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置き型新入社員

作者: 森川めだか

置き型新入社員

       森川 めだか


「コンテ見させていただきましたが・・」

そう言ったスーツ姿の男は絵コンテをテーブルにパラリと置いた。

新進気鋭のデザイナーはさっきからずっと部屋の椅子に座りじっと黙ったままの男に狼狽ぎみに目をやった。

「置き型新入社員の落下くんです」

紹介された男は真面目一辺倒でやや緊張ぎみに頭を下げ、また顔を上げるとじっと真剣な目でこっちを見、「勉強させていただきます」と言った、ような気がした。

「消臭剤か何かですか」デザイナーの言葉にその新入社員を連れて来た上司は気分を害したのか曖昧に笑った。

「私、煙草をやめましたのでね」意味の分からない返事をその上司はして、デザイナーが腰を下ろしている椅子の真向かいに座った。

「へえ・・。卒煙ですか。私はなかなか・・」

「デザインは素晴らしいのですが――」昔からの付き合い、とは言っても発注先なのでデザイナーは恐縮しきりだったが、上司は話を絵コンテに戻した。

「その斬新な形を実際に商品にするには・・、経費がね・・」

「売れると思いますよ」

強気なデザイナーの発言にやれやれという感じで上司は呆れ気味にまた笑みを浮かべた。

「先生、パリコレでも何でもそうですが、このモデルは瘦せすぎです。今、こんな服を買う人はいない」

「しかし・・」

「分かります、分かりますよ。先生の思いは実に素晴らしいと思う。しかしねえ、ランウェイを歩くわけでなくウチ、タウン系のファッションブランドを目指してますからね・・。若者でも手に取りやすい・・」

「パーカーでも作れとおっしゃるのですか?」

「うん・・。まあ・・。有り体に言えばそうです」

「そんなの私じゃなくてもできるじゃないですか」

「先生にお願いしたのは先生のセンスを買って・・」

「私のデザインの到達点はこれです」デザイナーは絵コンテの内から二枚目の全体像を描いたものを突き返した。

上司はそれを見る代わりに目頭を揉んだ。

「うーん・・」

置き型新入社員はそれを不動といってもいいくらいの背筋を伸ばし、真剣に見、耳を傾けている。

「このドレス・・、一万円以下でできますか? ペラペラの安い素材にするしかない。そんなの誰も買いませんよ」

「私が聞いたのは御社のテーマの街中のドレスコードというキャッチフレーズです。これは正にそれにふさわ・・」

「いやいや、先生。これ、街中で着てたら目立ちますよ。それに黒というのもね、正直若者は敬遠するんですよ」

「十代二十代の女の子は飛び付きますよ、これは今までに着たことのない私たちの初めてのドレスというのは――」

「テーマは私どもが決めます」上司は一蹴した。

「分かりました」デザイナーは絵コンテを裏返してまるでスケッチをするようにサラサラとものの一分も経たない内にまた新しいデザインをした。

「これでいいですか」キレ気味にまた突き返したその絵コンテの裏には白いオーバーサイズのパーカーのフロントにブランドのロゴをあしらっただけのデザインが雑な線で描かれていた。

