教えてもらうのは不可能
サリアがやってきたのは、リィズが自習を始めて一時間以上たってからだった。だいぶゆっくりだ。9時始業というわけではないらしい。朝に来て、としか言われていなかったから早めに来たけれど、サリアとリアラの朝はかなり遅いようである。
「サリア師匠、おはようございます」
「あら、早いわね。おはよう、リィズ……なにしてるの?」
「これを読んでました」
「魔法理論基礎……わかるの?」
「だいたいは」
「やっぱり頭がいいのね、リアと気が合いそう。あたしは感覚で魔法を使いがちで、そういうのイマイチ苦手なのよ」
どうやら理論を理解してなくても魔法は使えるらしい。言われてみればフェンニスを始めとする魔法を教えてくれた大人たちも、理論を理解しているとは言いがたかった。
でもリィズもどちらかというと感覚派だ。文法ありきの典型的な日本の型にはまったドイツ語教育を経験しているので、理論というより文法として魔法を理解したというべきだろう。
「というか、あなたは理論より先に魔力操作を練習するべきね」
というわけで、魔力操作を改めて教えてもらうことになった。
しかし、
「まずは体内を流れる魔力を感じるでしょ。心臓から身体の隅々までめぐってる魔力があるじゃない?」
出だしから難しい。
「手にある魔力はよくわかるんですけど、それ以外はぼんやりしてて、よくわからないんです」
素直に現状を伝えて、両手を差し出す。ふわりと魔力を立ち上らせ、すぐに消した。こんな芸当ができるのは手首から先だけだ。
「えっ……わからない? わからないってどういうこと?」
「どういうって言われましても」
「だってほら、ここをこう、こうやって魔力が流れるじゃない?」
「いえ、だからそれがわからなくて……」
「なんで?」
「わからないものは、わからないんです」
「……?」
心底理解不能、という顔で見おろされる。困った。だがすぐに、サリアはなにかを諦めたようで首を振って、にこりと笑う。
……嫌な予感がする。
「仕方ないわね」
伸びてきた手に、やっぱりと顔をひきつらせた直後、リィズは笑い転げていた。
★★★
見習い仕事がある日は笑い疲れて帰宅。ない日は家事をまとめて片付けて、合間にドイツ語の単語を覚える。そんな生活をするうちに春になり、リィズはやっと魔力操作に合格をもらった。合格といっても、魔力が体内の一部にとどこおって魔力中毒になる心配はなくなった、という及第点にすぎないが。
足から魔力を放出することも一応できるようになったし、体内のどこにどのくらい魔力があるのかもわかるようになった。魔力の流れる速度だってコントロール可能だし、一部分に魔力を意図的にとどまらせることだってできる。とはいえ、リィズの感知可能な魔力が百単位だとしたら、リアラは十単位で操れるし、サリアは一単位で操作可能だ。
つまり、まだまだ足元にもおよばない、というやつである。ふたりいわく、簡単に超えられたら師匠である意味がないでしょ、ということらしい。
「慣れてきたら、体外の魔力も操れるようにならないとね」
「えっ?」
「たとえば、ほら」
サリアの横に魔力がうずまく。練習するうちに、魔力を見る目が養われたのか、感じるだけではなくだんだん見えるようになってきている。注視するように目をこらした。
魔力がうねうねと動いて「お茶飲みたい」という文字になる。器用なことだ。ご要望どおり、給湯室へお茶をいれに行く。ちなみに給湯室には、リィズのために小さな折りたたみ式の台が用意されている。
お茶を三人分用意して戻ると、リアラが起きていた。様子を見るに、サリアに起こされたのだろう。
「おはようございます、リアラ師匠」
「……は、よう……」
起き抜けのかすれた声に、お茶を差し出す。リアラの手元でかすかに魔法が発動した。おそらく飲みやすい温度までぬるくしたのだろう。呪文なしで使えるほど、その魔法に慣れているリアラは猫舌だ。
「理論とかそういうのは、リアが教えてくれるから」
「お願いします」
「……ん、これ」
がさがさと目の前に広げられたのは、数字の羅列だった。ドイツ語には見えない。
「なんですか? これ」
「星の、軌道」
「星の軌道? ってなんですか」
「ちょっとリア、なにさせるつもりよ。まずは魔法を教えるべきでしょ」
割り込んでくるサリアを見るに、やはり魔法に関係するものではないようだ。紙をよく見ると、数字だけでなく計算式もある。しかも単純な加減乗除ではない。
なにやら二次方程式のようなものだ。もしかしたら、もっと複雑な式かもしれないが、美花がかろうじて思い出せるのが二次方程式までなのである。
