私、色覚異常です。
私、色覚異常です。
私、
色覚異常ですから!!
ふぅ。言えた。
言ってやったぜ。
いえいえ。たいした程のことじゃないんです。
異常というほどの異常じゃないし、悩みというほどの悩みもない。
言うほどのことでもないから言ってこなかっただけで。
なろうに投稿をするようになって、恥が薄れてきたのかもしれないけど、最近、周りの人に言ってまわっているところです。幼い頃からの友人もちょっと驚いていました。
色の識別が普通じゃないみたいなんです。視えてる色が、何色かというのがよく分かっていないらしいです。
らしい、としか言えないんですよね。人がどう視えてるかなんて知りようがないじゃないですか。
とはいっても生活にはほとんど支障はないです。自分的には何も困ってないと言っていいくらい。
ただ、人とのやり取りで、相手を困惑させたり、または自分が恥をかいたり、劣等感を感じたりすることがある。
そうだ。長年ためこんでいたのは、この劣等感だ。
例えば、会議などの時だ。用意した資料をメンバーに見せて、私が説明をする。
「このグラフの中のピンク色の線を見てくだい」
グラフの中には、いくつか線があって、私はそのうちの1つを指定したいのだが、、
「ん? ん? ピンク色ってどれ?」
と、会議のメンバーが眉を寄せて、私を問い質してくる。私は、ああ、あれか、めんどくせえなと思いつつも、持ち前の愛嬌で応対してあげるわけよ。
「あ、はい、この線です。これです。これ」
「んん? これ紫だろ? どうみても紫だろ?」
私にはピンクだろうが紫だろうがどっちでもよいのだが、貴殿が紫というならそれもよかろう。
認めよう。
「あそうですね、紫です。はい、で、この紫の線なんですが、」
「いやこれ紫だよな?! ピンクじゃないぞこれ! 紫にしか見えないぞこれ!」
と追求が始まります。私にしたら、マッコットにどっちゃでもいいことなのだ。追求するほどの不都合など何も感じちゃいないのである。さらっと流したいので、
「ええ。ピンクじゃないです。で、この紫の線なんですが、」
もちろん脳裏では黒い呪文を唱えはしながらも、こんなことで私が愛嬌満面の仮面をはがすことなどない。
「紫ね。これね。紫、紫。うん、はいはい……」
追求していた彼はやや納得のいかない表情を残しつつも、ようやく私の話に聞き入るのであった。。
とまあ、こんな感じのことが起こります。
ちょっと精神ダメージを受けるんですが、コミュニケーションで対応できるレベルのことなんです。
ちなみに相手から紫色の線を見てくださいと説明を受けたとき、その場合の私は、これは紫なんだなとすぐに把握して、スムーズに対応できます。
だから、不都合といえば相手の反応だけなんですね。
私の色覚について、より詳しく説明してみます。
色と色の境目が分からないということはありません。色と色が違うことは分かります。街にある、彩色された看板などで字が読めないなんて経験もないです。
ただ、この色は何色か?と問われたら厳しいことがままあります。
より具体的には、
紫色の系統は特にあやしい。青寄りか赤寄りかが分かってない。薄い紫だと、ピンクとか、グレイとか言っちゃうときがあります。
緑色もあやしいです。緑、深い赤、茶色、これらが似たようなものに視えている。ひとが言うには全然別物らしいですね。赤と緑が似てると言うと結構ヒかれる。。うっせえ。
黄色は好き。バナナとか蜜柑とか好き。パプリカは嫌い、苦いから。
色の違いなんてのは、私にとっては、例えて言うと、
そうですね。この作品がエッセイか随筆か小論かみたいなものです。
「これはエッセイじゃない!随筆だ!」って言われるようなものでして。あっそうですか、と。どうちゃうねん知らんがな、という感じ。「随筆に決まってんだろ」としつこく言うから、じゃああなたに合わせて随筆と呼びましょうと、そういう感じです。
言うなれば、私にとって赤色と緑色というのは、重なりを持った類似の概念のようなものです。くっきりと区別することに意味を見出だせないのです。(ちょっと大げさに言ってますよ)
色覚異常には、軽度・中度・重度の段階があるらしく、おそらく私の場合は軽度です。
