詳しい話が聞けなくて残念だ
「リィズは勉強家だなぁ」
「そうかな?」
図書館の閉館時間になり外へ出たところで、フェンニスがしみじみと言った。勉強が好き、というわけではない。ただ学ばないと不安すぎるから、学ばずいはいられないのだ。
マリィに似たのか……とつぶやいている父親には悪いが、リィズは首をかしげてしまう。母親は生粋の農家の娘なはずだ。記憶にある限り、勉強しているのを見たことはない。隠れてしていたのだろうか。それとも結婚前は勉強家だったとか?
リィズの記憶は、平和で幸せな日常の連続で、記憶に残らないものが多い。ただ漠然と「幸せだった」「あのころはよかった」「あのころに戻れたら」という気持ちになるが、具体的なことは手からこぼれていく。
特に母親の記憶、母親との記憶は薄れがちだ。それでも思い出す努力をするけれど、優しく抱きしめられたことや、頭をなでてもらったことしか思い出せない。
「お父さんもがんばってたじゃない」
「これでも俺は、リィズのお父さんだからな!」
「えへへ、いっしょに勉強できるの嬉しい」
「そうかそうか、明日も来ような」
「うん!」
帰りに屋台へ寄って、夕飯と明日の朝食と昼食を買って宿へ戻る。ちなみに今日の昼食は図書館内にある休憩スペースで軽食を買って食べた。屋台より値段がはったので、明日は屋台のサンドイッチを持ち込む予定である。
ただでさえ帝都価格ですべてのものが高いのだ。なるべく節約したい。図書館の利用料、宿代、食べ物。どれも予想より高くて、思ったより出費がかさんでいる。どうしたものか。
★★★
帝都に来て数日後。今日は図書館の休館日だ。リィズたちは食品をあつかう店に来ていた。今回の旅でお世話になった家へ、おみやげを買うという目的がひとつ。もうひとつ、トマトのオイル漬けを買い取ってもらいたい、という目的があった。
のんきにおみやげを選んでいるフェンニスを横目に、どんなものをあつかっているのか、その価格帯や品質を確認していく。そして最初の問題にぶつかった。
「製造責任者……」
どの食品にも、製造責任者として会社名が書かれているのだ。地球の日本に近い文明レベルなので、おそらく食品を製造・販売するにはなにかしらの免許または許可が必要だと思われた。テキトーファンタジーのようでいて、変なところがしっかりしている。
難民街ではそんな取締は行われていない。実際は街の外にある治外区域でしかないからだ。村に住んでいたときは、村ひとつが会社としての役割を果たしていた。しかしそれを捨ててきた今は、会社なんてものも存在しない。
みんな各自が生き延びるために、やれることをやっている。それだけだ。
家族単位での約束や法にのっとっているかも不明な契約を結ぶことはある。たとえばリィズの売っていた岩レンガの取引もそうだった。粗末な紙に、岩レンガいくつを、いくらで売買するのか。最低限の口約束を、紙に書いただけのようなものだ。
仕方ない、トマトのオイル漬けをすぐに売るのは諦めよう。違法に売る方法もあるが、そんなものが帝都で売れるとも思えない。リィズはすぐに意識を切り替えた。
まずは製造責任者の登録方法を確認しなければ。かんたんに登録できるなら、帝都滞在中にどうにかなるかもしれない。
おみやげを選んでいる父親の服を軽く引っ張る。
「お父さん」
「ん? リィズはこっちのほうがいいと思うか?」
「おみやげの話なら、どっちもダメ。日付をよく見て。明後日までに食べなきゃいけないおみやげなんて、もらっても困るでしょ」
フェンニスの手にあるお菓子は、どちらも半生菓子だ。しかも要冷蔵。そんなもの、持って帰るだけでたいへんである。
「そうか……おいしそうだと思ったんだけどな」
「もっと日持ちするやつにしようよ。それに帰る直前に買おう? それより、確認しに行きたいところがあるの」
「確認? なにをだ?」
「製造責任者のなりかた」
「せいぞ……なんだって?」
手にしていたお菓子を棚にもどしたフェンニスがリィズの手をにぎる。歩きながら話そうということだろう。手をつないで横へ並ぶ。
「あのね、お父さんのトマトをオイル漬けにしたでしょ?」
「ああ、難民街で売ったやつか」
「帝都で売れれば、もっと高く売れると思わない? だってここ、難民街よりごはんの値段がずっと高いんだもん」
「そうだなぁ……そうかもなぁ……けどあんなもの、売れるのか?」
「さっき果物のシロップ漬けの瓶を見たけど、昨日の夕飯より高かったよ」
「そんなにするのか?!」
大きな声を出したフェンニスが、あわてて自分の口を手でふさぐ。しかしちょうど店から出たところで、目立つことはなかったが。
しかしリィズは耳を背けそこねてしまい、予想より大きかった声に耳の中がじんじんしている。店内で声を抑えて話していたから、耳わばっちりフェンニスへ向けていたのがよくなかった。
「……うぅ、耳が……あのね、さっきのお菓子も、果物のシロップ漬けも、製造責任者の会社名が書いてあったの」
「それで製造責任者か、なるほど」
「お父さんが製造責任者として登録できないかな?」
「ふーむ……商売のこととなると、商業ギルドへ行くべきか? それとも登録ってことなら街の役所に行くべきか……?」
フェンニスは村からあまり出たことがなかった。それでも村近くの街に何度も行ったこともあれば、平和なときは旅行だってしたことがある。そんな経験をもとに首をひねってくれた。
