言うように言ってくれた。
(恩に着ます、ビアンカ嬢)
そうしたら、跪いて許しを請おう。食事など、三日三晩どころか、一か月でも抜いて見せる。ソフィアに全身全霊で詫びて、許しを請うんだ。俺はそう、意気込んでいた。
だが、ソフィアからは俺に何も言って来ない。なぜだ……?
デリスの筆写はまだ続いていたので、教えなければならないところもあるから同席していた。その時は、必ず男の従者を一人付けて、デリスとも距離を取って座るようにした。過剰な接触をしないように、言葉遣いも細心の注意を払っていたんだ。
でも、ソフィアから俺に何か話がある事はなかった。自分から言う訳にはいかない。話を盗聴していた事がバレてしまう……。
ソフィアから図書室に来る事も、宮殿ですれ違う事もなくなってしまった。
俺は焦った。このまま誤解されたままでは、ソフィアに愛想をつかされてしまうのではないか。せっかく愛していると言って貰えたのに、もう嫌いになったと言われてしまうのではないか。
俺は気が気ではなかった。
(頼む!ソフィア……他の女といて不快だったと、俺を罵ってくれ!そして、謝罪するチャンスを俺にくれ!)
俺とソフィアは、ほんのかすかな糸で結ばれたばかりなのだ。それをこんな事で切れてしまうなんて、耐えられない。
***
マイティから聞いた話と、最近のティモシーの態度で、私はかつてないほど落ち込んでいた。
「ロッドランド卿って、元王妃様が好きなんですって。ダービルさんが言ってたよ。子供の頃からの片思いで、王妃様が離婚して、お互いの気持ちを確かめ合ったばかりなんだってー。何か凄くなーい?」
マイティは、伯爵家の豪華なベッドのクッションを抱きしめて、悶え喜んでいる。身近な人の恋物語は楽しいものだ。
「……でも、ソフィア様は王様のお母さんでしょ?」
私はちょっと嫌な言い方をしたと自覚している。でも前の王様が病気で離婚したような人、何だかティモシーに似合うと思えない。
「えー。でもロマンを感じるよおー。子供の頃から一途に思い続けるなんて……なんてロマンチック。ロッドランド卿っぽい」
マイティはぷるぷるしながら、クッションに顔を埋めて悶えている。
「テルビスに来たのも、王妃様を思い切るためだったらしいけど、それでも忘れられなかったんだって」
じゃあ、ティモシーはテルビスでも、ずっとソフィア様を思ってたって事?
「あのさ、デリス。やっぱ、あなた、ロッドランド卿が好きなんじゃないの?」
「……」
「……友達の恋は応援したいよ。でもさ、ここに来て思ったけど、身分が違い過ぎるよ。こうして、たまに特別にお友達待遇して貰うのが、丁度いいと思わない?」
「……わかってる」
「デリス……ごめん。でも、傷ついて欲しくないんだ……」
私は涙がぽろぽろ溢れてきた。
(やっぱり、諦めないといけないのかなあ……)
上を向いて涙を堪えようとすると、もっともっと溢れてくる。
結局私は、声を上げて大泣きして、マイティに背中をさすって貰って余計に泣いた。
一晩中泣き続けて、マイティに迷惑をかけてしまった。寝不足と泣いた顔を悟られないようにして、今日も宮殿に筆写に出かけた。今日で終わる予定だ。
寂しいような、ほっとするような、苦しくて切ない気持ちで、もはや何を筆写しているかわからなかった。
(ああ、どうしても諦めなくちゃいけないのかなあ……)
昨日からそればかりを、頭の中で繰り返している。正直言って、一度結婚して子供がいるソフィア様とティモシーが結婚するというのが、私としては許せなかった。私の許しなんていらないだろうけど、好きになった一人として、何か反対する権利くらいあってもいいのではないかと思う。
それに、あの二人はそんな風に見えなかった。もしそうなら、あのお茶の時に、恋人だって紹介してくれたんじゃないかと思ってしまう。
どうにかして、二人がくっつかない理由を考えてしまうのだ。
(せめて、思いを伝えたら駄目……?そうしたら、ひょっとして……)
そのチャンスは唐突に訪れた。
私は書棚の上の方にある書籍を取ろうと、梯子を探していた。すると、ティモシーが取ってくれようとする。ちょうど、その角度が、いつもいる従者の人の死角になっていたのだ!最近必ずいる邪魔な人。私は、今だ!と思った。
「ティ、ティモシー、私、ティモシーにどうしても会いたくて来たの。手紙をくれなくて、凄く寂しかった。でも一日も忘れた日はなかったの。私、私、ティモシーが大好き!」
もの凄い早口でまくし立てた。いつも心の中にあった言葉で、するするっと出てしまった。
「デリス……」
でも、言ってすぐに後悔した。ティモシーが今まで見た事がないような、困った顔をしたからだ。いつもみたいに、からかうように調子よく何かを言ってくれるかも、とちょっと期待していた。「仕方ないなあ」って言って、おでこをつついてくれそうな気がしていたのだ。
そうしたら、私は大好きって言って、抱き付いたりしたかったのだ。
「デリス、ごめん。本当にごめん。俺はソフィアが好きなんだ」
その時、カタンと物音がした。振り返ると、ソフィア様がいた。
ティモシーがびっくりして言った。
「ソフィア、違う、違うんだ!」
ソフィア様は何も言わずにくるりと向きを変えて、図書室を出て行った。表情が抜け落ちていて、ほんとに人形のように冷たいきれいな顔だった。
ティモシーは慌てていた。血相を変えるって、こういう事なのかと思った。ティモシーは調子よく振舞う人だけど、冷静で慌てたりする事がない。それなのに、ばたばたと転がり出るように、ソフィア様の後を追って行った。私は一人そこに残された。
(告白した女を、何も言わずに置いていくんだ……)