生活に支障をきたしたり、就職に影響する中・重度の症状の方もいらっしゃいます。そちらに関する知識を私は全く持っておりません。この作品ではそちらは除外してお話しています。配慮が欠けている点がございましたらご指摘ねがいます。
私がこの色覚異常を初めて(ぼんやりとではあるが)知ったのは、小学校での視力検査のときでした。
色覚検査の項目でひっかかって、病院で再検査を受けさせられました。そして、その結果は「特に問題はない」。特に問題はない、それだけだったんです。
なんだったんだ?とは思いましたが、問題がないならそれはそれでよかった。だから何の問題も無いと信じてその後も過ごした。でもその時点で普通の色覚とは違っていたのだと思います。
たぶん生まれつきで、大人になってもずっと変わっていないと思います。子供のころと比べて色覚が成長したとも劣化したとも思うところは無いです。ずっと同じだったはずです。
それから時を経て、経験を重ねることで、少しずつ他人との違いを知っていきました。
いろんな人と関わることが多くなるにつれ、違いに出くわす場面が多くなりました。
他人と何かが違うだろうことは理解できました。でも、客観的には何も知り得なかった。どう違うかが分からない。私は違うんですと確信して言えることは何もなかったんです。小学校のときに検査でひっかかったことがある、たったそれだけだったんです。
そうやって、モヤッとしたもの募らせていきました。
そして最近のことです。
そんな積年のモヤッと感を払拭できないかと、私は眼科を訪ね、相談することにしました。そこであらためて色覚検査を受けることになりました。
いくつか検査があったのですが、一番キツかったのは、15個くらいの色の着いたパネルを赤から青まで順番に並べる検査でした。全然できなかった。悔しかったし、ショックでした。
検査の後、医者に検査結果を知らされます。こう言われました。
「正常とは言えませんが、問題ありません」
医者から伝えられたのはそれだけでした。小学校のときの記憶がよみがえります。またか、という気持ちです。私は非常に不満でした。
続けて医者とこんなやりとりをします。
「異常ですか」
「異常かと言われれば、異常、ですね」
「他人には何と説明したらよいか」
「そこはコミュニケーションで、そういう色覚だからと伝えてくだされば、よろしいかと」
「色覚異常と宣言してよいか」
「はい」
こういうやり取りでした。
検査結果を記した書類などは何も貰えませんでした。あれだけいろいろと検査をして、結果を書き記した情報は何も貰えなかったんです。
何が、どう、どのくらい異常なのか、何の説明も情報もくれないんです。
私は科学的に客観的に自分の状態が知りたかった。他人に説明するために役立つからです。そして、それが自尊心を保つための手段になるからでもあります。
どうやら、お医者さんが興味があるのは治療が必要かどうか、又は行政的・経済的な認定が必要かどうか、だけに興味があるようですね。それ以外は問題無しということのようです。それ以外の情報に意味が無いと考えているようです。
不満です。
さて、とにかく。今回の診断を整理すると、
私は軽度な色覚異常だということでしょう。重度の異常ではないと、そういう診断なんだと思います。がしかし証明するものは何もないです。
このような、問題はないが異常だというこの状態を私は知って欲しいと思うのです。しかもそれは本人は客観的に知ることが難しいのです。そういう色覚異常の性質をお伝えできたなら幸いです。
このエッセイのまとめをします。
・色覚異常を知って欲しかった。それが一番です。
・お医者さんには、具体的な診断をしてほしい。
あと一つだけ付け加えておきます。
この話って社会制度の問題になっていきがちなんですけど。私もこの芸術家が集まる場に来てる人間なので、とやかく言いたくないですし。むしろ警戒しています。
誰か他人の色使いをとやかく言いたくはないです。たとえビジネスの場面でも、自由に描いてほしいです。
長くなりました。お付き合いありがとうございました。
近年は、多様性の象徴として「カラフル」という言葉やイメージが使われていますね。
ならば私からは、「色を区別しない見方がありますよ」と言っておきましょう。
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