まぁいいじゃないですか、とごまかした
ファンタジーのようで数学。
サリアの言う「発想の転換」を考えながら、リアラが用意した計算を片付けたところで、今日の勤務時間が終わってしまった。暗くならないうちに帰るため、いつも通りの時間にビルを出る。ぼんやりしていたらバスに乗る前に防御魔法を発動し忘れそうになった。危ない。
考えごとをしながらでも、通い慣れた道を進む足は動く。移動陣で街から街を渡れば家までもうすぐだ。しかし、いつもなら用意しておく反撃の魔法を使い忘れていた。
そんなときに限って、やっかいなことが起こるものだ。リィズは急に横から引っ張られ、建物と建物の間の物陰に引きずり込まれた。
「わっ?!」
身体をおおっている防御結界があるので、痛くも痒くもない。しかし結界ごとつかまれ、力任せに連れ去られるおそれがあった。だからいつも反撃の魔法を準備するのだ。
「金を出しな」
端的な言葉とともに、首元へナイフが突きつけられる。そういえば最近ナイフで金銭を脅し取るやつがいるとか、そんな話を聞いた覚えがあった。
ナイフをじっと見るが、どう見てもただのナイフだ。魔力が込められている様子はない。そんなナイフでは、防御魔法に傷を入れることは難しいだろう。それを確かめてから、改めて相手を見上げる。
兎獣人ではないし、見たことのない顔だ。つまり同じ村の仲間ではない。難民街で隣り合っているのは、同じ地方からやってきたひとたちだ。
一番交流があるのは、鳥獣人の村から来たひとたち。イマイチ仲よくないのが蜥蜴獣人の町から来たひとたち。そして挨拶はするが積極的に関わることもない昆虫族の集落から来たひとたち。
眼の前の相手は狸獣人だろうか、後ろからのぞくしっぽが太くてふさふさしている。ご近所さんにも、狸獣人はいなかったはず。どこのはぐれ者か知らないが、ご近所さんでないなら遠慮する必要はないだろう。
「おい、聞いてるのか? 金を出せつっているんだよ!」
突きつけられたナイフが、ガキンと鳴る。結界にぶつかって弾かれたのだ。
「くっ、なんだこれは?! くそっ、くそっ!!」
続けてナイフが振り下ろされる。どうやらほかに武器はないらしい。このくらいの攻撃であれば、ひるまなくなってしまった。半年前、最初に襲われたときはかなりびっくりしたし怯えたりもしたのだが、慣れとはすごい。
「発想の転換……」
「ちくしょう! なんなんだ、これは!」
とりあえず、眼の前のものを壊す基本的な呪文を使ってみる。男の服がほころぶが、肌には傷ひとつついていない。体内の魔力が反発して男の身体にまで魔法の効果がおよばないのである。
男は服がほつれたことなど気づかず、ナイフを刃こぼれさせる作業に忙しい。無駄なことをしているということが、理解できないようだ。
もう一度試すが、リィズの魔法では無理そうである。それこそナイフでもなければ、ケガを負わせることはできないだろう。
「あ、そうか……ナイフを操ればいいんだ」
なにかを魔力で操作する呪文は、応用しやすい魔法のひとつだ。手の届かないところにある物を取ったり、細かすぎる作業や力を必要とする作業をするのに便利である。リィズはよく鍋を掻き回すおたまに、この魔法を使う。
素早く呪文を唱えると、ナイフを動かす。しかし男がにぎったままなので、うまくいかない。
「なんだ?! ぐっ……かってに動くな!!」
必死に抵抗する男を魔力でねじふせ、無理やりナイフを振り切る。しかしその刃先は男の頬をわずかに傷つけただけに終わった。そこで男がナイフを投げ出したので、急に抵抗がなくなり、勢い余ったナイフは建物の屋根付近へと突き刺さって止まる。
「くそぉ、やってらんねぇ!」
捨てぜりふを残し、男が走り去っていく。もう少し魔法の実験につきあってくれてもよかったのに。そんなことを思うリィズはすっかりと、ささいな危険に慣れてしまっていた。
それでも、薄暗い建物の間に長居する必要はない。表に出て、また歩きだす。家はもうすぐそこだ。
★★★
次の日は見習い仕事がない日のため、一日岩レンガを作った。まとめていくつも作成したり、頑丈にしてみたり、いろいろ試す。壊すことは難しくても、作るだけならどれも難しくない。
それからナイフではなく、ハンマーを操って壊そうと試みた。その結果、一応割ることに成功はしている。しかし粉々には程遠い。できれば再利用したいのだが、それも難しそうだ。
あとはレンガを作るのとは逆の発想で、地中に空間を作ってみたりもした。地面を圧縮して天井と壁にすることで、簡易地下室を作成したのだ。
「おぉ、これでうちにも地下室が作れそう」
自分でやっておきながら、その成果に感心してしまう。問題は作った地下室を壊せないことだ。仕方ないので、空けてしまった空間に土を詰め込んでおいた。
そうこうしているうちに、午後も遅い時間になってくる。岩レンガは作ったらすぐに納品してしまう。置いておく場所がないし、置いておいたら盗まれるだけだ。だから作ったら作っただけ運び、引き渡す。
