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斬貂蝉  作者: 青星明良
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伝承

 伝承が、ある。


 後漢桓帝(かんてい)延熹えんき年間。河東郡かとうぐん解県かいけんの小さな寺に、囲碁好きの和尚がいた。


 この和尚の元に、美しい髭をたくわえた偉丈夫が、ある日訪ねて来た。彼も碁を好むと言う。喜んだ和尚は、その男を歓迎し、早速二人で碁を打ち始めた。


 両者の実力は伯仲し、なかなか決着がつかない。朝から夕方まで碁を囲み、翌日、翌々日と勝負を持ち越しても対戦は続いた。結局、彼らの対局が終わったのは、一か月後だった。勝者は、美髭の男である。最後はあっ気ない幕引きで、和尚は些細ささいな不注意で負けた。


「……どうされた、和尚。今日は調子が悪かったのかな」


 男は豊かな髭を撫で、和尚に眼差しを向けた。よく見ると、その顔はずいぶんとやつれていている。


「実は……この二か月ほど雨が一滴も降らぬのです。このままでは作物が育たず、井戸の水も枯れ果ててしまう。村人たちが多く死ぬことでしょう。無力な拙僧は村のために何もすることができず、こうして現実から逃避して碁を打つのみ。拙僧がにえとなって死ねば、天帝が哀れんで干天の慈雨を降らせてくださるであろうか……と思い悩んでいた次第でして」


「およしなされ。天帝は、腐敗した漢朝のまつりごとをお嘆きなのだ。各地で起きている旱魃かんばつは、天上の神々の怒りそのもの。人間一人の命を犠牲にしたところで、どうにもならぬ。だが……」


 私ならば、この土地一帯に数日の雨を降らせることができるであろう――美髭の男は意外なことを口にした。驚いた和尚は「あなたは……何者ですか」と問い、男を凝視みつめた。


 彼は、この日照りが天上の最高神たる天帝が人々に下した懲罰だと言っておきながら、その天意に数日逆らえると断言したのだ。それが口先のげんでないとすれば、常人とは思えない。


 美髭の男はしばし黙していたが、やがて「我は……」と言い、おもむろに立ち上がった。


「我は、南海龍王なんかいりゅうおうなり」


 男は堂の外に出ると、一朶いちだの雲も無い蒼天を険しい顔で睨みながら、そう名乗った。


 和尚は腰を抜かし、「ひえっ。り、り、龍王様……!」と素っとん狂な声を上げる。


 南海龍王といえば、四海を司る龍神の一人ではないか。龍神を怒らせれば、町の一つや二つ、洪水で地図から消されるという。そんな恐ろしい御方と碁を打っていたとは……。


「和尚よ、そんなに恐れなくてもいい。私は無辜むこの民たちを救いたいと思っているのだ。政治を乱した為政者どもの罪を民衆にあがなわせようとする天帝のお考えは間違っている」


「さ、されど、天帝に背いたら貴方様は……」


「まあ、斬首になるであろうな。しかし、それで良い。苦しむ民たちを見て見ぬふりして、龍王の玉座にとどまろうとは思わぬ。天帝に首をねられたら、人間にでも生まれ変わって、またこの村に遊びに来るさ。その時は、和尚。碁の再戦を願いたい」


 爽やかに破顔した後、男は長い髭を風になびかせながら、寺を去って行った。








 翌朝――。


 和尚が目を覚ますと、天は黒雲に覆われていた。

 たちまち猛烈な雨が降り出し、龍の咆哮のごとき雷鳴が山野に響き渡った。


「干上がりかけていた村の湖にも水が満ちておる。南海龍王様が助けてくださったのだ」


 寺の外に飛び出した和尚は、喜悦の声を上げていた。


 ふと耳を澄ますと、凄まじい雨音と雷声に混じって、赤ん坊の泣き声が聞こえる。まさかこんな大雨の日に誰かが赤子を捨てていったのか、と思った和尚は慌てて四方を見回した。


「あっ。あれは――」


 湖面から、赤い水が湧き出ている。赤ん坊は、その赤く染まった湖水の上で揺蕩たゆたっていた。あれはきっと南海龍王の血だ。天帝に処断されて、人間の子供に生まれ変わられたのだ。そう察した和尚は大急ぎで裸の赤ん坊を湖からすくい上げ、強く抱きしめた。


「この子は、必ずや幾万もの民衆を救う英雄に育つことであろう」


 和尚は、赤子をよしみのある鍛冶職人の夫婦に預け、大事に養育してくれるように頼んだ。


 この豪雨の日に拾われた子供こそが、後にしょく五虎大将軍ごこだいしょうぐん筆頭となる関羽であるという。

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