7 彦島――、日子王の島、つまり太陽神の子の島で、エジプト王家の末裔の流れ着いた島
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時は、少し遡る――
夜の、関門海峡。
明々とした街の灯りに挟まれる、夜闇の海峡。
そこから、少し行くこと、わずか数十メートルほどの海峡を隔てて、ピタリと、本土と隣接した島がある。
彦島――
小さい島ながらも、数万の人口を擁する、造船所などもある海峡の島。
下関の駅、中心市街地からも近く、在来線はここを経て関門トンネルへと入っていく。
そんな彦島だが、高さこそ低いが山がちであり、鬱蒼とした場所も多い。
また、壇ノ浦の合戦で生き残った、平家の残党がこの島に住み着いたとの、いわゆる平家の落人の伝説がある。
いや、地元の祭りで、平家踊りというのが踊られているくらいであるから、もろに、平家の落人との関わりが深い地だろう。
まあとは言え、そのような平家の無念というか、恨みを受け継いでいる人間など、いるわけではない。
当然と言えば当然のことだが、もう1000年近くも前の争乱で、当事者が死んでから何十代も経っているわけである。
ちなみに、昔は、人々は呪いや祟りというものを恐れるもので、戦で敗れた相手をきちんと祀ったから、というのもあろう。
さらに言えば、この戦は、『平家物語』という壮大な叙事詩に歌われた。
『祇園精舎の鐘の音――』で知られる無常観をもった日本の国民文学ーー
もっと言えば、日本国家の、遺産的なものにまで昇華されたのだ。
なので、オカルティックなことを云えば、いま現在も、霊魂や呪詛が残っているわけではないのだが……、ただ、それらの、“霊魂の残渣”とでもいうべきものが、“情報”が……、まるで、地殻に湛えられた太古の海水だったり、そこから湧き出る瓦斯のように、沸々(ふつふつ)と湧いて、漂うこともある。
そして、“それら”の、“残留思念”というか残渣は、怨恨などといった“元の形”とは、ほど遠い“ナニカ”になっているものだ。
さて、ここで、もっと、彦島の中のほうへと入っていく。
低いが、少し鬱蒼とした山の中に、“とあるオカルティックなもの”があった。
ペトログラフ――
絵や文字の刻まれた石、岩のことだが、実は、この彦島にはペトログラフが多く見つかっている。
海峡を見下ろす丘陵、そこからは宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行った巌流島も見えるのだが、その丘には恐れの杜の祟り岩とでも呼ばれる、一メートルほどの大きさの岩、巨石があった。
ペトログラフはその中にあり、シュメール文字やバビロニア文字と思しきものが刻まれている、とのことである。
また、それだけでない。
島の神社の境内には、『神霊石』というのが安置されているのだが、これには『泳ぐ岩』との、不思議な話がある。
それによると、島内の造船所の近くの海底で、進水式がある度に、いつも、大きな石が、まるで泳いできて邪魔するかのように移動してくるという、不思議な現象が起きていたのだ。
その石が、神霊石として引き上げられ、神社に安置されたとのことである。
これらのような不思議な巨石や、ペトログラフが多く見つかっていることから、かつてこの彦島に、何か神殿のようなものがあったのではないかーー、との説を唱える者もいるとのこと。
彦島――、日子王の島、つまり太陽神の子の島で、エジプト王家の末裔の流れ着いた島。
もしかすると、それが邪馬台国や、大和王権につながった可能性も、微レ存なのかもしれない。
そのように、平家物語の時代から古代まで、歴史の流れる海峡の島。
そこに、
――ザッ……
と、ある人間の影が、現れた。
ジャケットを羽織り、肩までのびたセンター分けのロングヘアの、顔立ちの整った男。
「……」
と、男は無言で、“何か形状しがたい意志”に基づいて、巨石の前に立った。
謎の巨石――
オカルトレベルでいえば、石というのは、いま現在人類が開発しているどんなメモリーよりも優秀な記憶能力を持つ。
この石も、古代より以前、壇ノ浦の合戦、それから下関戦争と幕末の動乱、太平洋戦争末期の空襲など、“見てきた”のだろう。
それらの“記憶”は、世界の――、まだ人類が観測できない次元の世界に“接続”される。
その中で、時に、良かれ悪かれ神秘的な力をもつことがある。
そして、男は“その力”を解放する。
沸々と、暗闇に湧き上がる空間異常。
「……」
と、男は振り向いた。
そこには、
ーーゆらり……
と、“邪神”の影が、現れていたが……