それが終わったら帰宅して、いつも通り夕飯の準備である。その間もずっと寝るまで、いい感じの「発想の転換」が見つからないか考えていたが、思い浮かばなかった。
★★★
翌日、職場へつくなりサリアに報告した。
「っていうわけで、お手上げです。思いつきません」
「あら、ふつか悩んだくらいで、もうお手上げ?」
試してみたこと、やってみたことを伝えたが、サリアに言わせれば悩み足りないらしい。くすくすと笑われると悔しいが、これ以上考えても、いい案は浮かびそうになかった。
「……それより、これ……計算間違えが多いわ……」
ほかにどんな方法があるだろう、と考え込んでいたら横から腕を引かれた。珍しくリアラが起きていて、その手には計算式が書かれた紙がある。
一昨日リィズが計算したものらしい。ていねいに間違えたところに赤が入っている。計算しながら「発想の転換」について考えていたので、集中できていなかった。だからミスも多くなってしまったのだろう。
「すみません、考えごとしながら計算してました」
「……作ったレンガを壊したいの、よね?」
「はい」
「そう……サリーの発想は、いくつかパターンがあるの……それを覚えれば、いいのよ……」
言いながら、計算式の書かれた紙を押し付けられる。どうやらすべて直さないと許してもらえなさそうだ。
でもそれより、リアラのいうパターンのほうが気になる。リアラはサリアとの付き合いが長い。リィズ以上に頭がかたい(サリア談)が、これまでそのサリアの「発想の転換」に付き合ってきているはずだ。
なにかヒントを教えてもらえるかもしれない。思わず身を乗り出す。
「パターンですか?」
「えぇ、そうよ……。今回の場合なら……マイナスとマイナスを乗算したときを、考えてみて……」
「マイナスの数値とマイナスの数値をかけたら、プラスになる……ってことですよね」
数学の基本的なところだ。さいわいなことに美花は数学に苦手意識はない。得意でもなかったが。それはともかく。
たとえば三万円の借金を五回する。マイナス三と五をかけるので、合計マイナス十五だ。もし三万の借金に、マイナス五をかけたらどうなるのか。借金をマイナスするということは返済するということになる。マイナス三かけるマイナス五で、十五借金が減る……つまりプラスになるということだ。
これがマイナスとマイナスをかけるとプラスになる仕組みだと理解している。でもそれが、いったいなんのヒントになるというのだろうか。
試しにマイナスの数値を「破壊」に置き換えてみる。レンガに三ダメージいれることをマイナス三としたら、五回重ねるとマイナス三かける五でマイナス十五だ。
レンガへの三ダメージにマイナス五をかけるとしたら、つまりダメージの回復になる。壊れたレンガがもとに戻ることはないけれど、計算式にするならマイナス三かけるマイナス五で、十五ダメージが回復。実際は作り直すことになるだろうから、そう素直にはいかないだろうが……。
そういえばサリアが「作る呪文も壊す呪文も、岩の形を変えるということは同じ」と言っていたことを、ふと思い出す。
「あ!」
急にひらめいた。反射的に座っていた椅子から立ち上がる。
レンガを「壊そう」とするからうまくいかない。つまりマイナスにしようとするから、うまくいかないのだ。
マイナスにするのではなく、プラスにすればいい。つまり粉々の状態のレンガを「作る」と考えればいいのだ。作るなら得意である。
さっそく持参していたレンガを取り出す。粉々の状態に作り変える呪文は、問題なく構成できた。一度唱えただけではあまり細かくならなかったが、魔力をしっかり込めてもう一度魔法を使えば、多少抵抗はあったがちゃんと粉砕された状態になる。
「できた!!」
「……そうしたらこれ、ちゃんと直して、ね?」
リアラの目的は、リィズの意識を計算に集中させることだったらしい。計算式の書かれた紙を指先でつつかれる。
「わかりました」
「それじゃ……おやすみ……」
のっそりと本棚の向こうにある寝床へ去っていく。おやすみなさい、と見送るリィズの向かいで、サリアが首を振った。
「さっきの説明でどうして理解できたの? 意味がわからないわ」
「でも、これであってますよね?」
「そうなんだけど……」
納得できないようだ。しかしサリアが納得するような説明をする自信はない。それに、すでにリアラが試して玉砕しているだろう。
なので、まぁいいじゃないですか、という言葉でリィズはごまかした。
閃けるひとに、閃けないひとの気持ちは理解できないし、理論的に考えられるひとに、理論的に考えられないひとの気持ちは理解できないんだと思います。
たぶん。
昨日いいねについて書いたからか、またいいね頂いてました!
ありがとうごさいます…!!
読んでもらえてるとわかって本当に嬉しい……




