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婚約破棄を宣告された公爵令嬢は猶予をもらった。

作者: 見丘ユタ

「ミリーナ・エルフィン。君との婚約解消を願いたい」


 ケイン・ニル・トールテン王太子は緊張した面持ちで公爵令嬢、ミリーナに言い放った。


 金髪碧眼、男性とは思えないほど白く透き通った肌に、全身白のスーツを着こなせる痩身。下手な宝飾品などつけなくても人目を引く外見だが、唯一欠点があるとするならそれは多少の優柔不断さがあるところだ。


 そんな彼の急な婚約破棄の申し出に、ミリーナはやや困惑気味に眉を顰めた。


「……理由をお聞かせ願えますか?」


「え、っと、その……」


 彼女の声色に若干の怒りを感じたのか、ケインはしどろもどろになる。


 目は泳ぎ大量の冷や汗をかき、まともな音声を発しない婚約者に、ミリーナは心の底から何かがサーっと冷めていくのを感じた。


 というのも、ケインは剣術、ミリーナは花嫁修行を、それぞれ名門と呼ばれる厳しい施設で勉強していた。


 そのたまの休みに城に呼びつけられ婚約破棄を言い渡されたのだ。


 その上理由も明確に述べられない王太子の情けない姿を見せられたのでは、愛も情も枯れ果ててしまうのは仕方がないだろう。


「ケイン様ぁ、はっきり言っちゃってくださいよぉ」


 甘ったるい猫撫で声と共に、不躾に扉が開け放たれた。


「カ、カエデ!? どうしてここに!」


「ケイン様がぁ、今日やーっと婚約破棄するっていうからぁ、気になって見にきちゃった」


 ねっとりとした口調の猫撫で声の主、カエデが体をくねらせてケインにすり寄っていく。


 カエデが動くたびにふわりと香る香水が、ケインの鼻腔(びこう)をくすぐった。


 ミリーナはその光景をただただ驚きの表情で見つめていた。


 花嫁修行中の婚約破棄、それを立ち聞きしていた者や立ち聞きを許した者がいるという警備の緩さに、もはや怒髪天をつく勢いだったミリーナの怒りは、カエデの登場で一瞬だけ忘れ去られた。