美花の仕事には複雑な数学は必要なかったので、忘れてしまった。算数は苦手だったけれど、数学は好きでも嫌いでもなかったので、復習すれば思い出せるかもしれないが。
「……見て」
次に目の前に広げられたのは、いくつもの二次元グラフだ。もしかして、さっきの数式がこのグラフになるということだろうか。見比べるが、パッとグラフと式が一致するほど得意ではない。
「きれい、でしょ……? 星の軌道は、数字に落とし込める……ここ、から……占う、の」
なんと占いだった。まさかすぎる。占いなんて、もっと感覚的なものだと思っていたのに、数学が出てくるなんてびっくりだ。
「これ……あなた、よ」
「えっ?」
「分岐の、星……ほら、見て……」
示されたグラフは途中までなめらかな曲線を描いていたのに、突然折れ曲がっていた。リアラの白い指がそのラインをなぞる。ごくごくゆるやかな比例曲線が急に変化するところで、爪先が止まった。
「……一年、前」
「っ!」
思わず息をのむ。それはリィズが美花の記憶を取り戻したタイミングではないだろうか? あらぬ方向にまがった線から目が離せない。
「ここが、分岐点。……本当は、こちらへ行く、はず……だった」
リアラの指が、うすい線で書かれた本来の比例曲線をたどる。もしリィズがリィズのまま生きていたら、ということだろうか。しかしその比例曲線も、途中から急カーブを描く。おそらくそこが十七歳だろう。ゲームが始まるタイミングだ。
「……分岐した、だから交わったの……私たち、と」
次のグラフは線が三本。そのうち一本はリィズのものと同じ線だ。つまりもう二本は、サリアとリアラだろうか。とてもよく似たラインはよりそうように波打っている。もしリィズがリィズのままだったなら、線が重なることはないままだ。
しかしリィズの線が急に折れたせいで、ちょうど一箇所重なっている。どんな結果になるのかわからないが、リィズは自分の運命を捻じ曲げることに成功していたようだ。そのことに安心する反面、それを知られていることに不安を覚えた。
「そっそうなんですね。それにしても星の軌道なんて、どうやって見るんですか?」
つとめて明るい声で話題を変える。わざとらしさが隠しきれていないが、リアラは首をかしげて天井を見た。
「夜空を……見るの」
「……えっ?」
「……星が……見える」
「それはそうかもしれませんが」
「わかろうとしてもダメよリィズ。星が見えるからこそ、この子は占い師なんだから。魔力を通して夜空を見ると、わかるらしいわよ。特に見たいと思ってるひとの星、ちかしいひとの星はよく見えるんだって」
あたしにはわからないけど、と付け加えてサリアが肩をすくめる。
「この計算をしたときは、あたしたちの星に急速に近づいてくる予定外の星があるってあわててたのよ」
「……この入射角は、変化の印……はぁ、美しい……」
「でも計算が終わったとたん興奮して、どうやってもこの一瞬の交差点を逃しちゃいけない、って言われてね」
「それに、分岐してからの、このライン……めったに見ない曲線だわ……きれいね……」
ふたりの会話がまったく噛み合っていない。お互い自分の好きなことしかしゃべっていないせいだ。こういうマイペースなところが、この双子はよく似ている。
「ちなみに、これが魔力が大きい印なんですって。わけがわからないわよね」
サリアがとんとん、と叩いたグラフは徐々に色が変化する光の曲線にも見える。たしかに、わけがわからない。
「それから、これが住んでる場所だったかしら……?」
次のグラフは折れ線グラフに見える。大きく二回折れ曲がったあと、小さな逆V字ができていた。どうしてここからルビカーナに住んでいると割り出せたのか、ふしぎすぎる。
「……そろそろ、計算しなおさないと……」
不意にふらりとリアラが立ち上がって、本棚の向こうへ消えてしまった。
「昼間に寝て、夜は星を見てるのよ」
サリアの説明になるほど、とうなずく。そして目の前の紙をまとめると横へ片付けた。
星の動きとやらも計算結果も、グラフからなにを読み取れるかも、わからないことだらけだ。しかし自分に占いは無理そうだ、ということだけは理解できた。
そして今日、魔法理論を教えてもらうのは不可能だろうということも、わかった。
占いは、いい結果と信じたい結果だけ信じればいい派です。
なお、これで八歳は終わりです。
次から九歳ですが、数日お休みします。
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