80話
どれくらい走っただろうか。馬車に揺られながら、俺はぼーっと考える。
窓の外に流れる景色が、街から離れ、段々と木々が重なる森へと入っていって。しばらく森の中を走れば、馬車は少しづつ減速していった。
完全に停車すると、フィオネさんの声が外から聞こえる。
「さ、ついたよー!」
扉を開け、腰に下げた精剣と手に持ったぐるぐる巻のノトと一緒に、俺は馬車から外に出る。
柔らかい座席とはしばしのお別れだ。
「あれ?」
思わず、首を傾げた。
周りの景色は未だ森。緑に囲まれたこの場所には、いくら周りを見渡しても湖らしきものは見当たらない。
と、フィオネさんが草が剥げたようになっている道の先を指さして。
「この先に、件の湖があるはずだよ」
「あ、そうなんですね」
てっきり湖に直行するんだと思ってた。
けどまあ、冷静に考えたらそりゃそうか。馬車で直行して、降りた瞬間戦闘とかなったらたまったもんじゃないし。
思いつつ、俺は布の塊と化したノトをフィオネさんに手渡す。
「すいません、これ、お願いします」
「お、そうだった。りょーかい」
彼女は俺からそれを受け取ると、「案外重いな」なんて言いながら腕の中に抱えた。
作戦上、ノトは俺が持たずに、フィオネさんに預けることになっていた。勿論、中に何が入っているかは伝えていないし、絶対に開けないでくれとも言ってある。
今頃、ノトは何を考えているんだろうか。白百合達を見ていると、剣状態になっても周りの状況は分かるみたいだし、布でぐるぐる巻にされてるとはいえ声くらいは聞こえているはずだ。
ノトは、魔王と顔を合わせたことがない。それは能力の都合上仕方のないことだった。けど今回は、そんな都合を飛び越えて、もしかしたら相対することになるかもしれない。
昨日の話し合いを思い出して、少し心配になる。
「……大丈夫かな」
誰に言うでもなく、俺は一人呟く。
ノト、結構緊張してたんだよな。今回の戦いではノトが重要な役割を持っているから、何かあったらと思うと気が気でない。
……いや、落ち着け、俺。俺は深呼吸をして、一旦自分を落ち着かせる。
今更心配しても無駄だ。もうここまで来たのだから、とりあえずそういうのは置いておこう。
俺が考えるべきは、この先にいるかも知れない魔王との戦いを、しっかりと作戦通りに遂行することだけだ。無駄に緊張してたら、後々大変なことになるぞ……。
「準備はいいかな」
フィオネさんはいつもの調子で――けど、どこか硬いような雰囲気で、俺にそう声をかけてくる。
「大丈夫です」
「それじゃ、行こうか」
俺が頷くと、フィオネさんは先陣を切って歩き出した。俺も、その後に続いて歩く。
なんとなく、白百合の柄を触る。こうするとなんか落ち着くんだよな、何かあっても守ってくれるような気がして。
『マスター、大丈夫?』
そんな俺の様子に心配したのか、白百合はそう聞いてくる。
「ああ、大丈夫だよ」
『落ち着きなさいよ、マスター。大丈夫、きっとどうにかなるわ』
精剣とはいえ、女の子にここまで心配されてる俺情けなさすぎないか?
いやでも、今から向かう先には命のやり取りが待っているわけで。となれば、心配になるのもおかしくないだろう。そう思いたい。
そんなことを考えながらも、俺はフィオネさんを追って歩き続ける。
『マスターさん』
ふと。
アサツキさんが、呟くように俺の名を呼んだ。
『マスターさんは、魔王と戦うのは怖い?』
「そりゃ怖いですよ」
アサツキさんからの問いに、俺は即答する。
なにせ一回死にかけてるわけだからな、怖いのは当然ってもんだ。
答えを聞いて、何かが引っかかるのか。アサツキさんの声が、続いて脳内に響く。
『なら、なんで命を失う可能性を背負ってまで、魔王と戦うことにしたの? マスターさんがその気になれば、別にこの責務を追わなくてもいいのに』
「え? なんでって……」
『ずっと気になっていたの。マスターさんは、私達と先代のマスターの意思を継いでくれているけど、そこまでしてくれる理由はなんなのだろうって』
聞かれて、考えてみる。
そうして少しばかり思考を続けて。ふと俺は、自身に対しての疑問が芽生える。
「……それは」
言葉に詰まった。
明確な答えが見つからなかったからだ。
『答えづらい質問だったら、無理に口に出さなくてもいいの。ごめんなさいね、大事な戦いの前なのに余計なこと聞いて』
「いや、それは全然大丈夫です。大丈夫なんですけど……」
答えつつ、考える。
なんで俺はここまでしているのだろうか。
考えても、はっきりとこれだというような理由は見当たらない気がした。言うなれば、流れみたいなものも大きいのかもしれない。
思えば、白百合のためになにかやってあげようと思って、精剣を探し始めたのが始まりだった。けど気がつけばリオやアサツキさんと出会って、魔王と戦ってて。色々なことが立て続けに起きすぎて、そんな疑いを持つ暇も無かったように思う。
けど、そんな風に考える自分に対して、流れだけで命までかけれるか? みたいに疑ってしまったりして。
アサツキさんが気になるのも納得だ。俺自身、同じ状況に置かれた人を見たらそう思うだろう。
「…………」
前マスターから白百合を受け取ったとはいえ、所詮は赤の他人でしかないのに。
なぜ俺は、命を懸けているのだろう。どうして、それを戦い抜きたいと思っているのだろう。
「お話はそこまでにして」
だが、それに答えを出せるだけの時間は無かった。
前を歩いていたフィオネさんが振り返って、俺にそう告げる。
「この先、少し進めば湖に着く。戦う用意は怠らないでね」
とりあえず、この疑問は後回しだ。今は目の前のことに集中しないと。
俺は左手で白百合の柄を掴むと、そのまま鞘から抜き去る。晒された白銀の刀身が、木々の隙間から差し込む日光を反射して綺麗に光った。
同時にリオも鞘から抜くと、そのまま右手で構えた。リオは詠唱をすることで炎を纏わせられるが、状況的にそれはまだ早いだろう。
燃える剣ってめっちゃ目立つし、もしかしたら場所がバレたりするかもしれない。直前になって能力を使えばそれで十分だ。
「はい、大丈夫です」
「よし、それじゃ行こうか」
ごくりと、俺は唾を飲む。
落ち着け、俺。もうここまで来たんだ、緊張したって仕方ない。やるべきことをやって、そして、無事に帰ろう。
剣を持つ手に一層強く力を込めて。
俺は、フィオネさんと共に歩き出した。