 不躾な登場の仕方だったからではない。


 カエデが異世界から呼び出された聖女だからでもない。


 ケインは気を取り直すように咳払いを一つするとこう告げた。


「申し訳ない。僕は……君のような細身の女性よりぽっちゃりが好きなんだ」


 そう、カエデはぽっちゃり、それもかなりのぽっちゃり体型だった。


 聖女が召喚されたという噂は聞いていたが、実際見るのは初めてだったミリーナは、その体型に驚いたのだ。


 ミリーナと同じくらいの背に対して体積はおよそ2倍ほど。コルセットを巻いてはいるが、覆いきれない肉がはみ出しているのが赤色の派手なドレス越しにわかる。


 栗色の髪を後ろでまとめてアップにしてるためか、顔のむっちりさが前面に出てしまっているが本人は気にしたそぶりもない。


 体をしきりにくねらせているが、ぜい肉が小刻みにブルブル揺れてるだけだ。


 対するミリーナは、慎ましやかな胸元に、鎖骨が浮き出るほどの痩せ型だ。腰まで伸びた青色の艶やかな髪に瞳と合わせた藍のワンピースを身に(まと)っている。


 ワンピースの肩口から伸びた傷ひとつないほっそりとした腕が、次第に震え始めた。


「……では、婚約破棄という結論に至る前に、そうおっしゃっていただくことはできませんでしたか? 私の好みに合うように太れ、と」


「いや、それは……」


「ケイン様はぁ、早く婚約破棄してあげた方があなたに次の婚約者が早く決まると思ってぇ、婚約破棄してあげたんですぅ。よね? ケイン様」


「そ、そうだ」


 むちっとした腕をケインの細腕に絡ませるカエデ。その感触に、ケインはほんの少し顔をニヤつかせた。


 そのだらしがない表情から視線をそらしたミリーナは、少々の沈黙の後何かを決意したようにため息をついた。


「わかりました。婚約破棄受け入れさせていただきます……ただし、条件があります」


 わっと喜びかけたケインとカエデは、顔を見合わせた。


「条件ってなぁに?」


 自信たっぷりに聞いたカエデには一切視線を向けず、ミリーナは淡々と条件を提示した。


「それは、カエデ様と私、体重の重い方と結婚するということです。もちろん今のままでは結果は火を見るより明らかなので、期限を設けることが前提ですが」


「は? それってもしあなたが私より太ったら、彼の気持ち無視して結婚することになるじゃない!」


「それでは!」


 抗議の声を上げたカエデを()めつけるようにミリーナは凄んだ。


「現婚約者の気持ちを無視して一方的に婚約破棄していい理由になりますか?」


 ミリーナのあまりの剣幕にカエデは黙り込んだ。


 下を向いたミリーナは、つぶやいた。


「……それにこれは王太子の婚約者としての意地と、最後のお願いです」


 しおらしく最後のお願い、とまで言われたケインは悩みに悩んだ挙句、折れた。


「わかった。期限は100日後……夏の長期休みの最終日にしよう」








 それから80日後。


 ケインは後悔していた。


 それでも最初の20日間は平和だったのだ。100日ではあのミリーナは自分を超えることはできないと、カエデもケインもタカを括っていた。


 その翌日に、ミリーナがカエデよりほんの少し小さいサイズの特注ドレスを注文したと、王室御用達の仕立て屋から聞かされた。


 カエデは焦った。約20日で自分に迫る体格になったことに恐怖した。


 焦った彼女は食事量を2倍に増やした。


 食事量を増やした成果は次第に出始め、体をくねらせるとぶるぶると揺れていたぜい肉は、立って息をしてるだけでもぶるぶる震えるようになった。


 ケインも流石に不味いと感じた。


 自分は王太子だ。未来の国王でもある。


 国王の隣に、立つだけでぶるぶる震えている王妃がいては国民にも対外的にも示しがつかないのではないか、と。


「もうこのくらいで十分じゃないか? ミリーナもここまでは太らないだろう」


 やんわりと止めると、カエデは手にしたポテトフライを口に運びながら答えた。


「そうねぇ。じゃあ明日からはぁ、少し食べ物減らそかなぁ」


 そんな話をした2日後、今度は王室御用達の宝飾品店から、ケインの胴が入るほどの特注ブレスレットを注文されたという情報が舞い込んできた。


 もちろん、注文者はミリーナだ。


 それを聞いたカエデは、自分の腕の太さを測った。そしてケインの太腿(ふともも)ほどの太さだったことに発狂した。


 カエデは食事量を更に3倍、4倍に増やしていった。それに飽き足らず、食事回数も5、6、7……と増やし続けた。


 その間も、ミリーナの特注品の注文は続いた。


 もうそのくらいで、とケインが止めても、彼女はまだまだ、と血走った眼で彼を制する。


 そして80日後の今、彼女はベッドから自力で起き上がれなくなった。


 起き上がれない彼女は、事あるごとにケインを呼びつけた。


 異世界の聖女であり婚約者となりうる存在だからか、兵も侍女もケインもそして国王も、カエデのことを邪険にはできなかった。


 ケインが好きだったむちっとした感触はもはや無く、ベッド上にでろん、と垂れたぜい肉たちは、もはや太ったのか浮腫(むく)んでいるのかすら分からない。


 カエデの側に寄るとほのかに香っていた香水も、終始発汗しているせいで効果が全く無い。その代わりに汗の酸っぱい臭いが漂ってくるようになった。


 彼が好ましいと感じていた屈託のない笑顔も、ネチャッという擬音が似合うようになってしまった。


 可愛かった甘ったるい猫撫で声や間延びした喋り方も、公務で忙しい中どうでも良いことで頻繁に呼びつけられ、心底イライラする声に変わった。


 もはやカエデに対する愛情はなかった。


 それでもここまで耐えることができたのは、あと20日で解放されるからだ。


 ミリーナの特注品を見る限り、その額はそれほどでないにしても、現在のカエデを遥かに上回る体型をしていることが予想できた。


 たとえカエデより太ってしまっていても、礼節を(わきま)え、厳しい花嫁修行にも耐え、自分が他の女によそ見をしても必死に縋ってくれるミリーナは、彼の理想の婚約者像そのものだった。


