気づいたら翌朝になっていた
起きたら昼だった。寝すぎたせいか、身体が硬い。ぐぐっと伸びをしてベッドをおりるが、フェンニスは出かけているようだ。机の上にはサンドイッチがひとつ、皿に乗せてあった。おそらく朝食用に買われたものだろう。
食べたが、パンはぱさぱさで具も渇いていた。サランラップがほしいが、高級品なので難民街では売っていない。それにしても、せめて濡れた布をかけるとかしてほしかった。我が父親ながら、気が回らなさすぎる。
水でどうにかそれを流し込むが、ぜんぜん足りない。仕方ないので、トマトのオイル漬けと保存用のハムでかんたんにパスタを作って食べた。
それから身支度を整えたら、まずは買い物だ。旅行へ出る前に、保存がきく食料品以外は使い切っている。ちなみに冷蔵庫は一応あるのだが、一日一回空気を冷やす魔法を使う必要があるので、旅行期間中はただの箱だった。中は当然空だ。
帝都に比べると、難民街での買い物は圧倒的に安い。おかげでつい買いすぎそうになったが、どうにか帰宅。そして夕飯を作り始める。今日のメニューは日持ちしない野菜とトマトのオイル漬けをまとめて煮込んだものと、安い肉を焼いただけのものだ。野菜煮込みは余るので、今後一週間の常備菜となる。
野菜を煮込んでいる間に、置きっぱなしになっていた旅の荷物を片付けた。フェンニスの荷物も当然のように置きっぱなしで、それも片付けたのは言うまでもない。片付けられないというよりは、片付けはリィズがやるものと思っているのだろう。
たまった洗濯物は明日まとめてやることにして、フェンニスが帰ってくる前にお風呂に入った。ちなみにこの世界では風呂が一般的だ。水をくむのも水を温めるのも、魔法で行うので、入るまでが少し大変だが。
街の中は上下水道が整備されているし、水を適温に温める魔法道具も、シャワーの魔法道具も存在する。しかし難民街ではどちらも難しいので、風呂にならざるを得ない。村の家にはちゃんとシャワーの魔法道具があったが、持ち出せなかった。
「リィズ! 起きたのか。よかった……」
「おかえり、お父さん。心配かけてごめんね」
髪を乾かしている間に、フェンニスが帰ってきたので、肉を焼き始める。塩胡椒だけのかんたんなものだが、お高い調味料などこの家にはない。
「いきなり魔力をたくさん使ったせいで、疲れたんだろう? 慣れるしかないって言ってたぞ」
「そうなの……?」
どちらかというと、足から魔力を流す練習で疲れ果てた気がするのだが。違ったのだろうか。疑問に思うが、サリアがフェンニスにした説明を否定するのもめんどうだ。
「そういえば、サリアさんから伝言を預かってる」
「伝言?」
「えーと、魔力操作の練習は毎日すること、無理はしないように、初出勤の前日にまた来る……だったか」
「えっ今日練習してないよ?!」
「夕飯のあとにすればいいだろう」
それで間に合うだろうか。あんなに時間がかかったのに。しかも今日はサリアの手助けがない。心配になるが、それより前に夕飯だ。
野菜のごった煮、焼いただけの肉、買ってきたパンというメニューは特別おいしいわけではない。フェンニスはおいしいと言っているが、リィズとしては食べられないことはない程度だ。美花のときはほとんど自炊しなかったから知らなかったのだが、自分で作った料理というのは、どうにも味気ない。
とりとめのない会話をしながらの夕食が終わると、フェンニスはチェス盤を引っ張り出してベッドの上に座り込んだ。それを横目に見ながらリィズは片付けを済ませる。フェンニスは料理にも片付けにも礼を言ってくれるが、手伝ってくれることはない。
たぶん家事は基本的に女がするものという認識なのだろう。リィズがやることが当たり前という顔で、それに疑問すら持っていなさそうだ。リィズの母親が亡くなったあと、村を出るまでは最低限やっていたはずなのだが。
村を出て街の周囲に住み着いてからは、テント内にほか家族がいて、そのなかの女性たちがやってくれていた。リィズがその女性たちから家事を教えてもらってからは、リィズがやるようになっている。
そのことに今までリィズは疑問を抱いていなかった。フェンニスが仕事をしているから、リィズが家事をやればいい、くらいの認識だ。テント内でも難民街でも、まだ子どものリィズが家事をすることを、だれもが当たり前だと思っている。