「悪くない」上司は一瞥して、また絵コンテをテーブルに置いた。

「そんなのデザインでも何でもない。今時の若者のデフォルメされた風刺に過ぎない」

「先生、気を悪くなさらないでください。悪くないと言ったのはいいも悪いもないという意味です。ここに先生のセンスを凝縮してディテールに神がやど・・」

「いや、違います」デザイナーは会社側が用意したペットボトルのお茶に口を付けた。

「妥協点を探らないとね。先生もお分かりでしょう、デザインをパタンナーに渡して実際の商品にするのは私どもですから」

「妥協点? ・・妥協点」

「そこは了承いただかないと。この絵コンテオリジナルで作ったとしても着られる人はごく限られますし・・」

「瘦せすぎという話ですか?」

「うーん、何と言ったらいいか、このデザインでは商業的に失敗するだろうということです。それは長年の弊社の・・」

「マーケティングですか」

上司は肯いた。「・・つまり、そうです」

デザイナーは暗い顔をして俯いてしまった。何度同じことを聞かされたか。僕のデザインは・・。

「ノースリーブにしたらどうでしょう?」上司が言った。

「これから夏ですし」

「ノースリーブにするのなら丸ごと変えないと」デザイナーは下を向いたままだ。

「なあ、」不意に上司が言ったのでデザイナーは顔を上げた。見ると、置き型新入社員に上司が同意を求めたのであった。

急に上司に意見を求められた新入社員のようにぎこちなく落下くんは身を固くし、考えているように眉根を寄せた。

「多勢に無勢ですな。このお・・置き型新入社員というのは初めてお目にかかったが多数決のために用意されたのですか?」デザイナーは苛立ち気味に皮肉った。

「いえ、ちゃんと入社試験をパスした正社員ですよ。置き型枠の」

「置き型枠?」デザイナーは思わず聞き返した。

「ええ、弊社としましても新しい取り組みですが、今年は豊作でした」まるで上司は、社長が気に入った絵を部屋に飾ったように笑った。

「弊社としましては今回の先生のデザインにかけているんですよ。これがうまくいったらラインナップでシリーズ化しようとも盛り上がっているんです。先生、どうか・・」

そう言われて悪い気はしないデザイナーは少し深めに椅子に座り直した。

「分かりました・・」自分が突き返した絵コンテをデザイナーは自分の方へ引き寄せた。

「これはやめにしましょう。締切は今月末でしたよね?」

「はい」

「もう一度考え直します」

「申し訳ございません」上司は膝に手を載せ、頭を下げ、そのままの勢いで椅子から立ち上がった。

同時に置き型新入社員も即座に立ち上がった。当意即妙というように・・。

デザイナーも渋面ながら立ち上がり、上司と握手した。

デザイナーがその部屋を出ていく時にその新入社員は深々と頭を下げていた。


 どうも線がまとまらない。自分でまだ気付いていないデザインがあるような。デザイナーはデザイナーチェアーに座り、意識を集中させていた。

今年の夏・・ナップザック・・ナップザック・・Tシャツ・・ナップザックをTシャツに付ける、そうか、Tシャツとナップザックを一体にした・・、タウンユース・・、なる程、電車に乗る時に困らないように、初めから前にナップザックを同系色で一体型にしたTシャツを作れば・・。面白いな、よし、これでいこう。


 自慢の新作の絵コンテを持って、デザイナーは地下鉄に乗り込んだ。運良く席が空いていたのでそこに座った。

五転田駅までゆっくりできるわけだ。

しかし・・。デザイナーは車内を見渡して考えた。近頃の若者は・・、と。

新進気鋭といってももう三十代半ば、やっと世間に知られるチャンス。長かった。

それに比べ・・、今の世代の子はよく分からん。タイムパフォーマンスとか言うらしいが、横の席の大学生と思しき女はダラダラとスマホでどうでもいい動画を眺めているし、自分のオフィスに来た新入社員も倍速どころか四倍速でドラマや映画、ニュースを見ている。それで「間」が取れるのかどうか。

深みというものが足りない。「暇がないから」と若者は言うが、ダラダラとどうでもいい動画を眺めるためにどれだけ必要な時間が割かれているか・・。全く。デザイナーは鼻でため息を吐いた。

近頃の若者は・・とエジプトの壁画にも書かれていたというのはどうやらデマらしいが、そんな都市伝説が生まれるのもこの時代の凋落に由来するのだろう・・。全く。デザイナーは目を閉じて、自分の高尚な思考にとりとめなく入っていった。


