出会い(1)
「やっちまったー!」
家に帰って『OKIYA』と自分の名前が書かれた部屋に入るなり、荷物を放り投げて正面からベッドに倒れ込んだ。
何であんなことを言ったのだろう。
今まで俺はあんな言葉を、口にしたことはなかった。
翔太は、俺が最近辞めたバスケ部の後輩だった。俺が辞めてからも、機会があれば話す程度には、仲は良い。嫌いでも、ない。
しかし、あの言葉を聞いた途端、頭はカッと熱くなり、言ったこともない言葉が口から出た。
学校から帰る途中、俺は図書室で本を読んでいて、翔太が部活から帰る時間に蜂会った。
豊中バスケ部は、バカ話が好きな騒がしい人間が多く、大勢で騒ぐのがあまり好きでない俺と翔太は、比較的話すようになった。
いつも通り、バスケ部に戻って来ないのかという軽い誘いのようなものから始まり、後はお互いの最近あったことの話をして、道が分かれるところでさよならをする。
俺が退部してからは、下校途中の俺と翔太の話は、そんな軽いものだった。
しかし今日、翔太は分かれ道で、俺を引き止めた。
「俺、珠子に告ろうかと思うんです。先輩、仲良いですよね? 協力してくれませんか?」
最初、予想外の言葉を頭の中で咀嚼しなければならなかった。理解したかと思えば、頭が熱くなりーー、
「殺してやろうか」
口に出していた。
翔太には、予想していなかった言葉だったのだろう。ついさっきの俺と同じように、驚いた顔でこちらを見ていた。
その翔太に黙って近づいて右手を伸ばし、首を絞めた。
「ーーぁ、く」
翔太は、俺を怯えた目で見ながら、うめき声を上げる。
「いいか。次、似たようなことを言ってみろ。本当に殺す。あいつはーー」
首を絞めていた右手を下に放るようにして、翔太を地面に転ばせた。そして、顔を蹴る。
「あいつは、俺のものだ」
言って、踵を返した。十歩を過ぎたところで、我に返る。
ーーあれ、今、何した? 人の首を絞めて蹴った?
組み手以外では人を殴ったこともない俺が、そんなことをしたとは思えなかった。しかし、まだ右足には顔を蹴った感触が残っている。
混乱したまま歩き続け、途中で恥ずかしさのような感情に襲われながら、三分程度で家に着いた。台所で夕飯を作る母に、玄関からただいまと声をかけ、階段を上って二階の自室に入った。
そして、今に至る。
え? え? え?
頭には次々と疑問が浮かぶ。なぜ、突然暴力的な言葉を自分が吐いてしまったのか、しかも、行動まで暴力的になってしまうことなんて、有り得るのか。なんで今まで考えたこともなかった言葉がスラスラと出てきてしまったのか。
そもそも俺は、珠子のことが好きだったのか?
……いや、まぁ、言ってからわかったのだが、俺は珠子のことが好きだったのだ。自覚もしていなかったが、言ってみれば、確かに俺は、珠子のことが好きなのだ。
ーー明里珠子は、近所に住む一つ下の女の子だ。
親父同士が昔からの友人同士で、自然、小さい頃から一緒に過ごすことも多かった。家族ぐるみの付き合いが長い、幼なじみといえるだろう。
年の割に大人びていて、俺のことも対等に見ているのか、興弥と呼び捨てにしている。
明るく、いつも笑っている。小学校高学年になったくらいから、短かった髪を伸ばし始め、今ではかなり長くなった。バスケ部を退部するまでのことを思い出す。その黒髪を縛って、バスケボールをドリブルしながら走るタマの姿を、思えば俺は、いつでも追いかけていた。
次に翔太に会う時、どんな顔で会えばいいのかわからない。
何もなかったように振る舞うのも、違う気がする。突然首まで絞めたのだ。まず謝るべきだろう。
しかし、俺がタマを好きなことを認めなければならない。それも恥ずかしい。
俺のものだという言葉を吐いたが、当然付き合ってもいない。それなのに俺のもの発言は、いかがなものかと思う。
というか、かなり恥ずかしいものだった。
タマの家は近所で、小学校どころか保育園も同じだった。タマの両親は共働きだったから、専業主婦の母がいるうちが預かることも多かった。
小学校低学年までは、タマがまっすぐ帰る先はうちの細川家で、七時くらいになって、俺が明里家に送っていった。
俺が四年生になって、空手を始めてからそれはなくなったが、一年後にはタマも空手を始めて、終われば一緒に帰った。
女子と仲良くすることを、同学年の友達はからかってきたが、ついさっきまでタマを好きだという自覚さえなかった俺は、適当に返事ができた。
からかってもつまらないと思われたのか、しばらくすると、からかわれることもなくなった。タマはタマで何かあったのか、それとも俺たち男子のやり取りを聞いて何か思ったのか、俺の呼び名がお兄ちゃんから『おきや』になった。
周りの友達は『女子と仲が良いこと』よりも『年下に名前を呼び捨てされること』をからかうようになり、タマも含めて一緒にふざけ合うことができるようになった。
そんなやり取りの中で、ずっと一緒にいた俺とタマが仲の良いことは当たり前、という認識ができていた。
だから中学に入ってからも、違う小学校から同じ中学校に入ってきた生徒以外からは、部活終わりにタマと俺が一緒に帰ることを不思議に思うヤツはいなかった。
同じ小学校にいた奴らとは、男女関係なく一緒に帰ることもあった。
翔太とは違う小学校だったが、それを見て仲が良いと思ったのだろう。
タマと翔太は同級生だったが、どれくらい話したことがあるのかはわからない。
……俺が翔太に謝ったとして、翔太はどうするだろうか。
『俺のものって言ってましたけど、付き合ってるんですか?』
なんて聞かれたら、死ぬほど恥ずかしい。いやそれより、また仲を取り持つように言われたらどうすればいいのか。
「殺すしか、なかろうよ」
そうだ。殺すしかない。今日の俺の言動で、俺がタマを好きだとわからなかったはずがない。俺が翔太より長い時間を過ごしていることは、知っているだろう。そして、俺の方が確実にタマを愛している。そんな俺にそんなことを頼むようなあら、殺すしかないのだ。
しかし、どうやって殺せばいいか。
「同じ手口でよいだろう。首を絞め、今度は死ぬまで頭を蹴ればよい」
だが、死ぬまで蹴るとなると、時間がかかる。そんなことをしている間に誰かに見られてしまえば、俺が捕まってしまう。
「なら、台所から刃物の一本でも取って、持ち歩けばよいではないか」
「ばっか、そんなもの持って歩いてんのがバレたら、その時点で捕まるって」
「しかし、今の一番の目的は、その男を殺すことじゃろう? 何を腑抜けたことを言っておるのじゃ」
……おかしい。そんな目的じゃなかったはずだ。思考が、さっき翔太と合っていた時のようなおかしなものになっている。
「む。違ったか?」
何か、疑問を持つような声まで聞こえている。
「おうい。聞こえておるんじゃろう」
バッと、ベッドから跳ね起きた。誰のものかわからない声が、足下から聞こえてきていた。
「よう」
足下には、あぐらをかいて左手で頬杖をついている男がいた。
時代劇で見るような衣装で烏帽子をかぶり、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。
「誰?」
妙な格好の男は少しタレ目気味だったが、柔和な印象も気弱な印象はない。何個か俺よりも年上のようだ。生意気な猫のような印象を持った。
「わしは、細川忠興という」
謎の男は、そう言った。