第十話 八
目覚めると、白く無機質な天井が、視界いっぱいに広がる。
何かの薬品の匂い。私は、仰向けでベッドの上。
「香楽! よかった。目が覚めて」
この声はお兄の声だ。私の顔を覗き込んで、涙ぐんでいる。
ここは一体?
「お兄。私、どうしたの?」
「空き教室の窓から、飛び降りたって聞いた。あ、看護師さん呼ばなきゃだった」
私の枕元にある何やらボタンを押し、私が目覚めたことを報せている。
ん? 看護師さん? だとしたら、ここは病院?
「ここ、病院?」
「そう。近くの緑山病院」
「そっか」
「何かあったのか? 学校で。虐められてたとか、そういう」
「何もないワケじゃないけど、私の彼氏だって、言われたり。言い寄られたり。ねぇ、お兄」
お兄は術師。空木君のことを知っているはず。
悪夢から覚めたのなら、空木朔君は、存在している。
「お兄は、空木朔君を、知ってるよね?」
すると、お兄の口から放たれた言葉を、私は信じたくなかった。
「うつぎさく? 誰だ、それ」
「私が、五行術師に誘った、望さんの弟だよ。望さんは、お兄の彼女でしょ?」
「のぞみ? 俺の彼女? 香楽、何があった? ごぎょーじゅつしってのも、何なんだ?」
嘘だよ。まだ悪夢は続いているの? 一体、どうしたら良いの? 誰か、助けて。お願い、空木君。
「失礼しまーす。お兄さん。先生が来ますから、廊下でお待ち頂けますか」
「はい。お願いします」
看護師さんが来て、お兄は廊下へ出てしまった。少しして、白衣を纏った女医さんが私の元へ。
「こんにちは。紫雲香楽さん。あ、もうこんばんはかな」
「こ、こんばんは」
消え入りそうな声って、この事なんだろうと、実感してしまう。
「うん。脈も安定してるし、血圧も良いね。気分はどう?」
「あまり良くはない。です。頭はボーッとしてます」
「そっか。目が覚めたばかりだもん。仕方ない」
飛び降りて、それからの事は、何も考えていなかった。あの時は、斉木君から逃げるのに必死で、何も。
「お兄さん、呼ぶね。良いかな?」
「はい」
軽く検査を受けて、女医さんと看護師さんが部屋から出ていくと、入れ代わるようにお兄が部屋へ。
「しばらく入院だってよ。夏休みに入るから、ある意味良かったのかもな」
「お店、手伝えない」
「そんなもん、俺ひとりでなんとかする」
「ひとりで? 風吹さんがいるでしょ?」
「ふぶき? まだ混乱してるんだな、きっと」
混乱はしてない。頭がボーッとするだけ。
空木君も風吹さんも、この世界には存在していない。ましてや、五行術師の家系のはずなのに、五行術師すら、この世界には存在していないらしい。
制服のスカートのポケットに、扇が無かった理由。それは恐らく、私が五行術師ではないということ。