「これはまた奇・・、逸脱、いや、ハイセンスなデザインですな」絵コンテを見せた上司は、口を開けてそう言った。

「でしょう、新しい地平が開けました」

置き型新入社員の落下くんはまた壁の方の席に座ったまま、据え置かれている。

雰囲気だけはやる気に満ちた、場慣れしていない新入社員そのものなのだが、ただそこにいるだけ。何の用を果たしているのかデザイナーには見当も付かなかった。

「うーん・・」と言ったきり、黙ってしまった上司をよそに、絶対的な自信を持っているデザイナーは窓の方へ行った。

オフィスビル、眼下には都会。いい気分にデザイナーはなっていた。

上司の咳払いが聞こえてきた。デザイナーはクルリと軽快に振り向いた。

「なる程・・」上司は喉から絞り出すようにやっと言った、というような唸り声を出した。

「私は面白いと思います」上司は言った。OKとデザイナーは受け取った。

「ありがとうございます」

「ただ・・」上司は口早に言った。

「ただ、若い者にも意見を聞きませんと」

「持ち帰ってよろしいですよ。会議にかけてください。これが新しい街の姿だと」

「いえ、それには及びません。落下くんがいますから」

えっ、とデザイナーは言葉を失った。上司が自ら置き型新入社員の方へ歩み寄った。

「落下くん、君はこのデザインどう思う」絵コンテを渡された置き型新入社員はそれを両手で受け取り、今にも汗が噴き出すのではないかと思えるような緊張し切って紅潮した顔でその絵コンテに目を走らせていた。その間、五分ほどであったろうか、デザイナーには異様に長い沈黙であった。

置き型新入社員は絵コンテを丁寧に上司に返し、息を大きく吸ったかと思うと、教科書に載っているような握り拳を軽く握り、それを膝の頭に載せ、背筋をピンと伸ばし、股の間を少し開け、今すぐにでも校歌を歌い出すのでは、という姿勢になった。

「私の意見でよろしければ・・」その声は緊張で裏返っていた。

デザイナーも上司も肯いた。

「僕のお母さんが言うには、洋服は服の方へスーッて行くって言うんですね。分かります? 洋服は「服」の方へスーッと行く。要するに、ハンガーかけあるでしょ? あの右の方へ服を寄せていくじゃないですか。洋服は服の方へスーッと行くって、洋服はいくら集めても凝っても、洋じゃなくて「服」なんです。洋って分かりますか。グローバル。海外とかそういう広い意味で。僕なんか親戚の叔母さんから井の中の蛙大海を知らずなんて、就活中に言われましたけど、洋服って右の方へ寄せるじゃないですか。分かります? だから、洋服っていくら集めても凝っても、所詮、服なんですよ。洋じゃない。服なんです。それ以上でも以下でもなく。今の時代、日本とか古いんっスよね。ユーチューブとかインスタとかXって、国境とか関係ないし。大体、こんなにSNSが発展したのってスゴクないっすか。僕にもフェイスブックで海外の友達とか増えましたし。正直、生まれた時からスマホがある僕らって、おじさんの話とか分かんないんですよね。テレビとかの話とかもう見てないし、みたいな。テレビって大体、一方的にあっちが面白いと思ったの見せられてるって意味分かんなくないっすか? 今の僕らって超忙しいんスよね。こう見えて。色々、チェックしないといけないし、世の中の動きとか見てても、もう日本だけじゃやっていけないし、もう僕らの世代には国境とかあんま関係ないんじゃないんスかね? ああ、服の話ですけど、それってもうグローバルじゃないじゃん、みたいな。知ってます? アフリカの貧民国にもう着られない古着がめっちゃ集められて困ってんすよ。マジ、偽善ハンパないっつうか、意味分かんないっス。お母さんの話も、洋服が服の方へスーッと行くって、言い得て妙、みたいな。我ながら自分の親、誉めちゃうみたいなメンタル。この会社に入ったのも、将来とか考えてなくて、適当なところで辞めてもいいし、プライベートっつうか面倒なところがなくて、休みとかちゃんとしてるし、自分の時間も取れるっていうか。僕らってえ、自分の時間が一番なんスよね。酒も飲まないし煙草も吸わないし、そういうのじゃなくて、もっとタイムパフォーマンスっていうか、もっとつながれるし。大体のとこ、今のおじさん達が作ったこの世? 意味ないっつーか、僕らが今、立っているのはそういう次元じゃなくて、踏襲するのなんてごく限られたのっつうか。・・うーん、何て言ったらいいんだろうな、うまく言葉にできないんですけど、検索したらひっかかってくる情報ももはや古いって、感じ・・スかね」