ほかの子どもたちは遊んでいるか、多少勉強しているかのどちらかなのに。リィズがかわいそうだというひとはたいてい、フェンニスに嫁を取ることを勧める。フェンニスがやればいいなんて、だれも言わない。
そのことが当然すぎたけれど、サリアに会って長々と愚痴を聞いた今は、認識の歪みを感じざるを得なかった。日本で独身貴族を謳歌していた美花でさえ、リィズとしては女が家事をするべき、という価値観を刷り込まれていた。仕事をやめて家庭に入ってほしいという恋人をふった経験すら美花にはあるのに、だ。
たぶんリィズが仕事を理由に家事をしなくなったら、フェンニスは言うだろう。仕事はほどほどにすればいい、と。そして家にいればいいと言うに違いない。
わざわざ外に出るのは危ないとか、仕事に力を入れなくても自分が養うから問題ないとか、そういう「いかにもリィズのためを思って言っているんだ」という雰囲気を出してくるのが予想できた。フェンニスもまた、その価値観で育ち今まで生きているのだ。違う考えがあるなんて、思いもしないだろう。
フェンニスが再婚しないのは、なにも亡くなったマリィに未練があるからではない。ただ「リィズが家を守ってくれるから」という理由からだ。結婚は手間だし金もかかるし、扶養が増えることでもあるので、わざわざする必要がない。
片付けを終えて、チェス盤を睨んでいるフェンニスを見る。よれた服を着たどこにでもいるおじさんだ。美花としての記憶を取り戻した直後は違和感のあった、その頭についた兎耳も、今は見慣れている。
リィズには優しく、頼りないけど頼れる父親。でも、よくも悪くも、この世界この国に生きる男性。リィズは今でこそ、好き勝手を許されている。しかし家事を放棄しても、わがままを許してもらえるだろうか?
フェンニスは見られていることに気づかず、チェス盤の上で駒を動かしている。ちなみにチェス盤といっても、少し分厚い木の板で作った手製のもので、駒も同じく木片に役割を書き込んだだけのものである。低所得層に広がる金のかからない趣味のひとつだ。
高所得者の趣味にどんなものがあるかは、よく知らないが。でもゲーム内では、魔法道具らしいゲーム機を手にしたオタク系女子もキャラクターに存在した。高価な魔法道具を趣味にするのは、きっと高所得者にしかできないだろう。
そんなことを考えながら、風呂場へと向かう。風呂に入るためではない。魔力操作の練習をするためだ。ただ魔力を流すだけより、目的を持って魔力を使ったほうがやりやすい気がする。
風呂場兼洗濯場兼トイレには、リィズなりに作った排水用の穴がある。魔法でひたすら地面を深く掘ったもので、生まれた村に整備されていた下水処理をまねたものだ。村では汚物は別のところにまとめて捨てて肥料にしていたが、今は汚物もまとめて流している。
水はけのいい地層まで掘るのはかなり大変だった。確認するには中に入ってみるしかなく、そのせいで穴はけっこう広い。ほかの家がどうしてるのかは知らないが、衛生観念がしっかりした世界なので、道端に汚物がころがっているようなことはない。
穴には木製のすのこが乗せてあるので、その上に立つ。下から排泄物の臭いがのぼってくるのに顔をしかめつつ、まずは空気をきれいにする魔法を足元へ向かって……使えなかった。やはり足から魔力を流すというのが、よくわからない。
結局すぐに臭くて集中できなくなり、手をすのこにあてて魔法を使ってしまった。次は壁についた汚れを落とす魔法を、今度こそ足から魔力を流してやろうとする。
「……リィズ? なにしてるんだ?」
うんうんうなっていたら、トイレを使いにきたらしいフェンニスに声をかけられた。
「魔力操作の練習してるの」
「そんなところでか?」
「ここが一番やりやすそうだと思ったんだけど……」
「そういうもんか?」
「うん、使う?」
「悪いな」
「ううん」
部屋にもどるとベッドへ寝転ぶ。ずっと集中していたので、少し頭がくらくらした。
そもそも体内の魔力の流れをうまく感じられないのがいけない気がする。なんとなく流れているのはわかるのだが、とどこおっていると言われても、よくわからない。
呪文を唱えると手先から魔力が流れていくので、手から魔力を流すのはわかりやすいのだが。手首から手前はとたんに感覚が曖昧になる。まずはそこから流れをたどれるようにするのはどうだろう。そう考えて目を閉じて集中する。
……そして、気づいたら翌朝になっていた。寝てしまったらしい。




