第十話 六
顔を近づけられたと思ったら、耳元で囁かれた。
その言葉の真意は不明だけど、斉木君が私の彼氏で、空木君を知らないなんて、あり得ない。
「おかしいよ、こんなの」
「何が? 何もおかしい事なんて、ないでしょ」
「貴方は、本当に斉木君なの?」
「俺は、俺だよ。香楽、今日はちょっと疲れてる? きっと、混乱してるんだ」
混乱なんてしてないのに、頭が冴えないのは確か。
いつもの斉木君だと思っていたのに、こんなのって。
「体に教えた方が、香楽には良いのかな?」
「やめて。斉木君」
「なら、名前で呼べよ。さっきみたいにさ」
逃げられないこの状況では、誰かを呼ぶしかない。
だけど、斉木君との距離が近すぎる。
「た、竜也君」
「なぁに?」
「七海さんのことは、いいの?」
「今は香楽が好きだからね。七海さんは、七海さんで幸せになって欲しいよ」
「そう。そろそろ離れて」
「やだ。離れたら、逃げるじゃん」
バレバレなのは、知ってる。どうしよう。動けないなら、何も出来ない。今はただ、視線を合わせないようにしなきゃ。
「ねぇ、香楽。こっち向いて」
「嫌だって言ったら?」
「無理やり向かせるかな。それが嫌なら、向いてよ」
「何がしたいの?」
「香楽を、俺だけのものにする。それだけ」
だからさ。と前置きして、斉木君は続ける。
「他の奴の事は考えないでさ、俺だけの事を考えてて」
「そんなの、出来るわけない」
「あー、もしかして、うつぎさく?」
「空木君は、関係ない」
「それなら、何でその名前を出した? 俺に嫉妬させたかった?」
「違う」
「それじゃあ、何で?」
「それは……」
何で即答出来ないんだろう。空木君は私の友人だし、一緒に術師として、霊魔と戦ってくれているのに。
「空木君、助けて……」
誰もいない、私たちの話し声だけが聞こえる、この空き教室。
今私が発した言葉は、斉木君に聞こえている。
「香楽。そんなに、そいつが良いならさ」
無理やり視線を合わせられ、顎をくいっと、上げられて。私の唇に重ねられた、斉木君の唇。
「……っ。ん」
息が出来ない程、決して短くない。離されたと思ったら、続けられた言葉。
「俺を選べよ。香楽」
「貴方は、斉木君じゃない。だから、選びたくない」
「今日の授業、全部サボっちゃおうか」
「え?」
「香楽は、何も分かってないからさ、全部教えてあげるよ」
視線は鋭いまま、斉木君は私を見続けてくる。
お願い、誰か。誰か助けて。
「教室に戻りたい」
「他の奴等がいるじゃん」
「チャイム、そろそろ鳴る頃だし」
「ふーん。まぁ、今日はサボるし、逃がすワケない」
もう、こうなったら、自力だ。
「私は戻るから!」
力強く、斉木君を突き放し、近くのスライドドアを開ける。
開ける、はずだった。