 誠意を以て謝れば、彼女ならばきっと許してくれるに違いないという自信がケインの中にはあった。


「動けないなら聖女としての勤めもこなせませんし、もし婚約者になれなかったら異世界に帰ってもらいましょう」


 と国王にも手回ししたケインは、指折り数えて長期休みの最終日を待った。







 運命の100日目。


 カエデの居室で、ケインはあんぐりと口を開けていた。


 彼の目の前にはよく知っている2人の女性がいた。


 1人はこれでもかというほど太り、肉肉しくなったカエデ。


 そしてもう1人は──。


「測るまでもなく一目瞭然ですわね……残念ですが婚約破棄、受け入れさせていただきます。ケイン様、カエデ様とどうか末長くお幸せに……っ」


 目元をハンカチで押さえ、ミリーナはその場を走り去ろうとした。


 脇をすり抜けようとするミリーナにハッとしたケインは、彼女の腕を取った。


「ちょっ、ちょっと待った! ミリーナ、君……全然太ってないじゃないか」


 そう。ミリーナは太ってなかった。


 それどころか100日前と全く体型が変わってなかったのだ。瞳に合わせた藍のワンピースすら同じだった。


 ケインの言葉に、ミリーナは困ったような表情を浮かべた。


「そうなんです。一生懸命食べたんですけど、全く変わらなくて……でもこれで、ケイン様は愛するカエデ様とご結婚できるんですもの……私の努力などお二人の愛には届かないほどちっぽけだった、ということでしょうね」


 声を震わせるミリーナに、ケインはいたたまれなくなった。


 やがて意を決したように、その場に跪いた。


「違うんだ。気付いたんだ。僕が好きなのは……ミリーナ、君だってことに」


 ミリーナはまぁ、と口元を押さえた。カエデが何やら喚いているが、そんなことはお構いなしにケインは続けた。


「君は僕が婚約破棄だなんて世迷いごとを言い出しても、必死に引き留めようとしてくれただろう? あれほど必死な君を僕は初めて見たんだ。この100日間、君の勇姿を思い返してばかりいた。そして気付いたんだ。君こそが真実の愛を与えてくれる人だと……」