デザイナーは呆気に取られていた。言っていることの一割も頭に入らなかったというか、眺めていたと言った方が正しい。

置き型新入社員は言い終わると口を閉じ、また元のように椅子の上に鎮座したスーツを着た傍観者、といった風情だ。

「うん」上司もワンテンポ外れて肯いた。


「分かりますか」

煙草をやめたはずの上司は口に煙草を挟み、デザイナーもコンビニで買った煙草を吸っていた。

オフィス内に設置された喫煙所には中年以上の社員が目立つ。

「時代は変わったんです。いや、私も人事課から聞いたんですけどね、人間が変わったんです。彼らはもはや我々と同じ人類じゃない、進化した枝分かれした新生人類なんですよ。知らない内に歳取っちゃったなあ・・」その口調は発注側や受注側を越えた、人間の絆と言うか、そんな物を帯びていた。

「倍速で動画を見て、インスタだのSNSだのが発展して、それに囲まれた彼らには勝ち目がないですよ。優劣じゃない、もう生物としての科とか目が違っているんです。我々の言葉はもう通じない。思考体系が違ってますから」

デザイナーも知らず知らず無言で遠くを見て何度も肯いていた。

ハア、と二人ともが同時にため息を吐いた。

「我々はもう・・古いんです」

地層のように、人類の黄昏は何度も来るらしい。時代が変わるにつれ、その変動は凄まじく・・。


 デザイナーは休暇を取り、生まれ故郷に帰った。そこは田舎の雪国であり、母がいる。

縁側で外を見て、ボーッとしていると、母が珍しげに帰ってきた息子を見に来た。

「今、どんな服作ってるの?」

「ああ、パンツでも作ろうかなと、思ってるよ。まあ、若者が着ているような、そんな服を見習ってね」

「パンツ? あんた、いつ下着も作るようになったのよ?」

「お母さん、パンツっていうのはズボンのことだよ。今はボトムスとかパンツとか言うんだよ」

「パンツって言ったらパンティーのことでしょ! 外で言わないでよ、恥ずかしいから」

なぜか叱られたデザイナーはフフと微笑みを漏らし、まだ根雪が残っている木の根元を見た。

「ハア、もうすぐ春だね。やっとこっちにも春が来た。若い頃はそういうの嫌だったな。いつまでも雪で田舎で、春を待ち侘びるなんてさ」

「ああ、もうすぐ桜が咲くねえ。いい季節だ。あっちじゃもう桜は咲き終わってるんだろう?」

とっくに、とデザイナーは肯いた。

「いつまで桜、見られるだろうなんて、まだ若いあんたには分からないだろうねえ」としみじみと母が言った。

「いや、分かるよ。僕ももう歳だ」

「何言ってんの」母はデザイナーの膝をひっぱたき、笑いながら奥へ行ってしまった。

「おふくろのことも、おバッグって言う時代になるのかな・・」デザイナーは呟いた。


「あんたの作ったリュック付きのTシャツはいいねえ。電車乗る時も困んないし、正に最先端のデザインだねえ。こっちじゃ便利だ、便利だ、って大流行りしてるよ」

「ああ、そう。お母さん、僕、エジプトに行ってみようと思うんだ」

「え? 旅行?」

「いいや、ちょっと視野を広げに一年間くらい勉強しに行くよ」

「そうかい・・。寂しくなるねえ。体にはくれぐれも気を付けてね。電話でもLINEでもしなさいよ」

「分かった、分かった。じゃあね」電話を切ったデザイナーはキャリーケースに荷物を詰め込み、「世界の歩き方」を手持ちのバッグに入れた。

「ネフェルティティ、ツタンカーメンか・・」自宅の鍵をしっかりと閉め、キャリーケースを引っ張ってターミナル駅へ向かった。

若者たちが闊歩する都会のうねりの中をよぎる一隻の舟のように、人波を分けて信号を渡る。

春が来た、春が来た、どこへ来た、とデザイナーは呟いていた。

山に来た、里に来た、野にも来た・・。

彼の呟きは誰に聞こえるでもなく、春のまだ若い田圃の匂いのアスファルトに消えていった。


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