リィズのいうことをバカにせず、ちゃんと考えてくれるのも、彼のいいところだ。嬉しくなったリィズは、両方行ってみようと提案した。
★★★
旅行前に用意しておいた帝都の地図を確認する。商業ギルドと役所の場所を確認するためだ。商業ギルドは商店がならぶ中央通りから少し外れたところにあった。帝都の中心地寄りの場所だ。
帝都の中央には城がある。皇帝が住むところだ。帝都一番の観光名所でもあり、一部は公開されている。リィズたちは行く予定がないけれども。城の周囲は貴族たちのタウンハウスだ。その貴族街から少し外寄りに商業ギルドはある。
役所の場所は、困ったことにいくつも存在した。貴族街……城にほど近いところにもある。住宅街らしきところにもいくつかあった。そして門に近いところにも。
どこの役所に行けばいいのか、よくわからない。それとも、どの役所でも同じなのだろうか? でも貴族街にある役所は違いそうだ。
「……とりあえず商業ギルドから行ってみるか」
「そうだね」
美花なら、まずはインターネットで調べてから……となるところだが、今は無理である。自分の足で地道に探さなければいけない。
そんなわけで図書館近くにある商業ギルドまでやってきた。ギルドの建物は、ひっきりなしに出入りがあり、みんな忙しそうだ。中へ入ると、総合案内所があり、近くの壁には案内図があった。
一階は新規登録、登録更新、相談窓口。二階が商業利益先物取引券売買の窓口。三階が会議室。この中だと、やはり新規登録のところへ行ってみるのがよさそうだろうか。まだ一階部分の案内を読んでいるフェンニスの腕を引いて移動する。
一階では多くのひとが順番を待っていた。受付で順番に番号札を受け取り、その番号が呼ばれたらカウンターへ行く方式だ。フェンニスが札を受け取り、ふたりで壁際に立った。いくつかイスは用意されているものの、すでにうまっていたのだ。
カウンターの回転率はあまり早くない。だから混雑しているのだろう。話している内容はまったく聞こえてこないので、おそらく音を制御する魔法が使われている。
「おや、小さいのにおとなしく待ってていい子だね」
周囲を観察していたら、声をかけられて顔をあげる。優しい声にまったくにあわない、いかつい体格と強面の老人が斜め前に立っていた。
サイの獣人だろうか、額に角が二本がはえている。小ぶりな丸い耳だけがかわいらしくて、それもまたミスマッチだ。
知らない相手だった。もっとも帝都で名前を知っているのはリラくらいだが。
まばたきして見返す。けわしい顔立ちをしているものの、にこにこしてるので、どこかひょうきんな雰囲気だ。
「こんにちは、おじいさん」
あたりさわりないように、軽く会釈して挨拶する。ちょっと怖い印象だけれど、拒否するほど失礼なことはされていない。それに、ここで問題を起こしたくなかった。
「ほほう、しかも礼儀正しいときたもんだ。すばらしい」
「ありがとうございます、自慢の娘です」
とまどっているリィズを察してか、フェンニスが前へ出てリィズの肩を抱き寄せてくれる。遠慮なく足にしがみつき、その後ろへ半分隠れた。そんなことをしても意味はないのだが、気持ちの問題だ。
リィズがうしろへさがっても、サイのおじいさんは嫌な顔をしなかった。新しい商売ですか、とフェンニスへ話を振る。
「いえ、そんなたいしたものではないのですが……今後、帝都でものを売るにはどうしたらいいか、相談したくて」
「ふむ、住まいはここかな?」
「今回は旅行で来ました」
「となると、帝都商証は?」
「ないですね」
「そうか……それだと厳しかろうな」
「やはりですか……」
肩を落としてあきらめそうになっている父親の腕をあわてて引っ張る。せっかく教えてくれようとしているのだ。もっと会話を続けてもらいたい。
「あっあの、帝都商証ってどうやったら手に入りますか? それないと売っちゃダメってことですか?」
「いや、なくても売買は可能だよ。店をかまえることはできないけれどね」
「広場にあるごはんの屋台は、お店ですか?」
「あれは違う。しかし食いもんをあつかうなら、食品製造責任者の登録が必要か……」
「それ! それはどうすればいいですか?」
うしろへ隠れたはずが、いつの間にか身体を乗り出して質問攻めにするリィズの頭を、フェンニスがそっと押さえる。ついでに耳を後ろへなでつけられた。子どもを落ち着かせるときに大人がやる動作だ。
言葉でも落ち着きなさい、と言われて首をすくめた。よく見たら、周囲がみな、こちらを注目している。
子どもがいない場所で、子どもの高い声はとても響くし目立つ。興奮してつい大きな声になってしまっていた。ごめんなさい、と小さく謝る。恥ずかしい。
リィズが黙ったことで、周りの客も興味を失ったのか、視線を外した。羞恥をごまかすように、またフェンニスの足を盾にする。隠れ切れていないのだが、やはり気分の問題だ。頭をなでてくれる父親の手が嬉しいけれど、耳が変なふうに折れてちょっと痛い。
「すみません、娘がご迷惑を」
「はっはっは、元気なのはいいことだ」
改めて製造責任者の登録について確認しようとしたところで、番号が呼ばれておじいさんはカウンターへ行ってしまった。詳しい話が聞けなくて残念だ。
寝坊&仕事でばたばたしていたら、いつもより更新が遅くなりました…(といっても毎日同じ時間に投稿してるわけでもないのですが…)