 その後もケインによる口上(こうじょう)が続いた。


 口元を押さえて聞いていたミリーナが低く小さな声で「なにを世迷い言を」と呟くと、その口上は止まった。


「ん? 何か言ったか?」


「いいえ、何も。……ケイン様、何か勘違いされているようですが、私は条件を達成できませんでした。婚約破棄は決定ということでよろしいですわね?」


 ミリーナが笑顔で聞くと、ケインは急いた様に彼女の両腕を掴んだ。


「だからそれは撤回で、僕が好きなのは君だから」


「ご冗談を」


 ミリーナは笑顔でピシャリと言った。彼の両手を振り解き、去り際に彼女は虫けらを見るような視線をケインに向けた。


「私はあなたの好きなぽっちゃりではありませんので」


 呆然とするケインにそう言い放つと、静かに扉を閉じた。








 それから数年後。


 王太子としての資質を問われたケインは弟にその座を譲り、国を出奔した。


 出奔する必要はなかったのだが、カエデに結婚を迫られたため出て行かざるを得なかったようだ。


 その後を知るものは誰もいないが、女人禁制のパーティに彼に似た剣士がいるとかいないとか。


 カエデもまた聖女としての活動が不可能なため異世界へ帰された。


 一度肥大化した食欲はなかなか元に戻らなかったらしく、帰るその日まで「もっとご飯食べさせてよぉ!」と喚いていた。


 もっとも「聖女としての勤めを果たさない彼女に食わせる飯はない」と国王が最低限の食事しか認めなかったのだが。


 カエデの帰還後、新たに異世界の聖女を召喚したが、王侯貴族に安易に取り入らないように修道院預かりになっている。


 ミリーナは隣国の第3王子と結婚した。


 なぜ隣国の王族と、どのように結婚に至ったか。


 それはあの100日間にあった。


 女に浮かれるケインの無様な姿に愛想の尽きたミリーナには、太るつもりも更々なかった。


 ケインに言った言葉に嘘はない。一生懸命いつも通りの生活を送りいつも通りの食事も食べたが、太れなかった。ただそれだけのことだ。


 ただ彼女は王太子の婚約者として、必死に足掻いたがダメだった、という実績が欲しかっただけなのだ。


 それでも100日の間にできることはやっておこうと彼女が最初に作った特注ドレスは、実は隣国に嫁いだ叔母への贈り物であった。


 ドレスには一通の手紙を添えた。


 公爵家に嫁いだ心身ともにおおらかな叔母は、王太子に一方的に婚約破棄されたと書かれた手紙を読んで珍しく激怒した。


 そしてそれとなく第3王子の元に嫁ぐ予定だった婚約者が急死し、現在婚約者がいないことをミリーナへの手紙にしたためた。


 次の特注ブレスレットは国王への贈り物だった。正確には国王の飼い犬の首輪として、だが。


 これもまた、ケインから婚約破棄を打診された旨が書かれた手紙を添えた。


 何度諌めてもやりたい放題な聖女と、何度尻を叩いても自覚の足りない王太子に頭を悩ませていた国王は、ケインの廃嫡を決意し、ミリーナへは最大の援助と配慮をすると約束した。


 国王という後ろ盾ができたところで、ミリーナは隣国の第3王子と会う機会を作ってほしいと国王に願い出た。


 そうして第3王子と出会うことができたのが期日まであと50日、というところ。


 その後に作らせた特注品は全て第3王子への贈り物である。


 が、第3王子は巨漢ではない。


 テイマーとして資質が高い第3王子の趣味は、テイムしたモンスターたちの着せ替えだった。


 着せ替えといっても防具を兼ねるものがほとんどで、国防の一部を担っていることもあり実利を兼ねているという。


 何を隠そう、ミリーナの贈り物はモンスターたちに贈られたものだったりする。


 もっとも、叔母や国王からの助言で第3王子のことを知り尽くしていた彼女は、彼の趣味に合った贈り物をしていただけだ。


 ミリーナにとってはただの贈り物だが、第3王子にとっては婚約者を失った悲しみを埋めるには十分だったらしい。


 ミリーナがケインと婚約破棄寸前と知った第3王子もまた、運命の100日目を待っていた。


 その頃にはミリーナは王室御用達の店から魔法具や防具を取り扱う店に発注を切り替えていた。王室御用達の店では第3王子の趣味に合うものは作れないと気付いたからだ。


 しかしミリーナに関する情報に敏感になっていたケインとカエデは、その贈り物全てをミリーナが身につけるものだとたまたま勝手に勘違いした。


 最初にいつもの馴染みの店でなくケインに情報を流すだろう王室御用達の店で注文したのも、気分転換になると考えたミリーナがたまたま変えただけだ。


 国王の飼い犬の首輪を特注ブレスレットと言って注文したのも──。


「そう……全部偶然の産物ですわ」


「ミリーナ、何か言ったかい?」


 小さく呟いたミリーナに第3王子が声をかけた。


「いいえ。今日の風は少し強いですわね」


「ははっ。おかげでこいつも喜んでるよ」


 そう言って彼は飛竜の首を軽く撫でた。


 彼らは今、飛竜に乗って領内の見回りをしている。


 風のおかげで普段より声を張って会話しなければならないが、公務で忙しい王子とミリーナにとって、2人でいられる幸せな時間だ。


 防具で固められた飛竜の尻尾には、可愛らしい藍色リボンが付けられている。ミリーナが考案した特殊効果のある装飾だ。


「そうですわ。今度は魔力を上げるカチューシャを作ってみては? 耐久力を上げるパニエもいいわね。素早さを上げるブーツはどうかしら?」


「はっはっは。本当にミリーナはモンスターのことが好きだなぁ」


「あら、私はあなたが好きですもの。あなたの好きなものはみんな好きですわ。自分とは姿形、思考や信条が違っても、愛する人が愛したものは全て愛したいですわ」


 あれこれと防具を提案する2人を乗せて、飛竜はどこまでも高く遠くへ飛んでいくのだった。


 ミリーナは「大きな魔物たちの防具開発において優れた才能を発揮した小さな妃」として、100年先まで語り継がれたそうな。

続きません。

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